今日は息子の三者面談でした

今日は中3の息子の学校の三者面談でした。ふ~。

後1回、12月にあるのですが、今日はかなり具体的なことを相談してきました。

 

息子は小学校まで順調に成長していたのですが、中2の時期は本当に山あり谷ありでした。(昨年、ブログを更新できなかった時期です)

 

こうなってみて、全てが結果オーライではないのですが、早い段階で挫折をして良かったと思っています。

もちろん、大きな傷も負いましたが、その分、私も息子もそれぞれが成長しました。

今はとても幸せです。

 

いわゆる、偏差値の高い有名校には入れそうもありませんが、息子の明るい個性を生かした学校に入って、ワイワイ楽しくやってくれたらいいなあと願っています。

 

私のキャラとはまた違って、明るくて元気で、話好きで、面白い息子です。でも、案外ナイーブで照れ屋で優しかったりします。

私と一緒で、買い物と洋服が好きで、甘いものも好き。

いいか悪いかは分かりませんが、親子以上の仲間のような存在です。

 

息子が元気に過ごせる高校が見つかりますように。そして、その学校にご縁がありますように!

今月から学校説明会や学校見学にたくさん行く予定です。

私自身のやりたいことも沢山沢山あるので、かなり忙しくなりそう。

楽しみながら頑張りま~す。

 

それではまた明日。

おやすみなさい☆

 

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息子の誕生会

息子の誕生会
息子の15才の誕生会を家族で開きました☆

息子は外食も好きですが、家はゆっくり出来るとの希望で、家で誕生会です。

メニューは簡単ですが、ステーキ、お寿司、モッツァレラ&トマト、フライドポテト、画像にはありませんがホールケーキなどです。

息子が今日まで元気に成長してくれたことに感謝です。

聞いてくださって有り難う。

明日は朝早くから夜までセミナーです。その話はまた明日!
おやすみなさい☆

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カリール・ジブラン 「こどもについて」

先日、 カリール・ジブランの「結婚について」という詩を紹介しました。
結婚とはありますが、全ての人間関係に通じる、ちょうどいい距離感を言い表している詩です。

そしてもう一つ、とても衝撃を受ける詩に出会いました。

それは、同じくカリール・ジブランの「子供について」という詩です。(『預言者』 より 佐久間彪訳)
一部を転記させて頂きますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あなたの子は、あなたの子ではありません。
自らを保つこと、それが生命の願望。そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。
 
あなたを通してやって来ますが、あなたからではなく、あなたと一緒にいますが、それでいてあなたのものではないのです。
 
子に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
子には子の考えがあるからです。
 
あなたの家に子の体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。
 
子のようになろうと努めるがよい。でも、子をあなたのようにしようとしてはいけません。
なぜなら、生命は後へは戻らず、昨日と一緒に留まってもいません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「あなたの子は、あなたの子ではない。
自分の考えがあり、魂がある。
子供はあなたのものではない。
あなたのようにしようとしてはいけない」

この考えに衝撃を受けました。
そして、それは真実だと思います。

この詩の最後に、「親であるあなたも、神は愛している」という内容で終わりになっています。
子を自分のようにする必要はない。
そして、そのままのあなたも神は愛しているのですよ。というメッセージでした。

この詩と出会ったことは、私の奇跡です。

「子供は自分の子供ではない。(宇宙からの預かりもの)
子供の考えを、自分と同じにしようとしてはいけない。
その子の人生は、その子が決める。その子だけのものである」

これは本当に大きな学びでした。

今も、子育てで苦しんでいる友人は、どうしてもこの部分が手放せないように思えます。
 
子供でも、夫婦でも、友人でも、同じ価値観にはなれない。
それを苦しみと捉えるか、考えの幅が広がって楽しいと思えるか。
それが他者への執着から脱却するかどうか、大きく分ける差だと感じています。

素敵な詩と出会えたことも、私にとって、良い縁だと思えます。
読んでくださって有難う!


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親と子が理解しあえる関係になる その5

今まで色々と親子関係について、私が思うことを書いてきました。

今回の記事としては最後になりますが、お互いに思いやりを持つために私が思うこと。

それは、親が無理をしないこと、に尽きると思うのです。

一般論として、親は我慢すべき、親が自分を犠牲にしても、子供を優先すべきという考えがありますが、これも行き過ぎると親のストレスが増すのではないかと思うのです。

親が自分勝手になれということではなく、ある程度親としての自覚があれば、私は、親も人間なのですから、自分の思いややりたいことなど、素直に出してもいいのではないかと思うのです。

誰かのためだけに生きることが出来ればいいですが、実際にそうしている人は、感謝されたいという思いはないでしょうか?
自分の頑張りに気付いて欲しいと思わないでしょうか?

人に期待して得られればいいですが、それが返ってこないと、悲しくなったり、自分の価値がわからなくなったり、犠牲になっているという不満がたまることはないでしょうか。

不満に思うくらいなら、無理していることはやめてしまっていいと思うのです。

最初は家族も戸惑うかもしれませんが、自分自身が不満がないことが、しいては家族の平安にも繋がると思うのです。

そして、何かしてあげたいと思うことについては、自分のキャパ内ですることがベストだと思っています。

あくまでイメージとしての例えですが、100万のお金があったとして、友達に貸してと言われて貸せるのは幾らでしょうか。(金銭の貸し借りは基本的にはお勧めしませんが、あくまでイメージです)

5万なら返ってこなくてもいいと思うでしょうか。1万でしょうか。5000円でしょうか。
100万全部を貸してしまって、相手に事情が出来て、返ってこなかったらどうでしょう。
もしくは5年間返せないと言われたどうでしょう。

また、親友が悩んでいて、夜中に電話をかけてくるとします。
毎日2時の電話を受けられるでしょうか。
緊急の時に、一度だけならいいでしょうか。
もしくは、週末の土曜日なら、大丈夫でしょうか。

それぞれ、不満に思わないキャパがあると思うのです。

子育てや家庭内でも同じです。
毎日、手作りの料理を作り、それぞれの家族が帰宅する時間に合わせて、温めたり作ったりする。
それが全く負担にならない人と、負担になる人は存在すると思うのです。

だとしたら、自分のキャパの中で行動するのが一番だと私は思います。
それぞれの個性と長所が違うのですから、その家族と、その人ならではの、家庭内のルールが作り出されると思うのです。人と違ってもいいではないでしょうか。

それぞれの人生に一般論がどんな意味があるでしょう?
  

私が一番願うことは、「それぞれが自分になる」ということです。
 
親も、自分らしく生き、子供もまた自分らしく生きることを親が許してあげられたら、きっと、思いやりをお互いに持てる余裕が生まれる気がするのです。
 
もちろん、子供が思春期だったり、悩みを抱えていたり、親も仕事の不安があったり、色々なトラブルを抱えていたりすれば、相手を思いやる気持ちがないこともあると思います。

それは一過性のことで、大きな意味での思いやりを持つために、自分が幸せではないと難しいと私は思っています。

 
まず、親自身が、自分を幸せにして、満たして上げて欲しいなと思います。
好きな趣味をしたり、お茶を飲む時間を作ったり、出かけたりしてもいいのではないかと思います。
 
そして、子供にも、親も人間で、したいことがあるのだと理解してくれた時、お互いに事情を察し合う関係が築けると期待しています。
(すぐには無理かもしれません。それまで培って来た家庭内のルールや価値観があると思いますので)
 
最後に、ある本に書いてあったのですが、親が子供に「こうなるべきだ」と思う気持ちが強い人は、実は自分自身を好きではなく、受け入れられていないことが多い。

子供に細かな規約を設けて、何かに作り上げようと無意識にしてしまう。
自分の人生のうまくいかなかった部分をやり直しさせたくなる。
あるがままの子供を受け入れられず、条件付きの愛となることがある(成績が良ければ認められる。スポーツで活躍すれば認められるなど)と書いてありました。

 
そう考えると、実は親自身が自分を好きになる、大事にすることが、間接的ではありますが、子育てでも子供を受け入れやすい親になるということだと思うのです。

まず、親自身が幸せになって欲しいです。
子供もきっと、辛い思いをして生きている親よりも、幸せな親を見たいのではないかと思います。いえ、そうあって欲しいです。

それぞれが、みんな、愛されるべき存在だと思います。みんながどうか幸せになれますように。
心穏やかに生きられますように。
心から願っています。

読んでくださって有難うございました。

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親と子が理解しあえる関係になる その4

親は自分が人生を先に生きているので、良い思いをしたことも、失敗した経験もたくさんもっていますよね。

それを大事な子供に伝えたい生きものなのだと思います。

でも、それを押しつけたり、権力で従わせようとすれば、子供は反発し、恨み、わざと逆の方向に行くこともあるかもしれません。

また、親が賞罰で言うことをきかせようとすると、いつかそれに効果がなくなる日がくると思うのです。

親の賞罰に効果があるのは、何歳まででしょう?

 

小さい頃は、親は絶対でした。親の愛そのものがご褒美でした。

それがだんだんと、親がくれるお小遣い、親がいるから住む家があるなど、親が所有しているものへと変化してきます。

親が自分の愛情やお金などをご褒美にして、言うことを聞かせて、いくつまでそれが有効でしょう?

