私らしく生きる

ご縁をつなぐ不思議について

みなさん、こんにちは。
白猫です。 

暮れも押し迫ってきましたね。
 
しばらく更新できなくてごめんなさい。
 
今月は少しエネルギーが切れたようで、
やらなければならないことも遅々として進まず。
   
 
本当なら今月中に終わらせるべき課題が終わっていなくて、
年末ギリギリですが、
なんとか底力を出して終わらせよう、と決意したところです。 
   
 
ところで、みなさんもご存じだと思いますが、
東洋の暦で言うと、
一年の始まりは、2月の節分の日からです。
 
ですので、本当の「今年」の終わりには
まだ1か月くらい余裕があります。(笑)
   
 
さて、今日はご縁の不思議について聞いてくださいね。
  
 
私は以前から、人と人とのご縁を繋ぐ経験を
何度かさせていただいたことがあります。
 
 
深い意図はなく、何気にとった行動が、
後で思い返すと重要な出会いのきっかけを作らせていただいていた
というような体験です。
 
  
重要な出会いの媒介については、
直感で紹介したり、直感で一緒に食事をしたりというレベルです。 
  
  
そこからの繋がりで、ある人にとって、人生の通過点で必ず出会うべき人
(人生を思い返したとき、記すべき人)
に出会っていくのを、何度も見させてもらいました。
 
 
今年もそのような媒介の経験をしたように思います。
今年つないだご縁が、今後どのようになるかは未知数ですが、
将来に影響するご縁をつなげたのではないかな、と想像しています
 
 
人と人とのご縁は、本当に不思議です。
 
意図して何かできるようなことではなく、
決まっていたことの筋書きに、私が動かされたような体感なのです。 
 
 
ある人がこのようになりたいという希望があり、未来がある。
 
現時点では、そのために必要な人が誰かも、自覚されていません。
 
 
詳しいことは少しぼかしますが、
本当にあった話です。
 
Aさんという方が起業されました。
 
3年前のAさんは、起業など露ほども考えていらっしゃいませんでした。
 
起業する3年ほど前、
偶然、私がBさんを紹介することになりました。
 
AさんがBさんから聞いた話がきっかけで
人生の目標が絞られました。
 
その後、Aさんが努力され、
直観を大切にして行動したことで
ご縁やチャンスが整い、
Aさんは起業されることになったのです。
今も順調に進んでいらっしゃいます。
 
 
その道のりは、Aさんが意図してそうしたというより、
そのようになっていった、というような
川の流れを見ているようでした。
 
 
Aさんが起業するのはAさんの人生にとって
必要な出来事というか、決まっていたことではないかな
と私は後になって腑に落ちたのです。
 
Aさんにとって起業することが必要だったということは、
宇宙レベルで、社会としても、
起業してもらうことが必要だったのだろうと思うのです。
 
なぜなら、エゴ(自分の欲)だけでは、
良い展開は起こらないからです。
 
 
もし、私がAさんにBさんを紹介しなかったらどうなったでしょう
きっと、他の人からBさんを紹介されただろうと私は想像しています。 
 
ですので、私が重要だったと言いたい訳ではないのです。
 
一つ言えるのは、Bさんを紹介するのは私が最短のルートだったのかな
と思うのです。
 
 
その時はわからなくても、
後で思うと、自分にとって重要な出会いや、
このご縁がなかったら、今の自分はない。 
 
というようなことは
どなたでも必ず何回か経験されていると思います。  
 
 
良かったら、振り返って考えてみてくださいね!
 
不思議な偶然が重なって出会った方こそ、
人生にとって重要な人だった、ということがあると思うのです。
 
 
例えば計画的に、何かを達成したいから、
そのためにこの人に会うことが必要だと考えて、
積極的に行動する方法もあります。 
 
これは自分でターゲットを決めて、ご縁を作っていく方法です。
 
この方法は、自分の頭で考えた計画であり、
頭で考えている以上、自分の能力を超えたことは起こりません。
    
  
それよりも面白いのは、
自分で計画していないけれど、
漠然と心の中に希望や、信念、思いなどがあり、
それを心に持っていることで、引き寄せる運命やご縁です。
 
 
その出会いは、自分では想定していない、
ものすごい出会いだったりするかもしれません。
 
想像もしていなかった人生が開けるかもしれません。
 
 
縁には良い縁、悪い縁があります。  
 
  
このご縁がなければ、詐欺にあわなかった。
こんなひどい目にあわなかった。
 
 
などの悪縁もあるかもしれません。
 
 
良い縁を引き寄せるには、
やはり自分自身が良いご縁にふさわしくなるための、
最低限の努力は必要だと思います。
 
 
他にも、直感を大切にする。
直観を感じたら行動する。
 
心の中にかなえたいものがある。
熱意がある。
 
なども、
引き寄せる力を強くする一因かもしれません。
 
 
必要なご縁は必ず訪れるんだな、
と人とのご縁を媒介させてもらったことで、
しみじみ実感した、2016年の私です。
     
みなさんにとって、良いご縁が訪れますように☆
いつも読んでくださってありがとうございます。 
年内にまた更新させてくださいね!
 
白猫

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嫉妬しない秘訣 

皆さん、こんにちは。

白猫です。 

 

ふと思ったことがあるので、聞いてくださいね。

 

最近、私の周りに
 
明らかに「良いこと」が訪れている人、

「よい出会い」が訪れた人からの報告が増えてきました。

 

私は周囲の人が幸せであることで、
私の心も安定するタイプなので、
嬉しいニュースをお聞きすると、とても嬉しく、温かな気持ちになります。

 

私が人の幸せを喜べるようになったのは、
(事柄によっては、喜ぶところまでいけなくても、
過度に妬まなくいられるのは)

 
色々な体験を経ているからだと思います。  

 

プライベートな体験も書かせていただきますので、
あくまで客観的なお話しとして聞いてくださいね。

 

まず、私の成育歴が影響しています。 

私の母は感情のままに生きるタイプ。
さらに、マイナス気質でした。
  

そんな母の、
ものすごい感情の波に振り回されて育った私は、
母が穏やかで幸せなら、私も幸せになれるのに、 

と、ずっとそう思い続けて暮らしてきました。

 
何しろ、当時はこのような母ですから、
友人もいず、専業主婦だったので、
ストレスのはけ口もなく。
 
家族にぶつけるしかなかったのかもしれません。

更に母は嫉妬深かったため、
母の嫉妬に毎日のように揉まれているうちに、
嫉妬は愛情じゃない。
エゴを押し付けているだけ
、と感じました。

 

