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幸せを感じるとき

みなさん、あけましておめでとうございます。
白猫です。 

本年もよろしくお願いします。 
 
 
今年がみなさんにとって、穏やかでキラキラした1年となりますように☆
 
早速ですが、最近、勉強会の仲間たちと
語り合う機会がありました。
 
その時に話したのは、お互いの人生に起こった出来事のうち
自分を変えた出来事についてです。 
  
  
「このことがあったから、今の私がある」
 
「あの出来事はとても辛かったけれど、必要な経験だった」などなど。
 
皆さんにも、ひとつかふたつ、
そのような記憶に残る出来事はあるのではないでしょうか。 
 
 
私が自分の人生についてシェアした後で、
こんな質問をいただきました。
 
 
「白猫ちゃんは、幸せを感じるのは辛いことから解放されたときの印象が
一番大きいと話してくれたけれど、幸せだと思った出来事そのものは何があるの?」 
  
  
その瞬間、頭を思いめぐらせてみたのですが、あまり思いつかなかったのです。 
  
 
嬉しいことはもちろんたくさん体験しています。 
 
でも、パッと思いつかなかったのは、
平穏な日常こそ一番幸せだという思いが、今の私にとって大きいからなのです。 
 
 
例えば、私自身が希望校に合格したり、就職が決まったり、
子供が生まれたり、子供が希望校に合格したり。
 
私をおもってプレゼントをいただいたり。
 
旅行に行ったり、そのほかにも、たくさんたくさん幸せなイベントはあります。 
 
 
でも、私にとって、毎日に何事もなく、笑顔で家族仲良く、穏やかに暮らせること。
 
 
やりたいことがあって、夢があること。 
  
 
大好きな友達や家族がいてくれること。
その好きな人たちと短い時間でも、時を共有できること。
 
 
贅沢は出来ないけれど、楽しく暮らせるお給料をいただいていること、
 
私を必要としてくれる職場があることなど。 
 
 
本当にありがたいな、と感謝することばかりです。
 
 
日常に感謝できる今の方が、
幸せ度が高い上に、幸せな気持ちが長期間続いていくのです。
 
 
それがいいとか悪いとかではないのです。 
 
 
私の人生で、私なりに辛いこと、我慢した経験がたくさんあったのも
要因かもしれませんが、
その体験があったからこそ、当たり前の日常奇跡だということに、
ようやく気付けたのです。
 
 
20代、30代前半までは、
あきらかに「幸せな出来事」を待っていたような記憶があります。 
 
また、○○がないと幸せになれない。○○があれば幸せになれる。 
 
というような、対象的な幸せを幸せだと思っていたように記憶しています。
 
 
色々な経験を経て、幸せって、感謝できることなんだな、とようやく腑に落ちた私。  
辛い体験の中でも、ここ10年間で、2回、仕事でとてもつらい経験をしてきました。 
そのお陰で、その職を離れた時の喜びは大きく、
また、平和な日常に感謝できるようになったのです。 
 
 
なぜ、つらい仕事を体験する必要があったのか。
私にとって、親との関係性も含めて必要な課題だったと思っています。
 
そしてようやく、その課題は卒業できたと実感しています。
 
 
つらい経験からの脱出が一番、「幸せを感じる瞬間」のレベルは高いのですが、
幸せ度が高いのは、今のような日常の毎日です。 
 
そこに時々、ちょっと嬉しいことがあると、またそれが嬉しくって、
日常に花を添えてくれる感じです。 
 
 
人が何かを与えてくれるのを待つより、自分で自分を幸せにできるのは何かなあ、
とワクワクしながら考える私です。 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
今年もどうぞよろしくお願いします。 
 
皆さんにとって、今年がますます幸せ度の高い一年となりますように☆ 
 
 
また近々、更新させてくださいね!
 
相変わらず課題に追われる毎日ですが、ブログに記事を書いている時、
私は幸せな気持ちでいっぱいです。 
 
みなさんありがとう☆
 
白猫

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