こんな親の愛情なんて、いらない! と憎まれてからでは遅いです。

 

一般的には、子供が意思を持つ中学生くらい、また、バイトができる年齢になると、親の権威はがたっと落ちるそうです。できれば、子供が小さいうちに、親が持っているものを餌にして育てる方法はやめていった方が無難だと思うのです。

では、どうしたら、親の価値観が伝わるでしょう? 実は、親の価値観を選択するかどうかは、親の魅力にかかっているかもしれません。

   

なぜなら、私たち大人も、相手の話しを受け入れやすいのは、その相手に好感を持っていたり、素敵だなとあこがれていたりする人の言葉だと思うのです。

嫌いだったり、あまり魅力がない人が、いくら良いことを言っていても、マネしようとは思いませんよね?

子供も同じです。

親の良いところを吸収したいと思ってもらえるようになれば、自然と、伝えられることは伝わっていくと思うのです。

そうはいっても、どんなに親子関係が良い場合でも、子供が親が思うような価値観にならない場合もあります。それは、子供が別の人格だから、という理由に他なりません。

たとえば、親は理系に進んだ方が就職に有利だと思って、勧めます。

でも、子供はやりたいことあって、文系に行くかもしれません。

そこは、親はあきらめる部分です。子供の人生は子供のもので、親の生き直しの人生ではないのですから…。    私もまだまだ未熟ですが、子供の人生を見守る大きな灯台になれたら、素敵だなと思っています。

見守るのって、とっても忍耐が必要です。でも、親に出来ることは、それしかないのかな、と思うこの頃なのです。   次回、お互いに思いやりを持つ関係性について、書かせてくださいね! 読んでくださって有難う。

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親子が理解しあえる関係になる その3

前回の続きです。

私も、もちろん、家族で喧嘩することもありますし、完璧な人間ではないので、何か言える立場ではないのですが、だからこそ、伝えられることがあると思うので、良かったら読んでくださいね!

 

親が子供に注意することは、大きく分けると3つに分けられると思います。

 

1、世の中のルールを教える

2、お互いのやりたいこと、やりたくないことの欲求のぶつかりがある。

3、親が思う価値観を伝えたい

 

この中で、1番の世の中のルールについては、小さい頃から教えていくことだと思います。これは確かに最低限のルールは必要だと思います。

叱るだけでなく、できた時に認めてあげながら、教えていけたらいいですよね。これは積み重ねなのかなと思っています。

 

次に、2番目の欲求のぶつかり合いですが、小さいことだとチャンネル争い、誰が茶碗を洗うか、トイレ掃除は誰がするか、親が用事がある時に、子供もまた別の用事がある。

など、お互いの生活に密着したぶつかり合いについて。

この問題については、一番、小さな喧嘩になりやすいと思うのです。

 

親の言い分を伝える時は、あなたメッセージではなく、私メッセージで自分の欲求を伝え、また、相手の欲求や事情も聞き、お互いにいい部分で折り合えたら一番良いと思うのです。

どちらも我慢しない、思いやり、察しあう関係です。

 

ここで邪魔をするのが、親の方がえらいから子供は言うことをきくべきだという考え方です。

また、その逆で、子供は自分の思いを通すのが当然で、親は我慢するものと思う子供もいるかもしれません。

それもまた、親がストレスになって、良い関係が築けないと思うのです。

 

お互いが、お互いを思いやれたら一番いいですよね。いつもいつもじゃなくても、肝心な時だけでも!

どうしたらお互いに思いやれるのでしょうね?

また、それはあらためて書かせていただきたいな、と思っています。

3番目は、親の価値観と子の価値観がぶつかる場面です。

たとえば、服装はこうあるべきだ、髪型は学生らしく、お小遣いの使い方は親に相談すべきだ、こういう学校がいい、職業がいい、こういう会社がいいなど、子供に伝えたい価値観についてのぶつかり合いです。

次回に、このことについて、ゆっくり書かせてくださいね!

長い文章を読んでくださって有難うございます☆

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親子が理解しあえる関係になる   その2

前回の続きです。

「親は子供に色々と言いたくなる生き物である。
子は親に言われたくない生き物である。」

立場が違うので、すれ違うのが現実だと思うのです。

では、うまくいくために、
言いたいことの沢山ある親は我慢することがいいのか?
子供は黙って親の言うことを聞けばいいのか?

私は両方NOだと思うのです。

私の考えは理想かもしれませんが、どちらも我慢するだけではなく、また、言うだけでもない。
対等に思いやり、察し合うことが一番だと思うのです。


その前に、親が言いたくなる理由のいくつかを書きますね。


1、子供が未熟に見えてしまう。心配で色々と言いたくなる

2、子供の至らない所を注意し、叱責し、説教し、導くのが親の仕事だと思う

3、子供の困っている様子を見ると、不安でいたたまれなくなり、動揺してしまう

4、親が思う子供に育って欲しい。導く方向に進んで欲しいという願いがあるから

いかがでしょうか?
これが全てではないけれど一部当たっているでしょうか。


また、子供が言われたくない理由はこうだと思います。

1、私だって自分なりに考えがあるから、見守って欲しい。信じて欲しい。

2、何度も何度も同じことを言われると、うるさく感じていいと思えない

3、子供扱いしないで欲しい。放っておいて欲しい

4、私は親の思い通りになる人形ではない

5、親の考えが全て正しいとは思えない


親も自分のことに置き換えると分かると思うのです。
いちいち、自分のやることに口を挟まれたり、「それは良くない」など評価されるのはいい気持ちはしませんよね。
アドバイスも善し悪しだと思います。

もし自分がご主人や奥さん、家族から、

「君の仕事はあまり能率があがってないね」
「もっと、こういう料理を作ったらいいんじゃないの」
「あなたのお給料は低いわね」
「あなたはあまり上司に良く思われていないのか、出世が遅いわね」
「君のそういう所がダメだよね」

など言われたら、不快ですよね。

でも、親は子供には遠慮がないです。

それはなぜでしょうか。
良かったら考えてみてくださいね。

そして、親が言うことを子供に誤解せずに分かってもらう為には、どうしたらいいのでしょうか。

次回に続きます。

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親子が理解しあえる関係になる   その1

今日は以前の記事で少し予告させて頂いた、親子関係について、私が思うことを書かせてくださいね。
 
まだ、子育て途中なので、偉そうなことは言えませんが、また、いつもながら、私が気付いたことを書きたいなと思っています。

ここで書くのは、小学校高学年以上のお子さんがいる方が対象になるかもしれませんが、よろしくお願いします。
(小さいお子さん向けのことも、いつか書けたらいいな という希望はあります!)
 
親が子育てをしていて、辛いなあ、切ないなあと思うことについて、一般的に共通するのは以下のことが思い浮かびます。
 
 
1、子供が反抗的。言うことを聞いてくれない

2、子供が口を聞いてくれない

3、私がこうしたらいいと言うことを、その通りにしてくれない。(子供のためなのに〜)

4、勉強しない。将来が心配

5、自分の価値観と一致した人間になって欲しい (でも、現実はそうなってない気がするのでイライラ)
     → 大きなことでいえば、職業、将来の進学など。小さなことでは、片付けをしない、髪型、考え方などの不一致

6、子供が悩んだり、成績が良くなかったり、友達とうまくいかないのを見て、自分のことのように辛い。何とかしてあげたくなる。苦しい


まだ沢山あるかもしれませんが、ここで、話題をかえて。
 

次はお子さん側の、親に対しての不満や嫌だなと思うことを書きますね。(これも一般的ですが)
 

1、親が口うるさい

2、自分の価値観を押し付けて来て、迷惑

3、いちいち、干渉してこないでっ!

4、ああしろ、こうしろって、命令ばかりする

5、心配されるのが、負担

6、何気ない言葉に傷つく

7、自分のことで、父親と母親が裏で相談している感じが嫌だ (自分に不利なような展開になる場合がある)

8、ちゃんと話しを聞いてくれない。私を分かってくれない。

9、自分の意見ばかり言う

10、親だから自分が正しいと思っている感じがする


いかがでしょうか。

親には親の気持ちがあり、子供には子供の言い分があるような気がするのです。

そのどちらも、正しいのだと思います。
その人が、その人のまま生きているからこそ、お互いの立場の差が、不満の差となっているんだろうなと思います。

双方がうまくいかないのは、親は子供時代のことを忘れてしまい、どうしても親の気持ちが優先してしまうこと。
それだけ、子供への思いが強いのだと思います。そして、責任もね!

子供は、これから育って行こうという、エネルギーの持ち主。
だから、親から押し付けられる子育ては、とても辛いのです。
 
双方が相手に成り代われないからこそ、起こる不一致について、また次回、続きを書かせてくださいね!