まず、自分の負担を減らしたい。

 

私の欲求の一番上の方に、
身軽でいたい、自由でいたい
という欲求があるのは、
以上のような成育歴からくるものだと私は思っています。

 
ちなみに母は60代半ばくらいから
私に対してはかなり穏やかに接してくれるようになりました。

それにも理由があるのですが、また別の機会に聞いてくださいね。
 

次に、10代後半ごろに、人は人、自分は自分、という価値観になりました。

隣の人に幸せなことが訪れて、それをうらやましいと思って妬んでも
自分にその幸せが訪れる訳ではないこと。
 

つまり、明らかなよい出来事は、個人的なものであって
人に嫉妬してもしょうがない、と線引きが出来るようになったのです。 
 

これはどうしてそうなったのかな、と思うと、
私がピアノを勉強していたからではないかな、と思っています。

 

人がどんなに上手に弾けたとしても、

それをうらやましく思っても、自分自身の腕が上がる訳ではない。

 

だとしたら、練習するしかない。

そもそも才能の差についても、感じるものがありました。

  
最初から嫉妬の感情がない訳ではなく、

たくさん持っていた私だから、
外に向けるより、自分の行動に結び付けた方が健全でいられる

という割り切りが出来たのかもしれません。

 

自然と、人は人、自分は自分と思えるようになっていきました。

 

もちろん、私も人間です。

人をうらやましいと思う気持ちもあれば、
嫉妬する気持ちも持っています。

 

ただ、そのネガティブな思いにいつまでも囚われていると、
「私が好きな私」ではいられない、と思うのです。

自分を好きでいたい、と思う気持ちの方が、
いつでも、嫉妬の感情より上回るのです。

 

そして、最近、また新たな気づきがありました。

 

身近に良いニュースが訪れるということは
私にもそのようなニュースが訪れる前触れ。
 
もしくは訪れているという証だと気づいたのです。 
 
 
なぜなら、類は人を呼ぶ、というように
幸せな人の周りには幸せな人が集まるから。
 
 
周囲にうらやましい、と思うくらい素敵な人が増えたなら
それは間違いなく、自分も同じように素敵な人になっているということ。
(抵抗があっても、そう思いましょう!)
 
 
願いがかなった、という嬉しいニュースが
たくさん届きはじめたということは、
私も、願いがかなったよ、というニュースを
人に伝える日も近いということ。
 
 
なんだか、そんな空想をしていたら、
ワクワク、嬉しくなったので、記事にさせていただきました☆
 
 
皆さんの周囲にも幸せな人が増えてきたり、

 

幸せなニュースが増えてきたら、

 

 

 

「次は私」って楽しみにしてくださいね。
 
 
そして、周囲に「私は不幸だ、あの人のせいだ」
と、人の悪口や妬みばかり言っている人たちに
もみくちゃになって囲まれているより、
 
 
少しうらやましいな、と思うくらいの
素敵な人、幸せな人、穏やかに暮らしている人たちに
囲まれている方が、
ずっと負担がなく、自分自身も幸せになれるんだ、って
想像して、実感してみてくださいね。
 
 
周囲の人10人くらいが、みんな人の妬みばかり言う人たちだったら
(実はそういう職場にいたことがあります)
本当に心が折れそうになります。 
 
 
キラキラしている人たち
キラキラしたいと思っている人たちが
周囲にたくさんいる方が、
相乗効果でキラキラ輝けることは間違いありません☆
 

 

 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように☆ 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
また近々更新させてくださいね。
白猫

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直観と似て非なるもの 悪い予感をかき消すもの

皆さん、こんにちは。白猫です。
 
今日もカウンセラーの研修講座を受講していました。
また新たなレポートを書きます。 
 
大変ですが、知識が増えるのは喜びです。
 
皆さんにも少しずつでもシェアをしていけますように。 
 
 
今日は、直観に似て非なるもの。について書かせてくださいね。
 
あくまで私の見解です。
違うご意見の方もいらっしゃると思いますが、どうぞご了承くださいね。
   
  
先日のブログで直観を感じたら即行動について書かせていただきました。 
 
 
直観を感じたら即行動の法則は信頼しているのですが、
注意した方がいいこともあります。
 
 
それは、直観と似ているけれど、似て非なるものが存在しているからです。 
 
 
まず、直観には大きく分けて2種類あります。
 
良い直観と、悪いことを防ぐための直観(予感とも言いますね)です。 
 
 
まず、悪いことが起こりそうな直観(予感)。 
この直観は信頼した方がいいと私は思います。 
 
人間には遺伝子の中に、危険を察知する防衛本能があるため、
何か危ないと思ったら、直観が知らせてくれるそうです。 
 
とはいえ、人によって防衛本能の高低があるため、
新しいことへのチャレンジをすべて尻込みしてしまうと
可能性が狭くなってしまうので、もったいないですよね。
 
そのさじ加減は、みなさんご本人にお任せしますね! 
 
 
次に良い直観について。
 
この良い直観にこそ、本物の直観と似て非なるものがあるのです。 
 
私は恥ずかしながら、その差をきちんと受け止めず、
痛い目にあったことが何度もあります。
 
自業自得ですが、自戒の意味も含めて書かせてくださいね。 
 
 
直観で行動して大きな損失に巻き込まれた方について、
なぜ、危険を感じなかったのだろう、と想像してみました。
(自分自身のことだと、客観的に分からないので)
 
