« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »

直観と似て非なるもの 悪い予感をかき消すもの

皆さん、こんにちは。白猫です。
 
今日もカウンセラーの研修講座を受講していました。
また新たなレポートを書きます。 
 
大変ですが、知識が増えるのは喜びです。
 
皆さんにも少しずつでもシェアをしていけますように。 
 
 
今日は、直観に似て非なるもの。について書かせてくださいね。
 
あくまで私の見解です。
違うご意見の方もいらっしゃると思いますが、どうぞご了承くださいね。
   
  
先日のブログで直観を感じたら即行動について書かせていただきました。 
 
 
直観を感じたら即行動の法則は信頼しているのですが、
注意した方がいいこともあります。
 
 
それは、直観と似ているけれど、似て非なるものが存在しているからです。 
 
 
まず、直観には大きく分けて2種類あります。
 
良い直観と、悪いことを防ぐための直観(予感とも言いますね)です。 
 
 
まず、悪いことが起こりそうな直観(予感)。 
この直観は信頼した方がいいと私は思います。 
 
人間には遺伝子の中に、危険を察知する防衛本能があるため、
何か危ないと思ったら、直観が知らせてくれるそうです。 
 
とはいえ、人によって防衛本能の高低があるため、
新しいことへのチャレンジをすべて尻込みしてしまうと
可能性が狭くなってしまうので、もったいないですよね。
 
そのさじ加減は、みなさんご本人にお任せしますね! 
 
 
次に良い直観について。
 
この良い直観にこそ、本物の直観と似て非なるものがあるのです。 
 
私は恥ずかしながら、その差をきちんと受け止めず、
痛い目にあったことが何度もあります。
 
自業自得ですが、自戒の意味も含めて書かせてくださいね。 
 
 
直観で行動して大きな損失に巻き込まれた方について、
なぜ、危険を感じなかったのだろう、と想像してみました。
(自分自身のことだと、客観的に分からないので)
 
 
人は欲が絡んだ時、どうしても欲しいものがあった時、
直観に似た期待感が警戒心のレベルを下げさせて、
判断を間違える。
 
 
という私なりの答えが出ました。
 
 
欲というのは、人間全員が持っていて、悪いことではないのですが
分にあわない大きな欲を抱いて、大きな努力もなく叶うような件は
疑った方がいいと私は思います。 
 
 
例えば、投資詐欺など、
大きな利益が努力なく得られるような美味しい話を持ち掛けられ、
直観でいける!と思い実印を押してしまって、あとで後悔しても後悔しきれない…
 
このような時の直観は、直観ではなく、欲からくる期待だと思うのです。 
 
 
人間なので、誰でも欲はありますし、
棚から牡丹餅のようなラッキーがあれば、舞い上がってしまいますよね。
 
気を付けないといけないのは、大きなラッキーに見合う努力があったかどうか。
 
です。
 
美味しい話(あなたにだけ教えます、あなたが当選者です、のような)が来たときに、
その件についての努力をしたかどうか。
 
 
しないのに、そんなラッキーが来るのは不思議だと疑問に思えたら
本当の宇宙から訪れる直観と、欲からくる期待との差が見極められるのではと思います。 
  
 
例えば、正当な直観の通りに行動して、すごく良いことがあったとします。 
   
 
それについて努力したのかと聞かれたら、
していないこともあるかもしれませんが、方向性としての努力はしていると思うのです。 
  
 
例えば、一生懸命仕事をしていたら、ある日、直観が訪れ、
ネットを見たところ、自分の希望の会社が求人を募集していた。 
  
 
など、これは、普段の努力があった上でのラッキーだと思うのです。 
  
 
似て非なるもの
 
直観に似ているけれど、欲からくる期待の場合
 
ワクワクや高揚した気持ちの背後で、
必ず頭の後ろの方に「警戒」のサイレンが鳴っているはずです。 
 
 
目の前に美味しいお料理の乗ったお皿があり、
どうしてもどうしても食べたかった時、
例えばお腹を壊すかも…という直観があったとしても、
我慢が抑えられなければ、
ワクワクしているから、「これは食べろという直観だ」と思いこみ、
行動してから後で後悔することもあると思うのです。 
 
 
本物の直観は、完全に喜びやワクワク、幸せな気持ちしか起きません。 
 
そして、その直観の通りに行動した場合、うまくいってもいかなくても、
大きな後悔はなく、今後につなげていける結果となります。
 
 
似て非なるものは、どこかにやめたほうがいいという直観(これこそ悪い直観)が
かすかにあるけれど、目の前の欲からくる期待の方が強く、
それを直観と自分ですり替えて行動するため、
悪い直観はなかったこととして、蓋をされます。
 
 
その結果、一見上手くことが運んだとしても、
その間に不愉快な思いや、いざこざ、トラブルなどに巻き込まれます。
 
最終的に後悔することになったり、
物事は進んではいくのですが、
不愉快な思いや、同じようなトラブルを際限なく繰り返すことになります。
 
トラブルやいざこざに、耐性がある方もいらっしゃるので、
それはそれで、その人の選択した人生で、悪い訳でもないと思います。
すべて、自分の選択した結果が目の前に現れてくるのが人生なのですよね。
 
それが自分で好きかどうか、受け入れられるかどうかも、
個人的なものだと私は思うのです。
 
 
 
ここで私の体験です。
 
相手があることなので、少しぼかして書かせてくださいね。
 
 
私も欲や願望が強かった時に、
期待感が高まり、後頭部をかすめた悪い直観(予感)を聴かないふりをし、
行動してしまったことが、人生で何度もあります。
いわゆるライフイベント(大きな人生の出来事)でそのような行動を
何度もしています。
 