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息子の中間試験近し(汗)

6月も半分が過ぎました。
1年はあっという間に過ぎてしまうんだろうな、と実感する私です。
  
息子の中学は前期後期制なので、来週、初の定期試験なのです。
 
ここで詳しく書くと、彼のプライバシーに関わるので少ししか書けませんが、あまり勉強が好きではなく、机にじっと座っているのが苦手な息子です。
小学校の頃から、塾&私が勉強をみてきたのですが、思春期になり、反抗心が芽生えてから、しばらく私は見守ることにしました。
 
そして、中3。
また、私が勉強の応援に復帰しています。
私の場合、教える指導方法を身につけていないので、ついつい、喧嘩になっちゃうこともあるのですが、さすがに、中3が最後だろうと思い、私も昼は仕事、夜は付け焼き刃の家庭教師ですが、楽しんでます♪
 
 
成績上位を目指しているのではなく、息子の努力が自信となってくれることを願って応援しています。
もちろん、それは、息子とも一致しています。
 
勉強が終わった後はティータイム☆
夜中に紅茶とお菓子を食べる親子…。太るかもしれないけれど、これはこれで楽しい一時なのです。
  
 
ところで、私の周囲で、何組かですが、親子関係が極端に悪い親子がいるのです。
多少の反抗や、喧嘩、口を聞かない日があるっていうのは、普通にあることだと思うのです。
それ以上に、こじれている、信頼関係がない、意思疎通がない、というのは、子供が原因というより、親が変わることで、変化してくるような気がするのです。
  
もちろん、私も未熟な親で、語れるような人間ではないのですが、私の分かる範囲で、親子関係について次回、書かせてくださいね。
 
いつも読んでくださって有難う。


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今日は体育祭でした!

今日は息子の中学校の体育祭でした。

中3なので、今年が中学最後の体育祭です。

息子のクラスは団結していて、本当によく頑張りました!

素晴らしいチームワークに感動です☆

 

いい学校、いいクラス、いい友人に縁があったこと、本当に有難いなと思っています。

また、私から見るとまだ幼い息子ですが、集団の中で、がんばって活躍している姿を見て、成長が嬉しかったです。

色々な人や神様にも感謝の気持ちでいっぱいになった一日でした。

明日からまた一週間が始まりますね!

皆さんにとってもよい1週間となりますように☆

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鎧を捨てて、無防備になること

子供が親からの愛を感じないことは、気のせいではありません。
 
気のせいであるなら、大人になってから精神安定剤を手放せずに、子供時代の傷を引きずっている人がどうしてこんなに多いのでしょう?
  
元々の素質でしょうか? よくばりな子供だからでしょうか?
  
愛を求める量は確かに個人差があるかもしれませんが、ある程度の質のいい愛が与えられれば、そこまで無限にお腹をすかせていることはないと思うのです。
   
私が思うのは、実は親自身が、自分である必要があることを、その親から受け継いでいないのだと思うのです。だから、無条件の愛というのが、どういうものなのか分からないのかなと思うのです。
親自身も苦しんでいる。その子も苦しんでいる。その子が生んだ子も苦しんでいる。
連鎖はどこかで断ち切らないと。
そして断ち切れるのは、自分自身しかないと断言します。
親のことも、子のことも根本的には助けられない。
少なくとも、自分を救うことが出来れば、子供の心を救うことも出来ると思うのです。
   
親から愛をもらったと自覚できる人は幸せなことだと思うのです。
親からの愛を自覚できない人に対して、はがゆい思いもあるでしょう。
くれぐれも、その人に親の愛を話したり、お説教はしないであげてください。そのまま受け入れるか、認められなければ流してあげて欲しいのです。親側からの事実や言い分はどうであれ、子供がそう受け取ったということが、子供側の事実だからです。
   
子供がいい巡り合わせや出会いがあって、傷が癒えれば、親を超えて、親を許すことが出来ると思うのです。
でも、親を許せない以前に、自分を愛せない人がとても多いのです。
自分を愛せない人は、自分を傷つけます。
  
悲しいことに、自分の体を傷つけたり、自分を安く扱ったり、自分を追いつめて悩みを呼び寄せます。
屈折していますが、人を攻撃して、人から傷つけるようなこを無意識に言わせることもあります。
傷ついて悲しい思いをするのですが、自分が招いているとは気付きません。
いつも人から傷つけられる、なぜか疎まれると思い込んでしまうのです。
  
傷つきたくないから、先に人を傷つけてしまうという人を何人か知っています。
攻撃は最大の防御です。
でも本当の強さは、大きな盾を心に持って、広い心で無防備でいられることだと思うのです。
多少の攻撃には傷つかず、無防備でいるからこそ、逆に攻撃も受けないのです。
心を開かなければ、相手も警戒心を緩めないでしょう。
それは難しいと思うのですが。
  
恋人が出来ても、嫌われる行動ばかりして、疎まれて捨てられてしまう。でも、それが自分が招いたこととは理解できない。悪循環は、まず自分が自分として認めていないから、そういう行動をしていることが分かっていないのです。
  
親を変えられないのであれば、自覚する他、救われる道はないと私は思います。でも、自覚することが1段階、次のステップは、自分を認めること。そこはとても難しく、大変だと思います。
   
屈折している人は、傷を追っているので、逆にプライドも高いのです。
プライドが自分を守っているようで、実はそのプライドが成長を止めている気がします。
そのプライドをまず捨てないと、自分をそのまま愛することは難しいかもしれません。
  
何度か例をあげた I さんに関してですが、親からの期待と重圧で必死で歩んだエリートです。
そのまま放っておいても、優秀なIさんはどの道かは分からないけれど、きっと幸せになったと確信出来るのです。でも、親が、親の希望の道を歩む子供でないと愛せないというメッセージを送ったばかりに、その栄光の道は苦難と変わってしまったのです。
  
そのIさんは今、同じ期待と重圧を、子供にも与えています。お子さんは心と体を壊して悲鳴をあげています。
そして、その子供を見て、Iさんも心を病み、追いつめられノイローゼになっています。
どうして子供への介入をやめられないかというと、プライドが邪魔をするからなのです。
  
彼女が自分が自分であるための最後の砦は、人がすごいねと言ってくれる道を歩んで、今があることです。
だから、自分の子供にそれ以下の道を歩ませることは、プライドが許さないのです。
自分自身を否定することになるからです。
 
矛盾ですが、愛していなくても、自分を肯定することは出来るようです。自分のプライドを守ることでしか、自分を肯定出来ない苦しさがまた生まれてきます。
  
自分を守るプライドが、逆に条件付きの愛に変化してしまう。条件付きの愛を受けて悲しかったのに、自分の傷を正当化するために、条件付きの愛を与えるしかないのです。
  
私は何も出来ません。ただ、お子さんが心の元気を取り戻し、明るい気持ちで生きてくれるようになることを、願うばかりです。
  
そして、私について次にお話したいと思います。

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私が私でなくても良かったと子供が思う時

私が私として、生まれたことを喜んでもらえている。
自分が自分として、受け入れられている。
 
間違いなく、両親がそう思っていると確信している人は、どのくらいいるのでしょうか。
多分、多くの人は深く考えずに、自然とそのように受け入れているのかなと思います。
それは、親の愛はきちんと受け取れているという証拠かもしれません。
 
子供時代の傷が、今も癒えていない人に共通するのは、親から生まれてくる子が私じゃなくて、ほかの子供でも良かったんだろうと感じている点です。
自分じゃない方が良かったと、思っている人もいれば、そこまで積極的な疑問ではなくても、別に私じゃなくても大丈夫だったんだろうな、という感覚です。
  
何を言っているんだろう、被害妄想では? と思う人もいらっしゃるでしょう。
きっと、この感覚は、「分かる人には分かる」感覚だと思うのです。
勘違いとか、誤解とか、被害妄想ではなく、受け取る側の事実として、インプットされてしまった事実です。
  
理屈ではなく、本能でしょうか。子供の生きるための感覚でしょうか。
なぜわかるかと言われても難しいのですが。
親がはっきり、そういう言葉を口にしている場合もあります。
  
「勉強の出来る子だったら良かったのに」
「もっと素直な子だったら、可愛かったのに」
「誰誰くんみたいな子が良かったな」
  
そんな何気ない言葉の一つ一つに、案外子供って傷ついてしまうものかなと思います。
親としてみたら、ちょっとした本音かもしれません。子供を愛しているのは事実なので、深い意味はないかもしれませんが、その言葉だけではなく、他にも色々な要因があれば、子供は大げさに受け止めてしまうでしょう。
  
「勉強出来ない僕はいらなかったのかな」
「こんな暗い私みたいな子は、生まれない方が良かったのかな」
「人気者のあの子みたいだったら、お母さんは可愛がってくれたのかな」
  
そんな疑問から、親への不信感は少しずつはじまって行くのだと思うのです。
   
こんなこと言い出したら、何も話せない、と思う人もいるでしょうか。
もし、このことだけなら、流せるし、大人になれば忘れてしまうかもしれません。
でも、軽くこういうことを言う親は、他にも行動に出てしまうと思うのです。
  
例えば、私がされたことで、母に不信感を抱いた大きな理由があります。
それは、手を貸さなくてはならない機会を、報復の手段にする、ということなのです。
  
極端な例をあげます。(分かりやすいようにですので、私の実例ではありません)
  
スイミングスクールに通っている子供が、あまりちゃんと練習しない。
ある日、遊びにいったプールで、子供が溺れかけました。必死で「助けて」と言っている我が子を見て、大した事ないと判断した親が、「いつも練習をサボっているから、こうなるのよ。分かった!?」と言って戒めるのです。
溺れかけている子供に、そんなことを言って、自分が悪かったと思うでしょうか。
必死なので、親の冷静さは、逆に残酷に感じます。その部分だけ一生残ります。
その後、助けてもらって、「ごめんなさい。ちゃんとやります」と子供が言ったとしても、それは言うしかなかった、言わされた言葉なのです。
 