 
人は欲が絡んだ時、どうしても欲しいものがあった時、
直観に似た期待感が警戒心のレベルを下げさせて、
判断を間違える。
 
 
という私なりの答えが出ました。
 
 
欲というのは、人間全員が持っていて、悪いことではないのですが
分にあわない大きな欲を抱いて、大きな努力もなく叶うような件は
疑った方がいいと私は思います。 
 
 
例えば、投資詐欺など、
大きな利益が努力なく得られるような美味しい話を持ち掛けられ、
直観でいける!と思い実印を押してしまって、あとで後悔しても後悔しきれない…
 
このような時の直観は、直観ではなく、欲からくる期待だと思うのです。 
 
 
人間なので、誰でも欲はありますし、
棚から牡丹餅のようなラッキーがあれば、舞い上がってしまいますよね。
 
気を付けないといけないのは、大きなラッキーに見合う努力があったかどうか。
 
です。
 
美味しい話(あなたにだけ教えます、あなたが当選者です、のような)が来たときに、
その件についての努力をしたかどうか。
 
 
しないのに、そんなラッキーが来るのは不思議だと疑問に思えたら
本当の宇宙から訪れる直観と、欲からくる期待との差が見極められるのではと思います。 
  
 
例えば、正当な直観の通りに行動して、すごく良いことがあったとします。 
   
 
それについて努力したのかと聞かれたら、
していないこともあるかもしれませんが、方向性としての努力はしていると思うのです。 
  
 
例えば、一生懸命仕事をしていたら、ある日、直観が訪れ、
ネットを見たところ、自分の希望の会社が求人を募集していた。 
  
 
など、これは、普段の努力があった上でのラッキーだと思うのです。 
  
 
似て非なるもの
 
直観に似ているけれど、欲からくる期待の場合
 
ワクワクや高揚した気持ちの背後で、
必ず頭の後ろの方に「警戒」のサイレンが鳴っているはずです。 
 
 
目の前に美味しいお料理の乗ったお皿があり、
どうしてもどうしても食べたかった時、
例えばお腹を壊すかも…という直観があったとしても、
我慢が抑えられなければ、
ワクワクしているから、「これは食べろという直観だ」と思いこみ、
行動してから後で後悔することもあると思うのです。 
 
 
本物の直観は、完全に喜びやワクワク、幸せな気持ちしか起きません。 
 
そして、その直観の通りに行動した場合、うまくいってもいかなくても、
大きな後悔はなく、今後につなげていける結果となります。
 
 
似て非なるものは、どこかにやめたほうがいいという直観(これこそ悪い直観)が
かすかにあるけれど、目の前の欲からくる期待の方が強く、
それを直観と自分ですり替えて行動するため、
悪い直観はなかったこととして、蓋をされます。
 
 
その結果、一見上手くことが運んだとしても、
その間に不愉快な思いや、いざこざ、トラブルなどに巻き込まれます。
 
最終的に後悔することになったり、
物事は進んではいくのですが、
不愉快な思いや、同じようなトラブルを際限なく繰り返すことになります。
 
トラブルやいざこざに、耐性がある方もいらっしゃるので、
それはそれで、その人の選択した人生で、悪い訳でもないと思います。
すべて、自分の選択した結果が目の前に現れてくるのが人生なのですよね。
 
それが自分で好きかどうか、受け入れられるかどうかも、
個人的なものだと私は思うのです。
 
 
 
ここで私の体験です。
 
相手があることなので、少しぼかして書かせてくださいね。
 
 
私も欲や願望が強かった時に、
期待感が高まり、後頭部をかすめた悪い直観(予感)を聴かないふりをし、
行動してしまったことが、人生で何度もあります。
いわゆるライフイベント(大きな人生の出来事)でそのような行動を
何度もしています。
 
 
結婚に失敗した経験もありますし、
人を警戒心なく信頼して痛い目にあったことがあります。 
 
 
相手だけが悪い訳ではなく、私が直観を無視して、
期待感で、悪い予感をすり替えて受け取り、
周囲の反対を無視して、行動したからです。 
 
 
私の体験から思うのは、人は自分の都合のいいように、
信号をすり替える機能がついているのでは、という私なりの見解です。
 
 
本物の良い」直観の通りに行動した場合、
一見良い結果にならなくても、未来にその結果がプラスに繋がると思うのです。 
 
 
似て非なるものは、
行動した後、必ずと言っていいほど、後味わるい結果になります。
 
後日談が清々しくないというか。 
 
私の場合、離婚はしましたが、大好きな息子に恵まれて、
すべてが悪かったわけではありません。
 
とはいえ、ここは息子のことや運命のことは別として、
結婚について、予感を無視したことは確かです。
  
 
期待感があり、信頼すべき人ではない人を信頼して行動したことも、
明らかに警戒シグナルが頭の後ろでなり続けていたのに、
行動し、そのうち引くに引けなくなり、
長引いてしまいました。
 
 
その後始末は専門家の手も借りることとなり、
お金の負担もありかなり大変でした。
 
大きな事故に比べたらささやかな物ですが、
勉強代としては、高かったです。
 
 
離婚に至るときも、
信頼すべき人ではない人に関わった時も
 
あり得ないようなトラブルに見舞われ、
特に後者では、私の生き方では起こりえないほどの
とんでもないトラブルが毎日、毎秒のように相次ぎ、
人からの非難も浴びる経験をして、
精神的にボロボロになりました。
 
 
それは、その当事者の受けるべき難を
変わりに私が受けるような流れになってしまったからです。
 
 
なぜ、すぐに逃げなかったのでしょう。
 
 
これは今だから振り返ってわかることですが、
 
人は危ない場所に置かれたとき、
その場所の中でなんとか安定する場所を探し、
グラグラする中でバランスをとろうとしてしまうものだということ。
 
逃げるより、まず、その危ない場所での立ち位置を探してしまう。
 
それも間違った防衛本能ですが、
そのときはその道しか選べなかった私がいました。
 
 
そのような経験から、
最近は、直観と似て非なるものについて、
注意深くなりました。 
 
 
今後、完全に間違わないか、と聞かれたら、
約束は出来ないのですが、
以前より似て非なるものについて、自分だけでなく、
自分以外の他者の方の人生についても、わかるようになってきました。 
 
ですから、慎重にはなれると思います。
 
   
 
似て非なるものも、直観と似ていて、ワクワク感があるので、
例え警戒のシグナルがなったとしても、
これは良いサインだと受け取りたくなりますし、
つい行動してしまうこともありますが、大きな事故に繋がらなければ、
それも人生のエピソード作りなので、いいと思うのです。 
 
   
私の経験も、当時は本当に大変でしたが、
今となっては痕に残らないやけどのレベルだったと、
神さまにも、当時助けてくれた友人たちにも、心から感謝しています。 
 
 
ただ、取り返しがつかないようなことも、世の中には存在するので
気を付けて損はないですよね。
 
失敗も経験になる失敗と、しなくてもいい失敗があると思うのです。 
 
直観と似て非なるものについて、敏感になれたら
未然に防げる災難もあると思います。
 
 
今日も長い長い文章を読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように☆ 
書きたいことを、メモに書き溜めています。 
また近々更新させてくださいね!
 