実はこれは逆効果です。
とりあえずすぐに手を貸した後で、「こうならないためにどうしたらいいと思う?」と聞く方がいいと思うのです。
本人が「ちゃんと練習する」と言うでしょう。
でもね、きっとまたサボると思うのです。それがその子の個性だから。
なので、子育てって、繰り返しなのです。何度も何度も同じことを繰り返しつたえて、すぐに結果を求めない。
だから、とっても忍耐がいるし、私は未熟は親なので、忍耐が切れて、怒ってしまって、子供に申し訳ないことをしてしまっているのですが…。
  
話は戻ります。
子供が困っていることが、子供が招いたことであったとしても、そこは親に愛があるなら、無条件で助けてあげて欲しい。
 
年齢によって、その困っていることは変化すると思うのです。
いつも消しゴムを無くす子供がいたとして、無くしたら絶対に買わないという躾も一つでしょう。
でも、実際に無ければ、やっぱり勉強に差し支えます。
「あなたのせいだから困ればいい。そうして懲りるしかない」
という考え方は、正論だけど、実は子供に遺恨を残します。
  
子供って自分勝手な部分もあるので、助けてくれなかった親の印象ばかり残って、自分のしたことはあまり残らないものなのです。親に愛がない訳ではないのに、「困った時に意地悪する親」だという印象ばかり残る。
  
私の例をあげたいのですが、実は細かなことはほとんど覚えていないのです。ただ、覚えているのは、私が困った時、笑ったり、ざまあみろということを言われたりする母の印象しか残っていないのです。
これって、そこだけ取り上げると怖いですよね。
母は残酷な人だったのか? と聞かれると、そんなこともないのです。
  
母も未熟な一人の人間なので考え方は全て完璧ではない。でも、自分が正しいと思い込んでいるので、反省することが出来ないのです。
だから、子供が失敗したり困った時に、懲らしめるのがいい教育だと思い込んだばかりに、ずっとずっとそれを小さい頃から繰り返し続けて、私に本能的な不信感をもたれてしまったのだと思うのです。
インプットですよね。
  
子供側に責任はないのか、親ばかりが悪いのか? と思われるかもしれません。
子供にも悪いこと、直した方がいいことは確かにあったと思います。
でも、懲らしめる方法は絶対にお勧め出来ません。人間不信を抱かせます。
  
他にきっと方法があると思うのです。傷つけない方法で工夫すれば、きっといい方法はあると思うのです。
それでも治らなかった部分があったとしても、人として生きて行ける欠点なら、大目に見てもいいのかなと思います。自分自身が欠点もある人間なのですから。
  
他に思い当たるのは、後回しにされる感覚でしょうか。
いつも子供が一番、子供優先である必要はありません。
でも、気にかけているという感覚があるのとないのとでは、伝わるものが違うと思うのです。
それをうまく伝えられているか。その表に出る部分だけでも違えば、子供も安心すると思うのです。
  
こんなことの積み重ねで、「私は別に私として生まれなくても良かったのかな」という気持ちが根付いてしまう気がします。
   
確かに、別の子が生まれたとして、それはそれで愛するでしょう。
でも、やっぱり目の前にいる子が一番(兄妹が何人いたとしても、その子その子が、全て一番)と思えれば本当はいいですよね。
 
ただね、もしかしたら、親も本音では、この子じゃなくても良かった、この子じゃない方が良かったと思うこともあるかもしれません。
  
どうか、悟られずに育てて欲しいなと心から思います。逆に自覚していれば、多少は修正できるかもしれません。
どういう所がこの子と自分の合わない部分なのかを、客観的に考えていくことが出来ますから。
  
出来のいい子、頭のいい子、気性のいい子。客観的に見て、自分の子より、他の子の方が明らかに育てやすい子もいるでしょう。
でも、人と比べても幸せにはなれない…。
 
目の前にいる子が、結局自分の遺伝子を引いた子で、それは事実なのですから、受け入れて欲しいと思うのです。その上で、どうしたら、その子がその子なりに一番良く育つか、そこに集中して欲しいと思うのです。
人と比べず、その子だけを見れれば、欠点を含めて好きになれるかもしれません。
 
同じピアノを習わせても、すごく上達の早い子もいれば、遅い子もいます。
ピアノなんて向かなければやめてもいいのです。でも、なかなか上達しない子の親は、他の子と比べて叱ってしまう。そうすると、親も子も幸せ感から遠くなると思うのです。
親がその子しかみなければ、1ヶ月前よりは、少しはうまくなっているかもしれません。
上達したことを感じられると嬉しくなるでしょう。子供の進歩が嬉しいでしょう。
だから、絶対に比べてはいけないと思うのです。(ある程度の標準は知る必要はある部分も否めませんが)
  
続きます

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無条件の愛って難しい

何日にも渡って、親子のことを書いてきました。

ここまで読んでくださって有難うございます。

もし、不愉快な思い、悲しい思いをされた方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。不適切だと思われる部分があれば、お知らせ頂ければと思います。

最近の私にとって、親子の関係は切っても切れぬテーマです。

子育てって本当に難しい!!

私の愛が、そのままの形で届いて欲しいけれど、受け取る側も人間であり、まだ子供なので、そのまま届いているかどうか分かりません。

いつだって手探りです。もう、出来上がった大人同士でさえ、人間関係は難しいですよね。家族だからといって、物事が簡単にすむという訳でもないでしょう。家庭は一番小さな社会なのですから。

全く白紙の状態から子供を育てること。しかも、社会的に迷惑がかかることを起こした場合、親に責任があるとしたら、子育ては大変な重圧です。

しみじみ考えると恐怖を覚えます。

そんなことを考えていては子供は生めないでしょうけれど。

 

事件を起こさないまでも、私の職場にいる心を病んだ大人たち。

私への何らかのメッセージと思ってしまうのです。私自身が学ぶためにめぐり合わせたのかもしれないと感じるのです。

なので、自分の心に問いかけるかのように、こうしてブログに書いています。(もう少しおつきあいくださったら嬉しいです)

 

唐突ですが、私が親にされて嫌だったことの一つは、人と比較されること。

長所ではなく、短所を見つけて注意ばかりされること。

他人の長所を探して私と比較して非難し、私の長所やいい部分はもっと努力しろとはっぱをかけられるだけで、決して認めてもらえない。

今現在もそうです。

母の気性だと思えば諦めるしかないけれど、言われると懲りずに、毎回傷つくんですよね…。私は人と比べられて奮起するタイプではないみたい。

逆に意気消沈です。(笑)

 

思えば、私の周囲の人たちに共通していると思うのは、無条件の愛を受けていないという部分です。

または、そう受け取っていないということでしょうか。

親が無条件の愛だと思っていたとしたら、それは親側の勘違いかもしれません。

私だって、親として、完全な無条件な愛ではないと、自問自答することがあります。

なぜなら、本当のそのままの子供(性格や能力も含めて)に対し、要求を何一つしていないかとなると、かなり難しいと思うのです。

良く育って欲しいという要求が、その子にとって高望みではないか。無理させているのではないか。そう考えると親の無条件の愛は人間にとって、すごく難しいレベルのことなのかな? と思うのです。 

親が愛しているからそうしているのだ、という言葉は嘘とは言いません。でも、親側の欺瞞やエゴがあるかもしれない。無条件の愛ではないかもしれない。という部分は親が内省してもいいのでは? とは感じるのです。

自覚すれば、少しは違うかもしれません。行動を変えることは出来なくても、自覚があれば、少しは違ってくるかもしれないと思ったりします。

 

もう一つ感じたのは、親が自分自身のことを他人と比較するタイプは、子供に対して競争させる親になるような気がします。(家の母もそうでした)

いつも人と比較して幸せ感を感じたり、優越感を感じたり、劣等感を抱いたり、嫉妬したりするタイプ(いわゆる隣の芝生は青いと思うタイプ、他人の不幸は蜜の味と思うタイプ)は、自分の子供も他人の子供を比較する傾向にあるように思うのです。

幸福は自分の中にあって、人と比較するものではない、と思えれば簡単ですが、人はそんなに単純ではなくて、多少は比較もしてしまうでしょう。

でも、自分自身だけならまだしも、なぜか子供となると、ますます競争心がアップしてしまう親も多い気がするのです。

子供を競争道具というか、自分のアクセサリー、自分の成績表にしてしまう部分があって、それは子供には厳しいし辛いです。いつもいい子でいるのはね…。

無条件の愛って、子供の成績や性格、容姿、才能など、恵まれていても大袈裟に反応せず、もし足りないと思う部分があっても、そこを気にせず指摘せず、その子なりのいい部分を引き出して認めてあげることなのでしょうね。

そうされて育った子供は、自分が自分でいいのだと、そのままを認めてあげることが出来るのではないかと思うのです。

私も煩悩の塊です。時々、そんな自分にがっかりすることも多い未熟な母です。

でもね。人間である以上、至らない部分はあるので、100%の親なんていませんよね。

子供にも親のことを、許してもらわなくてはいけないでしょう。(自分に甘い私…)

親も子を許し、子にも親を許してもらう。

認め合い、許しあえたら、決定的な大問題にはならないと思うのです。そう思いたいな。

最終的に大人になったときに、子供がきちんと生活力を身に着け、精神的にも自立し、人に愛され、自分も愛することが出来たら大成功ですよね。

もう少しだけ続きます

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愛を感じないパターン

私は親の立場と子の立場、両方を経験しています。
でも、未だに、子供だった時の気持ちは忘れることはないと思います。
そのくらい、子供時代の思いは強烈です。それが私を生かしているのかもしれません。
   
そして、親になった今はミックスです。親としての分別を持った私と、子供時代の心を持った私。そのミックスで育てているような気がします。
  
子育てに自信なんて全くありません。今も色々なことに反省したり、思い返してしまう毎日です。
でも、子供を愛していることはまちがいありません。
   
心底子供に興味がない親か、ひどい虐待をする親以外は、ほとんどは、子供を愛していると思います。
自分の遺伝子を受け継いで、自分の血を引いた子供を愛さない訳はないと思うのです。
  
なのに、親の愛が、子に愛として受け取られないのはどういう時か、私なりに考えてみました。
あくまで私の私論なので、反論がある場合もあるかと思いますが、流してくださったら嬉しいです。
 
まず、親が子供の人生で、もう一度生き直そうとしている場合。
 
目の前にいる子供には、無限の可能性が秘めているように見えます。未来の時間はたっぷりあるし、何もかもこれからはじまるのです。
逆に社会人である自分にある可能性は、たかがしれています。(本当はそんなことなかったとしても!)

自分が叶えられなかった夢、失敗した経験、こうしておけば良かったなど、それを子供の人生をもう一度生きることで取り戻そうとすることがあります。
親としては、いい人生を歩んで欲しいがためのことなのに、子供には子供の個性があるので、段々と受け入れられなくなってきて、そこで歪みが生じてくるのです。
そこで気付けばいいのですが、親が愛だと思ってしていることなので、なかなか目が覚めないかもしれません。
  
親の期待が大き過ぎる場合
  
親は子のために、自分の経験を踏まえて子供を自分のような苦労はさせたくない、もしくは屈辱は味わわせたくないと思います。

例えば自分が高卒で、社会で苦労しているから子供は大卒にしてあげたい、という思いがあったとして、子供もそれにいつか同調した場合は、こじれは消えると思います。
 
でも、見栄や形式で押し付ける場合は容易ではありません。
親が例えばですが医師夫婦の場合、子供は医師に…と思うのが自然なことのようです。
  
でも、その重圧に耐えかねて、現在、家庭内殺人など、沢山の事件が起きています。
その子に医師になる運命があれば、何も働きかけなくても努力したり、その道を見つけるのかもしれません。
私は甘いのかもしれませんが、そう感じます。
  
でも、親がなんとしてもこの学校をこの成績でクリアして、外科医になってもらわないと、と、そこまで決めてしまった場合、そうならない子は、憎しみの対象です。
自分の思い通りにならない子は、その期待が大きければ大きい程、憎しみは増し、究極は暴力となって噴出することになってしまいます。
実際、私の知人は、かなりの暴力を受けたそうです。それが子供にとって愛と受け取れるでしょうか?
親は愛と思っているでしょう。愛しているから期待するのですから。
でも、子供にたいして、それを愛と思えというのは酷な話だと思いませんか?
 
親が子供に無関心な場合

嫌いではないけれど、無関心なのです。
もちろん、子供だから可愛いし、愛しています。でも、自分の方が大事なのです。
だから、子供は後回し。順番としては、3番とか4番とかでしょうか。
 
そういった順位は、子供なら無意識に感じます。
それが淋しくて、注目して欲しくて、荒れる場合があると聞いたことがあります。関心を持って欲しい、注目して欲しいという気持ちの裏返しで問題行動を起こすのだとか。

職場のYさんは、まさにそのパターンで、親の愛を感じたことがなくて、淋しくて不良になったとか。
今も完全にその傷は癒えてないままです。腕には無数のリストカットの後が残っています。
 
この場合のYさんの親も、Yさんをとても愛しているのです。
でも、Yさんもそれを今ではわかっているのです。

理性と感情が相反するから、苦しいのだと思います。

それがその親にとっての精一杯の愛なので、どうすることもできなかったのです。
 
続く

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愛なのに愛ではない

私の職場には、大人の姿をした子供たちが沢山います。

見ていて辛くなるくらい、苦しい心の闇を抱えている人がいます。
  
Yさんは、自らトラブルを起こすタイプ。そして起きたトラブルには必ず巻き込まれるタイプ。
キャパが狭いのにトラブルに巻き込まれるので、泣いたり怒ったり。それ以上のストレスがたまると、物を投げたり、叫んだりするのです。
ある心理学を学んだ女性がYさんを見て、「お母さん、お母さんと呼んでも「後でね」と振り向いてもらえなかった状態のまま、今も、誰かに自分だけを見て欲しいと必死になってアピールしているように見える」という言葉に、そういうことなのか…と少し理解できた気がしています。

  
Iさんは、とても頭のいい人で、子供の頃から期待されて勉強、勉強で優等生で来ました。
でも、無条件に愛された訳ではなく、「頭が良くて優等生な子」だから愛される、逆にそうでなければ愛されないと言う危機感があって、ずっとその線路をひた走り、大人になって結婚が破綻してから、親子関係の悪さが表面化し、大人になってから思春期のような反抗が何十倍にもなって起こっているようです。

Iさんご自身のお子さんとの関係もやはり荒れていて、3代に渡り、今になって苦しんでいます。

 
  
親がとてもエリートだと、親は子にその道を進んで欲しいと思うようです。(全員ではありません)
とても優秀な家庭で育ったKさんは、そのエリートコース以外の道を歩く以外は人間ではないと言われ罵倒され、暴力を振るわれ、親を信じられず、憎み、苦しんで苦しんで、精神的にも病み、でも、良かったのかどうか分かりませんが、結果、生きるには親のいう道しかないと思い、エリートの道を最終的に歩むことになります。
実現したから良かったですが、子供時代に愛されなかったという思いは、大人になった今も消えることがないとのことです。

今も親を信頼はしていないだけでなく、誰のことも信頼できないのに、どうでもいい人の言葉には引っかかってしまう弱さもあります。

 
 
上に書いたことは一部の人ですが、すべて本人から聞いたことです。親から見たら意見はまた違ってくるでしょう。でも、子(今は大人ですが)から見たら、それが事実なのです。
自分を愛し、受け入れることが出来れば人は幸せ感を感じることができると思うのです。でも、小さい頃に無条件で愛された基盤がなければ、なかなかそれが出来ないのだと思います。

 
  
そして、私は人が見たら絶対に分からない自信がありますが、とても苦痛な子供時代〜思春期時代を送っていました。
私の体験を話したとして、それは大変だったねと思ってくれる人もいると思います。逆に、それは甘えだと思われるかもしれませんし、大した事ないと思われるかもしれません。
  
ただ、私が思うのは、人は自分が感じた事が全てなんだろうなということ。
大人になっても客観性を持てない人が多い中、やはり、人の苦しみ、喜び、悲しみは全て、主観性によるものだと思えるのです。
  
他人から見たら大した事がないと思ったとしても、本人が感じて、悲しいと思う以上、その人の気持ちになって理解することしか出来ないのだと思うのです。

私の職場に、これだけ苦しんでいる人が複数いるということに、何か意味があるのではないかと考える日々なのです。
   
私自身は有り難いことに、親から受けた精神的ダメージはなくなった訳ではありませんが、かなり癒えています。
それは今までに出会った人たちが、そのままの私を好きで受け入れてくれたからです。
だから私は自分を信じられて、自分を好きでいられるのでしょう。

それから、本が好きだったことも私を助けてくれました。

    
でも、癒しにたどり着かない人たちの苦しみを見るにつけ、話を聞く事しか出来ないけれど、親が愛だと思って育てていたりしている行動が、その子供が大人になっても一生涯、引きずる苦しみを生むとしたら、何て恐ろしく大変なことなんだろうと思うのです。
  
親にとっては「愛」なのです。
でも、子にとっては「愛」ではない。
   
どうしてなのかなと考えてみました。
  
続きます

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親の愛が子に伝わらない という話

いわゆる「アダルトチルドレン」という言葉がありますよね。
親に愛されない、もしくは愛が伝わらず、心に渇望したものを抱えながら大人になった場合、癒されない痛みや悲しみがブラックホールのように心に留っている。
年齢は大人だけど、心は子供のように不安定で成熟しきれない。
(正式な精神論とは多少違っているかもしれませんが、私の解釈なので、その場合はお許しください)
  
私が知る範囲ですが、大人になるまでの間に、親との関係に対して、苦しみや葛藤がある人は多いと思うのです。
小さな喧嘩程度以上の問題もなく、葛藤もなかった人も稀にいると思いますが、逆にそれは一般的ではなく、特別で幸せなことだと思うのです。
  
現実問題、多かれ少なかれ親子では必ず葛藤がおきます。
もしくは親や家族、親戚の揉め事が、子供の心に深い傷を追わせるかもしれません。
  
親子であっても別個の人格、個性がありますよね。
そして、親もまだ未熟なのです。
子供も学校で大変でストレスがある上に、心がピュアで傷つきやすく、一つの物事を主観的に大きく捉えてしまうのかなと思うのです。
    
そして、親子は一代限りではないんですよね。

親であっても、その親には親がいて、その上にも親がいて、代々、伝わってきたものが流れているということだと思うのです。
   
例えば、虐待の連鎖でもいわれるように、親に虐待された子は虐待してしまうというという、悲しい連鎖。
また、私も自覚しているのですが、親に言われて嫌だった言い方を、ふとした時に口にしてしまうことがあります。
   