いつもありがとうございます。 
白猫
 

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直観と行動の法則

皆さん、こんにちは。白猫です。 
 
 
もう11月も半ばですね。
急に寒さが増してきました。 
 
皆さんも風邪などにお気をつけてお過ごしくださいね。
 
 
今日は直観と行動の法則について書かせてくださいね。
 
 
最近、私が改めて実感したのは、
直観を受け取ったら必ず行動することの重要さです。 
 
 
私自身、直近で直観を受け取ってすぐに行動したことで、
嬉しいことがありました。
 
私の大切なご友人2人を繋ぐことが出来たのです。 
 
 
お2人も直観を感じて、すぐに行動してくださったお陰で
貴重なご縁を繋ぐことができ、一番嬉しかったのは私です。
 
 
今回のことで、しみじみ実感したことは
 
 直観 → 即実行 
 
の公式の効果です。
 
  
なぜなら、直観を感じても行動しなければ、
何もなかったことと同じになってしまうからです。
 
 
例えば、お稽古事でダンスを習いたいと思っていて、
駅近で受講料も安くて、よい先生の教室があればいいな、
と空想していたとします。 
 
 
そんな時、友人と話していたら、ふいに友人が
 
「○○駅の近くに、最近、新しいダンススタジオが出来たんだって。
入会金無料で、半年間受講料割引きって書いてあったんだ。
先生も教えるのが上手で有名な先生だって」 
 
と口にしたとします。 
  
  
この話を聴いた瞬間、
ピンとくる感覚を感じたなら、
それはきっと、ダンスはじめるタイミングだという
あなた自身の直観です。 
  
 
ここで「あ、直観が来た」だけで
何も行動せずに終わってしまったら、
そのお知らせはなかったことになってしまいます。
 
 
当然、ダンスを習いたい、習いたいと思っているだけで行動しなければ、
進展はありません。
 
仮にダンスを習ってみて、何か違うな、と思ったら、
辞めてもいいのですし、
 
辞めた後で、もっと自分に合うダンスの先生と巡り会うかもしれませんし、
ダンスではなく、他のことがやりたいという道に繋がるかもしれません。 
  
 
1つの扉を開けてみないと、次の扉に出会わないのです。
    
 
ダンスを習った方がいいという直観さえ、
ある目標が叶うための、第一歩なのかもしれません。 
 
その目標が何なのか、現時点では自分さえ気づいていないこともあります。
 
未来が分からないからこそ、面白いですし、楽しみですよね。
 
 
直観は、扉を開ける鍵のようなものかもしれません。
 
 
人生には秘密の扉がたくさんあって、
その先に何があるのか、分からないのが人生です。 
 
鍵を発見したら、その鍵を使って、
人生の扉を開けてみる。
 
 
ドアを開けていくごとに
人生のドラマは、開けていくものなのかもしれません。
 
 
人とのご縁も似ていて
 
「あ、この人素敵だな」と直観を感じたら、
メッセージを送ってみる、連絡をしてみるなど、
行動しないと先に繋がりませんよね。 
  
  
何の直観もなければ、何もする必要はないのですが、
   
  
「この人と繋がりたい」という直観が訪れたなら、
次の一歩を踏み出さないと、そのご縁もそれっきりです。
(必ずそれっきりとは言えませんが、次に出会うご縁は先になってしまいます)
 
 
何もしなければ何も起こらないので、
マイナスを感じないかもしれませんが、
直観の通りに行動していたら、
生まれたであろう大きなプラスを損失しているのですから、
実は大きなマイナスなのです。 
   
  
仮に直観の通りに行動して、
そんなに大きな進展がなかったとしても
決してマイナスではなく、
目に見えないプラスが増えていて、次に繋がっていくと思うのです。 
  
 
直観 → 行動しない
 
 この結果は目に見えない大きな損失 
  
 
直観 → 行動する
 
 いいことがあってもなくても、次に繋がる連鎖の入り口になる 
 
  
と私は思っています。
  
 
それを私自身の体験でもしみじみ実感しているこの頃です。 
 
 
直観がどんなものか分からない、という方も、
たくさんの直観を日々受け取っているはずです。
 
何故か分からないけれど、これをやってみたくなった。 
 
これを選びたくなった。
 
という小さなものも直観です。
 
 
サインに気付いたら行動する習慣をつけるほど、
直観に気付きやすくなっていくのを、私自身が実感しています。
 
 
直観は本当にささやかなことでも感じるものなので、
小さなことも大切にできたらいいですよね。
 
 
皆さんも直観を感じたら、即実行をセットで試してみてくださいね。 
 
 直観 → 行動
 
の公式です。
  
  
皆さんに良い変化が訪れることを願っています☆
 
 
次回は、直観と似て非なるものについて、書かせてくださいね。
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。
 
白猫
 

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とらわれない心 かたよらない心 こだわらない心

皆さん、こんにちは。
白猫です。 
 
今日は、私の好きな言葉(詩)を
ご紹介させてくださいね。
 
ーーーーーーーーーーーーーー
 とらわれない こころ 
 
 かたよらない こころ
 
 こだわらない こころ
 
 ひろく  
 ひろく  
 もっとひろく
 
 これが般若心経
 空(くう)のこころなり
ーーーーーーーーーーーーーー
 
修学旅行で学生さんが講和を聴くために訪れることの多い、
奈良の薬師寺の故・高田好胤(たかだこういん)さんの言葉です。
 
昨年あるきっかけで知ったこの言葉。
1年半ほど私の心の中で熟成し、
最近、ふとしたことで、頭の中に浮かぶようになりました。
 
 
私は特に仏教の勉強をしている訳でも
般若心境の勉強をしている訳でもないので、
きちんとした正当な解釈は伝えられないのですが、
 
この言葉が私に教えてくれたのは、
 
「自由な心で生きなさい」
 
ということでした。(あくまで私の解釈ですので、ご了承ください)
 