嫌だと思っているのに、ふと出てしまうのは、いつもされていたことが染み付いているからなのでしょうか。
   
基本的に、私は、自分がされて嫌だったこと、悲しかったことを子供に味わわせないように、気をつけています。
私の親も、きっと自分が嫌だったことを私に味わわせないようにしたいと思って、育てたことでしょう。
だけど、気付かずに、自分がされてなくても、してしまうこともあります。
自分がいいと思っても、相手がいいと受け取らないかもしれない。
  
一般的にどの親子でもきっと葛藤はあると思います。
ただ、明らかに、親側が悪いと思うことも多いのです。
子供は何も知らずに生まれてくるのですから、気質や突発的な遺伝子があるとはいえ、親や環境によって心の基盤が育つと思います。
  
私自身、自信はないのですが、親の愛はまちがいなく愛だけど、子供にそのまま伝わらなかった場合、とても悲しいなと思うのです。
     
この話は長くなるので、続きます。

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友人の親子

昨日、友人から相談を受けました。
高校生の娘さんが、自分の財布からお金を盗んでいるみたい…と。
  
プライバシーの問題もあるので(ちなみに、彼女は私がブログをやっているのは知りませんが)、詳細は書けませんが、あまり親子関係がうまくいっていなくて、他にも問題症状があり、友人もお子さんも悲鳴をあげている状況です。
   
私は友人と話していて、自分と重なる部分を感じました。
同時に、娘さんの気持ちに、すごくリンクしてしまったのです。
   
一生懸命、社会に出ても大丈夫な、責任のある子に育てたいと思う、親心。
その親心が、子供を叱り、追いつめることになる。
   
そんな切羽詰まった状態のお母さんの元で、悲鳴をあげる娘さんは、どれだけ辛く苦しいでしょう。
お母さんは一生懸命。責任もある。
でも、その一生懸命さが余裕をなくし、娘を厳しい目でチェックすることになる。採点することになる。
採点され、チェックされる娘さんが無防備に幸せを感じられる訳がありません。
  
そして、あまり叱られてばかりいると、愛を感じられないのです。
  
お金を盗ったことはいけないこと。
でも、それをせざるをえない心境であれば、叱ることで逆に関係を悪化することになってしまうでしょう。
嫌いな親から盗る行為は、反省には結びつきません。
子供にも理由があるのですから、正当化するだけです。
ならば、叱らず共感してあげれば、まだ完全に破綻していない親子関係の子供なら、きっと内心、悪い事をしてしまった、と思ってくれるでしょう。
  
私は友人の件を通じて、私自身を振り返ることが出来ました。
一方的に裁くだけの関係では、うまくはいきません。
親が管理したり、監視したりする関係ではなく、関心を持って共感してあげる関係なら、きっと色々と話してくれると思うのです。
   
否定されないと思えば、話すことに躊躇しなくなるでしょう。
子供の意見をまずは聞いてあげること。
一度は受け入れてあげる。
その上で、人生の先輩として意見があれば、冷静に話し合えばいいと思うのです。
子供にとってその意見を受け入れてくれなかったとして、どこかには残っていると思うのです。
それが、いざという時に役に立つかもしれません。
そして、親と心を開いて話し合ったことが、親子の間に友情を生むと思うのです。
    
私の親の時代には、厳しく貧しい時代でしたから、親のいうことだけを聞いて、親を尊敬していていい時代でした。
私の時代はもっと、子供の意思がはっきりして、親を厳しい目で見るようになっていきます。
今は、子供の人権が正式に認められている時代です。
親だからといって、自分の価値観を押し付けるだけでは、うまくいかないでしょう。
   
私が思うのは、親が厳しくしつけたり、熱心すぎると、親子関係がこじれます。
こじれると、大事なことも伝わらなくなってしまう。
大事なことを言えなくなってしまう。
本当は子供を幸せにしたくて、育てているのに、逆に親に逆らって、不幸な道を選択していくかもしれません。
それはどれだけ辛いことでしょう。
   
私の好きな児童心理研究家(元教師)の、親野智可等(おやの ちから)さんは、こうおっしゃっていました。
    
子供を叱らなくてはならないような、子供の欠点は、全て、容認してあげて欲しい。
もし、うまく工夫して導けるなら、その工夫はするべき。
でも、叱ったり指導しようとすると、親子関係がこじれてしまう。
こじれた親子関係では、何もいいものが生まれない。
また、こじれて居心地の悪い家庭になってまで、叱ったことから得られるものはない。
逆にいえば、その欠点が治らなかったとしても、親子の間柄が仲のいい方がずっといい。
  
私も同感です。というか、親野さんのおかげで、その考えを引出してもらえました。
今回、友人を通じて、私自身も戒めることが出来たと思います。
  
友人はすごく賢い人なので、娘さんを叱ることはありませんでした。
まだまだ、山はあるかと思いますが、私も友人親子がいつかきっと、仲良く笑って過ごせる日がくることを信じています。
 
そして偉そうに、色々と書いた私そのものが、母から厳しく管理しようとして育てられ、脱出するために反発した経験があることを補足させて頂きます。
だから、子供の気持ちが分かる部分もあるのです。
ただ、親となってしまうと、親としての気持ちも備えてしまうため、完全な子供だけの心では親というものを勤めることが出来ない(出来るのかもしれませんが、私が修得していない)ので、やっぱり私も日々、葛藤し成長していっている現状です。

聞いてくださって有難う!

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息子 中1 思春期前期

3日に渡って、私の息子への思いを聞いて頂きました。
  
私の本音を書くと、何か事件があった訳でもないのに、こんなに元気をなくすこともないのかもしれません。
でも、それぞれ、ツボがあって、元気をなくすツボはそれぞれが違うのかなと思うのです。
  
遠い中学に通ったからといって、同じような状況にならない方も多いと思います。
私の場合、たまたま小学校がアットホームで仲良かったこと。中学が遠い中学で様子が見えないこと。
息子自身が、小学校と中学の雰囲気が違うことに戸惑った事が重なって、親子で元気がなくなったのだと思うのです。
  
私の親としてのキャパが少なくて苦しいのだと言った時、私をよく理解してくれる年下の友人が、「キャパがない訳じゃなくて、社会に出ていて沢山のことが分かるからこそ心配なんだよ」と言ってくれたこと、とても嬉しかった。
  
まだ、息子が抱えている問題は、解決した訳ではありません。
きっと、解決はなく、次々と新たな問題が起こり、それを乗りこえて行くことで成長していくのだと、今はそう思える私です。
学業の方も、本当は本気出さないとまずいのですが、それも息子がギリギリになった時に、自覚しないと今言っても分からないでしょう。
  
先を歩いている親としては、今の現状も未来も見える気がして、居ても立ってもいられないのが本音ですが、もう右往左往せず、静観しようと思うのです。
出来るかどうかは自信ありませんが、そう思うことが一歩かなって。
  
気付いたら声変わりがはじまった息子。
7月頃だったかな?
大人への自立の階段を登り始めた息子です。
夏休みに遊んだ小学校時代の息子の友達は、まだ声変わりせず、可愛いままで、お母さんの懐に包まれているように見えました。きっと、高校に進む時に、自立して巣立って行くのでしょう。
  
私も後3年、手元に置きたかったな! (一人暮らしという意味ではなく、目の届く所にいてもらえば良かったという意味です)と思うこともあるのですが(なかなか、煩悩から抜け出せない〜。未熟な私)、これも流れと時期なのかもしれません。
  
元々おっとりした、のんびりした息子なのに、こんなに早く思春期が来るなんて、私も、息子を知る友人も驚いています。環境の変化が思春期を早めたのでしょうか。
  
いい距離感で仲良しだった息子と私ですが、新たな関係を築いて行かなくちゃ。
息子の成長を足を引っ張る親にだけはなりたくないですから。
  
それでも、世話焼きの私をうるさがりつつ、求めてくる息子。
思春期って、そういう時期みたいですね。遠くへ行ったり近くに来たり。そうしながら、親との距離感を自分で模索していくのでしょう。
  
私にわざと突っかかってくることもありますが、それもホルモンがなせる技?
突っかかってストレスを発散しているようにも思えます。
いちいち私はそれに反応せず、流しています。
そういう時期かなと思えるので。
  
また、思春期話は経過を聞いてくださいね。
  
中学に入って、元気も自信も無邪気さも、少しずつなくしていったようにみえた息子。
私は今は分かるのです。成長するために、捨てなくてはいけないものがあることを。
これから、大きく羽ばたくために、一度は手放す必要があることを。
  
いつまでもしょげたままの訳ないよね。
心からそう信じられるのです。
  
何しろ、息子は、無限の力を持った魂の原石。
私の友人が、息子を信じることを教えてくれました。
プラスに育ててきたんだから、育ててきた自分を信じなくてはと言ってくれた言葉に、そうだ、私は息子を応援すること、助けを求められたら力になること、見守ること、信じることしか出来ない。
でも、それが出来るのはすごいこと、と思えたのです。
直接力を貸すより、見守ることの方が、ずっと大変で、エネルギーがいることを知りました。
  
ようやく山の3合目まで来たのでしょうか? もしかしたら、まだ1合目だったりして…。
3日間、私の心の整理に付き合ってくださって、有難うございました!
  