 
自由な心というと、またこれも漠然としていますよね。
 
もう少し細かく私の考えを解釈すると、
 
 「自分の中の価値観に縛られすぎないで」
 
 「人の行動に一喜一憂しないで」
 
 「人に支配されないで」
 
 「自分の夢や希望に制限をつけないで」
 
 「人に配慮や遠慮しすぎないで」
 
などなど。 
 
 心を柔軟に。
 
 人の発言や考え方も受け入れ
 でも、左右されず
 
 
 人に何かを求めすぎず
 
 人から押し付けられず、押し付けず。
 いつも自由な心で生きたい
 
 
それが最近の私の思う自由な心です。
 
心に引っかかることがあった時、
なんだかモヤモヤするなと思った時
 
思い出すのが「とらわれない心 かたよらない心 こだわらない心」
 
の言葉です。
 
心の中心に置いておきたい指針のような存在です。 
   
   
今、私はとらわれていないかな。
かたよっていないだろうか。
こだわりすぎていないだろうか。
  
  
と振り返ってみます。 
 
 
こちらも期待することもあるし、他者が私に期待することもある。
 
私がこうしてほしいと思うこともあるし、
他者が私にこうしてほしいと思うこともある。 
 
でも、やはり私は自由に生きたい。 
 
自分が自由に生きたいのだから
人の自由も尊重したい。
 
そう思うと、モヤモヤした思いは解消し、
過ぎ去っていくようになりました。
 
 
もちろん、現在、あまりこだわるような出来事が
私に降りかかっていないからだと思いますが。
 
 
私のいう自由というのは行動も含みますが、
何より、心が自由でありたいのです。 
 
 
自由な心で伸び伸びと生きている時、
私の顔にも輝きとして出ているようです。  
 
 
そして、小さなことにこだわると、
大きな世界が見えなくなります。
 
こだわりから解放されると、
世界が広く見えるようになります。 
 
皆さんにもそんな体験があるのではないでしょうか。
 
 
何かの問題や、他者のことが引っかかっている時、
心の世界は狭くなりますが、
 
そこから自由になった時、
心の世界は無限大に広く感じます。 
 
広い心なら、どんな問題で解決していけます。(そう信じます)
 
 
皆さんも、自由な心のままに、生きてくださいますように。 
  
  
今日も読んでくださってありがとうございます。 
 
 
また近々更新させてくださいね。
白猫

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直観と頭で考えることの差について

皆さん、こんにちは。
白猫です。 
 
 
今日は過去の記事と重複するかもしれませんが、
直観と頭で考えることの差について書かせてくださいね。 
 
 
最近、学生時代の親友から、
仕事を継続するかどうかの局面で
上の方から引き留められ、
葛藤を感じているという、素直な心情をつづった手紙が届きました。
 
 
友人の結論は出ていることだったのですが、
客観的に読んで、なるほどなあと腑に落ちたことがあるのです。
 
 
それは、人は誰もが本能的な最初の気持ち
「直観」で答えは出ているんですよね。 
 
 
ただ、迷ってしまったり、行動に移せないのは、頭で考えてしまうから。
(みなさんもご存じだと思いますが)
 
 
 これを実行したら、○○さんに迷惑がかかるのでは
 
 こちらをとったら、あちらの顔が立たないのでは
 
 この選択肢を採用すると、あとで損しちゃうのでは
 
 手放したら、もったいないかも。 
 
 
などなど。
 
相手への配慮や、おもいやり。
勇気のなさからくる優柔不断や
損得勘定、利害関係の計算などなど。 
 
直観のあとに浮かんでくるのは、頭で考えるあれこれ。 
 
考えれば考えるほど、
モヤモヤして、結論は遠くなるばかり。
 
頭で考えることが、直観の行動を妨げてしまうんですよね。
 
 
直観のままに行動したら、
確かに、がっかりする人もいるでしょうし、
傷つく人がいるかもしれません。
(行動する際の配慮は必要ですが、結果は変えられないので)
 
 
一時的に損することもあるし、
しばらくの間は、選択しなかった道を考えて、
後悔するかもしれません。 
 
 
直観に従って得られるものは莫大です。
 
 
まず、自分の気持ちに素直になれたことで、
心が清々しくなります。 
 
魂が喜ぶのを感じます。
 
 
一時的に手放すものがあれば、損をするかもしれませんが、
大切なものとの出会いを得ることができます。
 
手放さないことで、大切な出会いが白紙になることもあるからです。
 
例えば、ある話を持ち掛けられて、
今後のプラスになるような話なのに
直観で、やめておいた方がいいというお知らせがあったり、
頭で考えると得なのに、
本心では気乗りしない場合。
 
 
手放すことで、一時的に損した気持ちになっても、
後で、やっぱりこの選択で良かったと
分かる日がくると思うのです。
 
 
何より、決断した後は、魂が解き放たれ
清々しい風が心に吹くような感じになるでしょう。
 
 
軽く行動に移せるようなこともあれば、
重大でなかなか行動に移せないこともあると思います。 
 
 
自分の最初に浮かんだ直観を尊重することは、
自分自身を大切にするということ。 
 
 
大きな決断をするときこそ、直観(一番最初に浮かんだこと)が、
自分にとって正解なのだと思います。  
 
 
直観を選択して、しばらくはこれで良かったのかな、と思うことはあっても、
将来的に後悔することはほとんどないと私は感じています。
 
 
それは、直観こそ、魂や守護霊様が教えてくれる
その人が一番必要としている答えだから。
 
 
皆さんもご自身の直観を大切にしてくださいますように。
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。 
 
 
また近々更新させてくださいね。
 
 
白猫

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自分の中の幸せに気づくこと

皆さん、こんにちは。白猫です。
 
東京はずいぶん涼しくなり、紅葉も綺麗で秋の気候になってきました。
皆さんはお元気でお過ごしですか?
 
 
最近の気づきを聞いてくださいね。
 

人は本能として、
幸せを外に探すイメージがあります。
 
 
皆さんも、
今、不幸な訳でもなく、
たくさんのものを持っているはずなのに、
気持が外に向いてしまうことはありますか?
 
 
私は自分でそのような傾向があることを自覚しています。
 
単純なことから言えば、
たくさん服を持っているのに、新しい服に目が行きます。 
 
 
今の仕事に満足しているのに、
他にもやってみたいことがあります。
 
 
新しい勉強をすることが好きだし、
同じ位置で立ち止まっていることが得意ではありません。 
 
 
外にある幸せだけを求めて、
そうなっている訳ではないと思うのですが、
 
満ち足りていないのでは?と聞かれると
そうなのかも…と思いあたることもあるのです。 
 
 
そこで、ふと想像しました。
 
私は子供が小さい時に、離婚し、
シングルマザー&ワーキングマザーとして、
一人の女性として今に至ります。
(このブログはまさに、私と共に生きてきたブログです)
 
 
そこまで社交的でもない私が(社交的に見えても本当はそうでない私が)
多くの親切な人に助けられ、
かなり幸せな子育てをしてきたので、感謝しかありません。
 
 
そこで、仮に私が良い夫に恵まれ、幸せな結婚生活をしていたとして、
最初からそれに感謝できていたかというと、
そうでもないのでは、と自覚しているのです。 
 
 
まず、私はこのようなブログを書かせていただいていますが、
精神的にかなり幼いところもあり、
特に、10代、20代の頃は、
「感謝」の意味すら分かっていませんでした。 
 
 
だとすると、世間一般で言う、いい結婚生活を送っていたとしても
過去の私にとっては、自覚できず、
無意味な問題を自分から湧き起こしている可能性もあると思うのです。
 
何しろ、私が20代の頃、
私の兄(実の兄ですが一緒に暮らしたことはありません)
が法事の席で食事をする時に、
御膳の前で手を合わせたのを見て、ぽかんと眺めていたら(恥ずかしい!)
私の母が「この子は、何に手を合わせているのか分かっていないから」
と親せきの前で言ったのを記憶しているくらいです。 
 
 
恥ずかしながら、食事を食べることに感謝する意味すら
分かっていない傲慢な人間でした。 
 
 
今は自然と手が合わさることがあります。
普通に美味しい食事が食べられることって、
当たり前のことではないのですよね!
 
 
私もまだまだ今現在も未熟ですが、
過去の私は、今よりはるかに我儘で、自分勝手で、気位が高かったので、
私を甘やかす旦那さんだったら、
私はどんどん増長して、嫌な人間になり、
いずれ愛想をつかされる側になっていたかもしれません。
 
 
ですので、ここまでのたどる道のりに起こったことが、
私を成長させるために必要な困難だったのだなと思うのです。 
 
 
人生で特に困難がない人は、今世では必要ないのだと思います。
 
無理に困難を探す必要は全くないですし、
魂が既に経験して乗り越えていることは、
何度も苦しむ必要はないと、言ってくれているのだと思うのです。
 
 
人は元々備わった向上心や好奇心があるため、
今あるものに満足せず、自然と外に気持ちが向くのは本能です。
 
 
ただ、時々転んだり、辛い思いをした時に、
今ある幸せに目が向くのですよね。
 
 
自分の持っている幸せに気づくために、
時々、転ぶことも必要なのかもしれません。
 
 
日ごろから、何もない時でも、
自分の中にある幸せを確認できていれば、
転ぶことも少なくなっていくのかもしれません。
  
 
普段、自覚しないだけで、
たくさんの幸せを、自分の中に持っているものですから。 
 
 
話しは変わりますが、最近も嬉しい出来事がありました。
 
 
週末、サークルの仲間たちと旅行に行ってきました。
 
行きの電車で乗り換える時、のんびりしていたら、周囲に走る人が。
 
慌てて私たちも走ったところ、
前に走っていた人たちが鞄をドアに出してくれて、
無事に私たちも乗ることが出来ました。  
後で知ったのですが、単線なので、1時間に1本しか
走っていない電車だったのです。
時間を無駄にせずにすみました。
 
  
人の親切ってありがたいですね。
 
 
そして、帰りの朝のこと。
 
ホテルの送迎バスをお願いしていたのに、一向にバスが来る気配がなく。
フロントの方に確認したところ、ミスがあったとのこと。 
 
少し遅れて、送迎バスが迎えに来てくれたのですが、
本来なら駅までの送迎だったところ、
私たちが行く目的地まで送っていただけることになりました。
 
 
なんて運がいいのでしょう!
 
すべてうまくいくようにできているのですね。 
そのことをしみじみ、実感しました。
 
 
そして、旅行をするっていいですね。
 
長い時間一緒にいることで、
さらに仲間への愛情が深まりました。
 
 
また話題は変わりますが、
その旅先に嬉しい知らせもありました。
 
 
私がある友人から、とても良いという映画を教えてもらったのですが、
私はスケジュールの関係で観に行くことが出来ませんでした。
  
 
今後の予定はどうかなと、
ホームページを見ていたところ、遠方に住む友人の地域で
次の週に上映されることを知りました。 
 
 
直観のお知らせで、友人に早速メール。
 
彼女が私のお知らせを受けて、いそがしい中、わざわざ映画館まで行って
観てくださったのです。 
 
 
そして、魂に響く映画だったと、
旅先の私に、嬉しい感想メールをくれました。 
 
人から人に、大切なものを繋げたことに
とても嬉しく、感動した私です。 
ちなみに、その映画は、地球交響曲(ガイアシンフォニー)です。
次の機会に必ず観たいと思っています。
 
 
 
私は人が喜ぶ顔を見ることが好きなんですよね。
 
周囲の人が幸せであることが、私の幸せにも繋がるのです。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。
  
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
また近々更新させてくださいね。
 
白猫

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お金で買えない宝物

皆さん、こんにちは。
白猫です。 

今日もふと思った気づきがあるので聞いてくださいね。
 
「幸せはお金で買える?」
 
よくそんな質問が飛び交いますよね。
 
 
私が思うのは、確かに、この世の中は、
お金で解決できることも
多いと思うのです。 
 
 
欲しいと思うものも買えるし、
行きたいところにも行けるし、
住む家も購入できます。
お金があれば、ステイタスさえ買えるかもしれません。
 
 
教育もお金があれば、かなり選択肢は広くなります。
 
美味しいものもたくさん食べられるでしょうし、
旅行も行きたいところを選択できます。
 
事件が起こった時に、解決金を払う余力があるというのも
安心です。 
 
 
ここまで色々と書きましたが、
私はお金では絶対に買えないというものについて
最近、改めて実感したことがあり、
長い前置きを書かせていただきました。
 
 
私には親友と心に思っている友人が数名ですがいます。
 
 
友情を育ててくれたのは時間です。
 
長い時間の間に起こった出来事を通じて
信頼関係を築いたということが一番の要因ですが、
半月、1年ではここまでの信頼関係は築けなかったと思うのです。 
 
 
最近復活したピアノについても、
以前の時のようには全く弾けませんし
元に戻るのかさえ分かりませんが、
 
ピアノを弾く力というのもお金では買えません。
 
これも時間だと思うのです。 
 
長い時間かけて、毎日少しずつ積み上げてきたものが
自分の実や力となるのですよね。 
 
 
他のスポーツや勉強も同じくです。
 
 
先ほど、教育もお金があれば、選択肢が広がると書かせていただきましたが、
例えお金を出してもらって、よい学校に入れたとしても
その学校の中で学ぶものに興味がなければ、
本人の力にもならないし、自信にも結びつきません。
 