元々悩みを長く持たない私が、今回長い間引っかかっていました。
それがなくなった訳じゃないけれど、私も親として、人として成長させてもらっています。
  
感謝☆

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息子 中1 夏休み

親として苦しい1学期が終りました。
長い夏休みがはじまります。
でも、その長い夏休みに与えられた宿題は、ものすごい量でした。
  
要領のいい子なら、1日2時間と決めて、集中してこなせば、後は、楽しんで暮らせるかもしれません。
でも、なかなか集中できず、取りかかりも悪い息子にとって、後回しにするほど、大変な量となってのしかかる宿題。全教科から出ている宿題ですから、本当にすごい量でした。
私の時代は勉強する時代でしたから、このくらいこなしていたのでしょうか。あまり記憶にないのですが。
  
息子もせっかくの夏休みですから、遊びだって当然必要。
学校の友達と遊んだり、小学校時代の友達と遊んだりして、楽しそうでした。
笑顔の息子を見るのはとても嬉しかったです。
  
私の両親の家にも泊まりに行ってきました。
他にも色々な楽しみがあり、もちろん、私とも出かけましたし、私の友達たちとも仲良しの息子は、一緒に旅行もしました。
  
ただ、現実に戻ればすごい宿題が待っている訳で、それをめぐって険悪な日々。
  
私の友達に私の落ち着かない、苦しい気持ちを聞いてもらって、私自身が間違っていたことに気付きました。
確かに親ではあるけれど、息子が大変になるのを予想して助けることは、逆に息子を自立させなくなってしまうこと。先走った心配は、プラスにならないこと。
挫折するなら早い方がいいこと。などなど。
  
視野の狭くなった私の繰り言を、飽きずに聞いてくれて、自分の過去や失敗した例も含め、親兄妹のことまで例に出して、話してくれた友人数人には心から感謝しています。
  
そして、至った結論。
静観しよう。
  
本当は静観なんて出来ないくらい、焦っていたのです。
こんな量を今からやらないで終る訳がない。それは火を見るより明らか。
でも、私が先走って、あれやこれやと計画を立てても、いいことはないのです。駄目なら駄目で、息子が自分の始末をつけるしかないのです。
  
いえ、本当のことを申し上げると、1学期の成績が振るわなかったため、このままでは息子にとって不本意なことにならないとも限らないことを、学校からも暗に伝えられていた私は、ひどく心細く、心配だったのです。
  
子に幸せになってもらいたい。
無駄な傷を追ったり苦労をして欲しくない。
そう思うのは、親として当然のこと。
でも、それはやっぱり親のエゴでしかないと今頃になって分かったのです。
  
子供を幸せは、子供自身が自分の足で歩いてこそ、掴めるものなのでしょう。
小石があることを先に知らせたり、小石をどけることではないのでしょう。
小石につまづき、転び、起きることで、次に小石があることを予想しはじめる。いきなり、大きな石が転がる道に出る前に、自分で歩かせなければいけないのだ。
  
本当に今更で恥ずかしいですが、そんなことを自分で整理できたのは、8月も半分を過ぎてからでした。
もちろん、そこに至るには、友人たちの親身なアドバイスがあってこそ。
私って本当に幸せ者ですね!
  
そして、終らないと思われた大量の宿題は、息子の頑張りで全部終りました。
2日の日曜までかかり、連日夜中までかかりましたが…。
それでも、全部終った事自体、すごい。
  
最初から計画立ててやれば、こんなに苦労しなかったでしょうけれど、それも息子が自分で撒いた種を自分で刈り取ったのですから、すごいと思います。
  
息子の生きる力と溢れんばかりのパワーに、私はやっぱり感動したのです。
  
続きます

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息子 中1 春〜夏

息子が中1になり、生活は激変しました。
息子のプライバシーもあるので、ここで全部さらけ出せないのですが、支障ない範囲でお話しますね。

書けばたいした事ではなく、当たり前の分かっていたことなのですが、息子が中学に入ったことで、私がちょっと元気がなくなってしまったのです。

私自身、今年は元気が出ない年回りなのかしら(細木さんの占いだといい年周りみたいだけど!)と思うのですが、聞いてくださいね。

今までは、近くの小学校に通い、学校の先生が毎日マメに出してくれるクラス便りや、目に見える交友関係から、働いている私も安心して子育てできた小学校6年間でした。
この6年、大きな子育ての悩みがないのが逆に不思議なことなのでしょう!
決して当然と思っていた訳ではなく、日々感謝していましたが。

何しろ、息子の先生は子供の心を組んでくれる、長所を伸ばしてくれる熱血先生でしたし(一部、父兄の反発はあったようですが、完璧な先生なんている訳ないじゃないですか、ねえ!)、保護者やクラスメイトにも恵まれて、息子も自分を生かして元気に楽しく生活していました。

勉強も問題なかったし、人間関係も問題なく、沢山の活躍する場を与えてもらい、キラキラ輝く息子でした。
ちなみに、通っていた小学校は誰もが主役になれる学校でした。
必ず、誰もが輝く力を発揮出来る場所がり、もっと輝きたいと思えば、もっと輝かせてくれる場も与えられました。

息子は色々な先生方、主事さん、非常勤の先生、保護者の方に可愛がられて、長所を伸ばしてもらえました。
得な性格でもあり、また、いい巡り合わせも沢山ありました。

そんな息子が選んだ中学も、合格した時、やっぱり縁があったんだね! と心から嬉しく思ったのです。
ただ、心配なのは、遠い中学だったこと。何もこんなに遠くの学校に通わせなくても…と、私の両親も、私自身、受かった後で迷いました。

中学に入り、様子見の4月が終わり、GW明けから、歯車がズレ始めました。
学校が遠くなり、生活が見えなくなり、知り合いもいない中、息子が人間関係でちょっとしたことがあって元気がなくなってしまったのです。私も様子が分からず、心配は増すばかりでした。
そして、予期しなかったのが、勉強が難しかったことでしょうか。
元々、勉強に面白みを感じていない息子が、置いて行かれるのは分かりきったことでした。

でも、苦しんでいた私は決して一人ではありませんでした。
子供の小学校時代の知り合いの保護者の方や、自分の元々の友人たちに話を聞いてもらって、同じ場所から抜け出せない私はどれだけ助けられたことか。

公立中に進んだクラスメイトたちは、保護者や先生の手の中で、変わらず大事に守られながら暮らしているようでした。勉強も友達同士で教え合ったり、保護者が情報交換しあって、子供を助けているようでした。

私立は通学範囲が広く、小学校の時のように、家庭を行き来するのは実質的に不可能でした。
いきなり広い世界に飛び込んだ息子は、無邪気さを少しなくし、元気も少しなくし、自信もなくし、私の目には、沢山のものをなくしていっているように見えたのです。

そして、私も子供を手放したような気持ちになり、淋しかったのだと今は分かります。

続きます

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天使の席

先日、新聞を読んでいたところ、杏林大学教授の柳沢厚生さんという方のエッセイが載っていました。

中学生になる娘さんから、「お父さんとご飯を一緒に食べると文句ばかり言うので嫌だ」と言われたとのこと。

そこで、席をお嬢さんの隣にしたそうです。

すると、数日してすぐに関係が修復したとか。

 

このエッセイでなるほどと思ったのですが、正面の席は「取り調べ室の席」と言って、相手を緊張させる効果があるのだそうです。

逆に隣の席は「天使の席」と言って、人の心を開く席なのだそうです。

確かに顔は正面から見えないけれど、相手の雰囲気が伝わり、考えていることを伝えやすいかもしれません。

 

そういえば、喫茶店などで席が4つあった場合、正面に座るより、斜めに座った方がいいと聞いたことがあります。

それも心理学的に関係してくるのかもしれませんね。

「天使の席」という言葉がとても素敵な響きだなと思った私です。

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ポシティブな子供を育てる

私は子供にはこれだけは伝えたいと思うことがありました。

まず、人間としての思いやり。これは本当に大事ですね。

次に世の中のルールを大事にすること。時間を守ること、約束を守ること。

プラスして、柔軟さを兼ね備えられたら…と思うのは欲張りでしょうか。自分の芯はしっかり持って、嫌だったらNOが言える人間になること。

その上で、人の意見を聞いてあげられる柔軟さを持てたら、社会生活に苦労することはないでしょう。

でも、これは私が伝えることというより、自分で学んでいくだろうと期待しています。

    

さて、私が特に伝えたかったことは、ポシティブシンキング(前向きな思考)です。これは現段階では誰もが認める、息子の長所となっています。

 

もちろん、これから思春期を迎えます。自分に自信がなかったり、人の賛同を得られなかった時、揺らぐこともあるかもしれません。

そんな時でも、最終的に助けてくれるのはポシティブな考え方だと思うのです。

 

雨が降ったとき、ああ、雨が降っちゃった…と落ち込むのか、いつまでも降る訳じゃないし、雨が降るのもたまにはいいかもと思えるのか。

起きた現象が同じであっても、自分の心の捉え方で、ガッカリしたり残念だったりする気持ちは少なくてすむと思うのです。

私が思うのは、明らかにプラスが増えるだけでなく、マイナスが減ることだけでもプラスだと思うのです。

 

私は具体的に息子にしてきたことといえば、大した秘策がある訳ではないのでがっかりされるかもしれませんが、聞いてくださいね。

 

1. 基本的に否定はしない

「あなたは…だから」

「こうに決まっているじゃないの」

「こういうことは苦手よね。下手よね。向いていないわよね」

という、可能性を否定する言葉は口に出ることはあまりありません。特に気をつけている訳ではないのですが、言おうと思っても馴染みがなくて言えないのかもしれません。

でも、私も絶対ではないので、ふいに成り行きで言ってしまうこともあるのですが…、必ず謝るようにしています。

もちろん、明らかに息子に向いていないと思う部分もあるのです。

これは才能がないなと思うこともあります。

でも、口にしてしまったら、本人が自覚してしまうでしょう?