 
でも、本人がやりたいと思ったことであれば
どんな場にいても、成長できると思うのです。 
 
 
大人になってから自分のお金で勉強した方が
身に着くというのは、やはり成長には意識が必要なのだなと
自分で実感しています。
 
 
また、お金があって、美味しいものを食べることが出来たとしても、
一緒に美味しいね、と共有してくれる人がいなければ
やはり淋しいと思うのです。 
 
 
お金で人はついてくるかもしれませんが、
気を使うだけで、私にとってそのような関係は無意味です。
(それがいいという価値観の方もいらっしゃるかもしれませんが)
 
 
お互いに関心があり、好意をお互いに持っている人同士や
心を許している家族と、
美味しいものを食べられることが、幸せだと私は思うのです。
 
 
そう考えると、お金はないよりあった方が絶対にいいけれど、
お金では買えないもの
 
 
友情、信頼、愛情、技術、知識、夢など。
 
 
お金では簡単に手に入らないもの、
時間をかけて築きあげたものほど
人生を豊かにしてくれるのだな、としみじみ実感し、
感謝したのです。 
 
 
このような連想をしたのは、先日の日記に書いた
友人の葉書をしみじみ手に取って読んだ時です。
 
この葉書はお金では買えないな、とふと頭をよぎったのです。
 
 
心をこめて葉書を書いてくれたり、
私のことを思い出して、メールをくれる友人の思いは
お金では買えません。
 
 
いつもは忘れていて、感謝すらどこかに行ってしまうけれど
(ごめんなさい!)
育ててくれた親の愛情も、お金では買えません。
 
 
人の思いこそ、何にも代えがたい
宝物なのだと実感し、感謝したのです。
 
 
皆さんも良かったら、
ご自身が持っている宝物について、思い出してみてくださいね。
 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。 
 
白猫

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辛いトンネルから抜けた時 

みなさん、こんにちは。白猫です。 
もう9月ですね。 
 
夏は暑くて大変ですが、夏が終わるのはなんだかさみしい気持ちです。
 
 
あっという間に時間が経ってしまうので、
私が生きている間に、やりたいと思うこと、使命について
どこまで出来るんだろう、と思ったら、
 
私に与えられた人生の残り時間について、
ふと思いを馳せてしまいました。
 
 
今日は、苦しい気持ちを抱えている友に
伝えたいことがあふれてきて。
 
そのままの想いを書かせてくださいね。(支離滅裂になってしまったらごめんなさい)
 
 
私も人生で何度か、「辛いトンネル」の中にいたことがありました。 
 
その理由が私自身が招いたこともあれば、
そうでないこともありました。 
 
 
辛いときは、心ががんじがらめになり、
焦りや苦しみ、悲しみ、不安などで胸がいっぱいになりました。
 
何とか穴の底から抜け出したくて、もがく毎日でした。
 
 
どの苦しみが1番か、と順位をつけるのは難しいですが、
 
どの苦しみも、その時は出口が見えず、苦しかったのは同じです。
 
 
自分自身が渦中にいてつらいこともありましたが、
家族や大切な人が苦しんでいるのをみて、
自分がつらい方がずっといい、身代わりになってあげたいという
もどかしく、切ない気持ちになったこともありました。
 
 
自分自身なら、なんとか自分で解決するために行動することで、
気を紛らわし、前に進んでいるように思えるのに、
 
私自身でない大切な人の苦しみは、代わってあげることもできず、
見ているだけで、何の力にもなれず、
歯がゆく、苦しいものです。
 
 
私が思うのは、未来にこうなっているよ、とはっきりした明るい事実が、
確実に分かっていれば、苦しみも苦しみにならないと思うのです。 
 
 
つまり、今は逃げ場がないくらい苦しいけれど、
後3か月後に問題が解決して、安心することになりますよ、
 
 
ということが確定していれば、だいぶ心は軽くなりますよね。
 
それが分からないから、つらいと思うのです。
 
「今できることを精いっぱいしよう」 
 
そう思い直し、目の前のことをするのですが、
いつも頭の片隅に問題がひっそり存在して
心の中には、何をしても晴れない、
暗い重いものがずっしり居座っているのです。
 
 
問題を抱えている毎日は、完全に気が晴れることもなく、
気持ちも沈みがちで、何をしても楽しいと思えませんでした。
 
 
私ごとですが、
約5年ほど前、仕事のことで、
とてもとてもつらく苦しい時期がありました。
 
気が狂うほど忙しく、寝不足で疲れていて、
何もかもが上手くいかず、
今までの人生で遭遇したことのないようなトラブルに見舞われ、
どうしていいのか分からず、
本当に苦しかったです。 
 
 
ふとカフェに入って温かなカフェラテを飲みました。
 
当時は、仕事が忙しく、
カフェに入って、モバイルパソコンで仕事をすることはあっても、
ぼんやりするために入ることはなかったのです。
 
 
カフェラテをひと口飲んだ瞬間、
突然涙がこぼれてきて、とまらなくなりました。
 
周囲に人がいるのに、どうしても涙がとまらないのです。 
 
温かなカフェラテが与えてくれた、
自分のためにコーヒーを飲むという
ほんの少しの時間が、
自分自身をもっと大切にしていいんだよ、
と話しかけてくれたようでした。
 
 
そのころは全く直観も働かず、
何も見えず、何も聞こえていない時期でした。 
 
一杯のカフェラテが、
 
「今、この瞬間に生きている私」
 
の存在を、思い出させてくれたようでした。
 
 
辛い時は、たった一杯のカフェラテでも、
ものすごく贅沢で、幸せな温かさを感じられるのですね。  
 
本当に何でもないチェーン店のラテです。
今でもあの時のことは忘れられない思い出です。
 
 
今、穏やかな日々を過ごしている私が、発見したことがあります。
 
それは、すごくつらい経験をした後は、
当たり前の平凡な毎日が、ものすごく幸せなことだと実感できるということです。
 
 
いわゆる、大きな幸せが起きなくても、
仕事があって、働き甲斐があって、頼りにしてもらって、
お給料をいただけて、家族がいて、その家族と仲が良くて、
大切な友人がいて。
 
好きな趣味があって、学びたいことがあって、その仲間がいる。
 
自分がやりたいことがあり、ワクワクすることがある。  
 
それは全く当たり前ではなく、
とても幸せなことだと感謝できるようになりました。 
 
それがつらかったことから得た、一番の副産物です。
 
 
 
私自身がつらい経験をしたのも、すべて私自身の至らなさゆえです。 
 
その至らなさを自分自身が気づくことで、
グレーだった世界が、
素晴らしい景色だということに気づけたのです。 
 
 
苦しみはその瞬間は苦しみでしかないのですが、
少なくとも、その後に待っている世界は、
今までと同じではなく、別世界のように見えることは事実です。
 
 
友がいまいる長いトンネルに、ある日突然光が差し、出口が見つかることを
私は心から願い、そして信頼しています。
 
 
なんだか励ましというより、自分自身の備忘録みたいになってしまいました。 
 
 
今日も長い文章を読んでくださってありがとうございます。 
 
 
ブログをしていてよかったなと思うのは、
こうして書くことが、
個人的なメールなら、とんでもない押しつけになるところを
ブログなら、読みたければ読んでいただけるという
選択肢があること。
 
 
それを何より、嬉しく思います。
 
 
皆さんにたくさんの平穏と幸せが訪れますように。
 
週末に大きなレポートを提出したら、
幸せになれる考え方の、プチ心理学の記事を投稿させてくださいね
 
ありがとうございます。
 
白猫

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重要な出会い 一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に

皆さん、こんにちは。

白猫です。 毎日暑いですが、みなさんお元気ですか?

 

今日も、私がふと思ったことをきいてくださいね。

 

誰にとっても重要な人との出会いは
人生で何度かありますよね。

 

その時は重要だと気づかなくても、
あとで気づくこともあると思うのです。 
  

最近、ふと思うことがあり、

私自身の人生で、重要な出会いについて
その人の名前と、出会った理由について
共に書き出してみました。

 

重要な出会い(重要な人)だからといって、
決して今もご縁が続いている訳ではありません。

でも、その時の自分に必要な出会いだった人であり
人生の貴重な道標です。

 

私が今日ご紹介したい方は、
以前の職場で短い期間でしたが同僚だった I さんです。

 

今からおよそ9年前のこと。

私の職場に入った彼女は専門職で、向上心があり、明るい方でした。

気さくな彼女とすぐに仲良くなり、 
彼女の勧めで一緒に
とある心理学のセミナーを受けたことがきっかけで

私は学ぶことの楽しさを思い出したのです。 

 

当時の私は、職場で大変なストレスを抱えていて
かつ、息子も不登校。

辞めたいけれど事情で辞められない。

 
不満を抱えながら、それを口に出せず
身体と心にため込む日々。

ストレスから甘いものの食べ過ぎで
体重もオーバーしていた時期でした。  
 

明るく前向きに頑張っていたけれど、
閉塞感があり、とても煮詰まっていました。

 
そんな時、彼女に誘われて受講した心理学のセミナー。

あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

 

学ぶことってこんなに面白いんだ!

新しいことを知るって、こんなに面白いんだ! 

 

今まで乾ききっていた植木が、
一気に与えられた水を飲むがごとく、
知識は私の体に吸収されて、
私は元気を取り戻しました。 

 
その後、今に至るまで、
好奇心の赴くまま、心理学系をメインとして

たくさんの講座を受け続けています。 

 

学ぶことは私にとって栄養です。

新しいことを知ること、発見すること。

同じ学びを人と共有すること。

先生や受講生から、学びをもらうこと。

 

私にとって、生きることは学ぶこと。

 

これは決して、勉強好きとだとアピールしたい訳ではなく、
純粋に、私が興味ある分野の新しいことを知ることが好き

という性質的なもの、趣味みたいなものです。

 

美味しいお店を発見するのも好きだし、

素敵で居心地のいい場所を訪れるのも好きです。

 

それと同じ感覚で、興味ある分野の新しいことを知ることが

とっても楽しくて、心が元気になるのです。

 

結婚する前、私は仕事をしながら
ピアノを続けていました。
(人前で弾く機会もありました)

それ以外にも好きな児童文学や
テニス、バレエなども趣味で習っていました。

 

逆に私が煮詰まっている時は
自分の好きなことを忘れていることが多いのです。

 

煮詰まったり苦労しているから
心にも金銭的にも余裕がなく、

好きなことも出来なくなっているのですが、
 

実は、突破口として、自分の好きなことをすることで
脱出することが出来るのです。

 

辛いからしないのではなく
苦しいからこそ、好きなことをすると、 

辛いことに漬かっていることが出来ずに
自力で脱出する力を育てられるだと体感しました。

 

学ぶことの楽しさを思い出してから、

私は元気になりました。

 

その後、当時の職場を円満退職し、

私の未熟さ故に、波乱万丈なことを経て、
今はとても落ち着いた日々を送っています。

 

当時セミナーに誘ってくれた同僚の I ちゃんは

私よりも早く、職場を辞めて巣立っていきました。

今も活躍されていることと思います。 

 

私は I ちゃんに出会ったことで、

人生が好転しました。

 

お互いの連絡先も分からなくなった今、
今後彼女とご縁があるかどうかも分かりませんが、

彼女のことを、私は一生忘れることはないと思います。 

 

彼女が私に当時言ってくれたこと。

 

「白猫ちゃんの器が大きくなれば、

この職場に収まらなくなって、いずれ羽ばたく時が来る。

それは自然にそうなるから、自分を成長させるだけで大丈夫」

 

その言葉を私にくれた彼女が、
私のことを覚えているかはわかりませんが、

彼女は私に必要なことを伝えるために
私の職場に入ってくれたのだと確信しています。
 

実は彼女自身もそう思ってくれたのです。

 
「私がここに入ったのは、私自身の理由もあるけれど、

実は白猫ちゃんに、
この言葉を伝えるために、ここに入ったんだね」と。

 

私も彼女とは半年間くらいの短いご縁でしたが、

 

例え1回しか会ったことがない、一期一会の人でも

人生を変えるような出会いがあるのかもしれません。 

 

人生って未来が見えないから面白いのですね。

 

皆さんに森信三さんの言葉を聞いてほしいと思い出して
このブログを検索したら、

過去に書いた記事があったので、

良かったらご参考まで。

 

その時は気づかなくても、
自分の人生にとって、重要な出会いは必ずあります。 

 

しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に。

 

どんな人との出会いがあるのか、
わからないからこそ、楽しみですね。 

 

皆さんも良かったら、
ご自身の人生の中で、道しるべになるような
出会いや人を、書き出してみてくださいね。 

 

新しい発見があるかもしれません。

 

今日も私の話を聴いてくださってありがとうございます。

皆さんに良い出会いが訪れますように☆

願っています。

白猫

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