もしかしたら、自覚しなければ、努力するかもしれないのに、自覚したとたん、やっても無駄と思うような気がするのです。

私は、もともと暗記が苦手ではなかったのに、何かのはずみで苦手と思った瞬間、本当に覚えられなくなった時期があるのです。

なので、人間って暗示に弱いと自分で知っているからことかもしれません。

それから、これは別にたまたまなのですが、子供が小学校入学前まで、ものすごーーーく絵が下手でした。

顔を描いてもただのなぐり書き。誰もが絵とは認められない代物でした。でも、私は、無意識のうちに褒めてました。うまくしようと思った訳ではなく、正直、あまり深く考えていなかったのかもしれません。

それが良かった訳でもないと思うのですが、小学校に入ってから、息子の絵がぐんぐんうまくなって(といっても、子供らしい上手さで技術はありませんが)、4年の時に区の展覧会に選ばれた時はビックリしました。

なので、子供の可能性は本当にわからないので、目先のことで、駄目だなと思わない方がいいかもしれません。

 

2.注意はその場で

ある程度大人になれば、きっと遡っての注意や話し合いも可能かもしれません。でも、まだ子供のうちは(この子供がいつまでかは、個性によるかも)、その場で注意して後に引きずらないこと。

朝失敗したことを、夜注意しても、子供自身覚えていないうえに、嫌な気持ちが残るだけ。なので、その場で注意したら、あとは忘れる。

もちろん、一度注意しただけでは直らないので、繰り返し、繰り返し。

いつまでも繰り返しのまま…、現在なのですが。(笑)

まあ、これは家のことなので、色々な家庭でそれぞれの方法があると思います。

3.長所を褒めて伸ばし、短所は明らかに直さなければならない部分以外は触れないようにする。

例えば、その子の人生において、これは直しておかないと、みんなとうまくやれないというような癖があれば、多少の修正は必要だと思うのです。

でも、言ってもどうにもならない短所は、もちろん、人並みにしてあげることも大事だけど、それよりも長所を褒めて、自信をつけてあげて、伸ばした方が、短所も引っ張られて伸びていくことがあると思うのです。

人って本当に不思議です。自分にできることが増えていくと、ほかの部分でも積極的になったりできるんですよね。

 

とまあ、当たり前のことばかりでごめんなさい。あとは普通の会話の時に、何か話している時に、私の考えを求められた時に、自然に前向きな考え方を話しています。

そういうことも移っていくのかもしれませんね。

 

また、何か思いついたら書かせてくださいね。

私の子育ては正直、完璧ではないため、あまり参考にならないかもしれません。ついでに言えば、ポシティブなのに、あまり欠点がないという人はかなりスペシャル!

私は自分でも自覚する大ざっぱです。そして息子も…。

ポシティブとは、ある意味、「なるようになるさ」的な所があるので、お気をつけください。

それが致命的にならないようには気をつけています。おおらかさも度を超すと大変なことになっちゃいますから。(笑)

それではまた♪

読んでくださって有難うございます。

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卒業式でした

今日は息子の小学校の卒業式でした。

ほんのちょっぴり涙が出たけれど、笑顔、笑顔の卒業式でした。

息子の小学校はとても小さな小学校で、数年後に廃校が決まっています。

地域に子供が少なくなってしまったのです。

でも、その代わりといっては何ですが、小さな学校ならではの良さが満載の学校でした。先生方が生徒全員の顔を知っていて、子供たちも明るく伸び伸び、個性を認め合いそれがいじめにつながるようなこともなく、健やかに育ってくれました。

  

学校の先生方、保護者の方に感謝しています。

こういう温かな学校で育った心があれば、きっとこれから大きな世界に出てもやっていけると信じています。

正直、今更ですが、遠くの中学校に通うことに少し心配も出てきてしまったのです。

でも、きっと大丈夫と今日思いました。

明るく元気で、生きる意欲があれば、どこでもやっていけると思います。

小学校最後の成績表に書いてあった先生の言葉、「ポシティブな性格が長所なので、これからもその部分をなくさずに中学でも頑張って」と書いてあり、嬉しくなりました。

ポシティブシンキングこそ、私が息子に伝えたかった一番のこと☆

息子の明るさと笑顔に周囲が幸せになってくれたらいいなと思います。

(私事ですみません)

さて、また明日から新たな毎日がはじまります。頑張らなくっちゃ!

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子育てに思う 忍耐について

私が一番忍耐がないと思うのは、いつも子育てのことです。
 
他のことに対しては、そこまでイライラもしないのに、どうしても真剣になりすぎてしまうのが子育て。
子供に対しては、心配だったり、幸せになってもらいたかったり、そんなことを考えると、どうしてもうるさく注意したりしてしまいます。
 
私は働いているので、家にいるお母さんより目がいかないかもしれませんが、それでも、一人しかいない子供なので、集中していると感じています。
 
親子だからという安心感もあるのでしょうか。
言ってはいけないことまで言ってしまう私。
言った後で反省するけれど、親子だから許してくれるだろうと思って、安心している私もいます。
 
でも、これは良くないなと分かっているのです。
親子だから許すしかないけれど、言われれば傷つくし、他人じゃないから割り切れないことも出てくるでしょう。
 
一歩も二歩も下がって、子供を育てなければと思うこの頃です。
 
ああ、でも、やっぱり大事なことを伝えたいし、良く育って欲しいし。
そう思うと、真剣になってしまうのです。
 
子供を育てるって、植木を育てることに似ているのかもしれませんね。
 
大きな幹を育てるために、日光にあてて水や肥料をあげる。
でも、あげすぎると根腐れしてしまうし、あげなければ枯れてしまう。
日光の当たる角度次第で、曲がった幹になってしまうでしょう。
沢山枝が出たら剪定してあげないといけないし、花が沢山咲くからといって咲かせていては、栄養が足りなくなるかもしれません。
 
でも、植木と子供が違うのは、意思があること。
そして、育って行くうちに自分で自分のことを管理できるようなることです。
 
だから、本当の子育ては、自分で自分を管理できる人間に育てることかもしれません。
育った後は、自分で自分の枝を切ったりのばしたりしていくことでしょう。
そこに至るまでが大変だし、また忍耐の連続なのです。
自分で自分を管理できる人間にならなかったら、私はやっぱり反省することでしょう。
 
でも、子供自身が失敗から学ぶでしょうし(学んで欲しい…)、何があっても責めずに見守るしかないのが親だと思うのです。
 
そう考えると親って切なくて苦しいなあと思ったりします。
手を貸したくても、頼られるまでは貸すことを我慢しなくてはいけないのですから…。
そして、自分自身の人生ではないので、何から何まで言う権利はありません。
でも、自分自身のことのように、大事な存在なのです。
  
ここが複雑な部分だと思うのです。
境界線があってないのですから。
 
自分自身と同じくらい大事なのに、自分じゃない他人の人生。
そして、先に生きているから分かっていることも沢山あるけれど、子供は子供の人生を一からやってみる権利があります。
 
苦しくて、大変で。でも、大きな喜びもあるのが子育てなのかもしれません。
 
備考ですが、私は子供を育ててようやく、少しだけ待つことが出来るようになったと思います。もちろん、まだまだの人間ではありますが…。

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子育てでの「待つ」ということ

私には12才の息子が1人います。
大の子供好きだった私は、昔から子供は3人は欲しいなと思っていました。
でも、色々な事情で、現実には男の子1人。
初めての子育て、未知の男の子を育てる。
まさに初めてことばかり。
正直、大人だけの世界で楽しんでいた私にとって、子育ては苦痛の連続でした。

 

想像していたのと、実際の子育てが全く違うことを知り、そのギャップに参ってしまったのです。

自分の時間を作れない。
自分だけで遊べない。
大人同士の会話が出来ない。

子供の成長を楽しむことが出来ずに、苦しんだ時期も長かったです。

 

そんな未熟な私が学んだことは、「待つ」ということの大事さです。
今、子供にしていることが、今、結果になる訳ではないのです。
撒いた種がいつ芽が出るのかさえ分かりません。出ないかもしれないし、出るのは何十年後かもしれないくらい、気の長い話です。
ただ、一つたりとも、無駄な働きかけはないということも学びました。

 

息子に対して、手抜きの多い私が唯一気を配っているのが、「心を育てる」ということです。
人生を楽しめるような、土壌のある心を育てようというのが、私の大きな課題です。
それに伴って、食事には手抜きながら気を配っています。このことはまたの機会に。

心を育てるのも、やっぱりすぐには育ちません。
前に書いた記事の「スープを作るように」と同じかもしれません。

 

じっくり、ゆっくり、丁寧に。

いつか、息子が大人になった時に、ああ、「いい心」に育ったなと思えたら、息子自身が毎日を楽しんでくれていたら、私にとってこれ以上ない喜びだと思えるのです。

 

(ああ、でも、忙しくて慌ただしい毎日。ゆっくり、じっくりは、自分に言い聞かせていることなのですよ → 反省)

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