 
結婚に失敗した経験もありますし、
人を警戒心なく信頼して痛い目にあったことがあります。 
 
 
相手だけが悪い訳ではなく、私が直観を無視して、
期待感で、悪い予感をすり替えて受け取り、
周囲の反対を無視して、行動したからです。 
 
 
私の体験から思うのは、人は自分の都合のいいように、
信号をすり替える機能がついているのでは、という私なりの見解です。
 
 
本物の良い」直観の通りに行動した場合、
一見良い結果にならなくても、未来にその結果がプラスに繋がると思うのです。 
 
 
似て非なるものは、
行動した後、必ずと言っていいほど、後味わるい結果になります。
 
後日談が清々しくないというか。 
 
私の場合、離婚はしましたが、大好きな息子に恵まれて、
すべてが悪かったわけではありません。
 
とはいえ、ここは息子のことや運命のことは別として、
結婚について、予感を無視したことは確かです。
  
 
期待感があり、信頼すべき人ではない人を信頼して行動したことも、
明らかに警戒シグナルが頭の後ろでなり続けていたのに、
行動し、そのうち引くに引けなくなり、
長引いてしまいました。
 
 
その後始末は専門家の手も借りることとなり、
お金の負担もありかなり大変でした。
 
大きな事故に比べたらささやかな物ですが、
勉強代としては、高かったです。
 
 
離婚に至るときも、
信頼すべき人ではない人に関わった時も
 
あり得ないようなトラブルに見舞われ、
特に後者では、私の生き方では起こりえないほどの
とんでもないトラブルが毎日、毎秒のように相次ぎ、
人からの非難も浴びる経験をして、
精神的にボロボロになりました。
 
 
それは、その当事者の受けるべき難を
変わりに私が受けるような流れになってしまったからです。
 
 
なぜ、すぐに逃げなかったのでしょう。
 
 
これは今だから振り返ってわかることですが、
 
人は危ない場所に置かれたとき、
その場所の中でなんとか安定する場所を探し、
グラグラする中でバランスをとろうとしてしまうものだということ。
 
逃げるより、まず、その危ない場所での立ち位置を探してしまう。
 
それも間違った防衛本能ですが、
そのときはその道しか選べなかった私がいました。
 
 
そのような経験から、
最近は、直観と似て非なるものについて、
注意深くなりました。 
 
 
今後、完全に間違わないか、と聞かれたら、
約束は出来ないのですが、
以前より似て非なるものについて、自分だけでなく、
自分以外の他者の方の人生についても、わかるようになってきました。 
 
ですから、慎重にはなれると思います。
 
   
 
似て非なるものも、直観と似ていて、ワクワク感があるので、
例え警戒のシグナルがなったとしても、
これは良いサインだと受け取りたくなりますし、
つい行動してしまうこともありますが、大きな事故に繋がらなければ、
それも人生のエピソード作りなので、いいと思うのです。 
 
   
私の経験も、当時は本当に大変でしたが、
今となっては痕に残らないやけどのレベルだったと、
神さまにも、当時助けてくれた友人たちにも、心から感謝しています。 
 
 
ただ、取り返しがつかないようなことも、世の中には存在するので
気を付けて損はないですよね。
 
失敗も経験になる失敗と、しなくてもいい失敗があると思うのです。 
 
直観と似て非なるものについて、敏感になれたら
未然に防げる災難もあると思います。
 
 
今日も長い長い文章を読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように☆ 
書きたいことを、メモに書き溜めています。 
また近々更新させてくださいね!
 
いつもありがとうございます。 
白猫
 

| | コメント (0)

直観と行動の法則

皆さん、こんにちは。白猫です。 
 
 
もう11月も半ばですね。
急に寒さが増してきました。 
 
皆さんも風邪などにお気をつけてお過ごしくださいね。
 
 
今日は直観と行動の法則について書かせてくださいね。
 
 
最近、私が改めて実感したのは、
直観を受け取ったら必ず行動することの重要さです。 
 
 
私自身、直近で直観を受け取ってすぐに行動したことで、
嬉しいことがありました。
 
私の大切なご友人2人を繋ぐことが出来たのです。 
 
 
お2人も直観を感じて、すぐに行動してくださったお陰で
貴重なご縁を繋ぐことができ、一番嬉しかったのは私です。
 
 
今回のことで、しみじみ実感したことは
 
 直観 → 即実行 
 
の公式の効果です。
 
  
なぜなら、直観を感じても行動しなければ、
何もなかったことと同じになってしまうからです。
 
 
例えば、お稽古事でダンスを習いたいと思っていて、
駅近で受講料も安くて、よい先生の教室があればいいな、
と空想していたとします。 
 
 
そんな時、友人と話していたら、ふいに友人が
 
「○○駅の近くに、最近、新しいダンススタジオが出来たんだって。
入会金無料で、半年間受講料割引きって書いてあったんだ。
先生も教えるのが上手で有名な先生だって」 
 
と口にしたとします。 
  
  
この話を聴いた瞬間、
ピンとくる感覚を感じたなら、
それはきっと、ダンスはじめるタイミングだという
あなた自身の直観です。 
  
 
ここで「あ、直観が来た」だけで
何も行動せずに終わってしまったら、
そのお知らせはなかったことになってしまいます。
 
 
当然、ダンスを習いたい、習いたいと思っているだけで行動しなければ、
進展はありません。
 
仮にダンスを習ってみて、何か違うな、と思ったら、
辞めてもいいのですし、
 
辞めた後で、もっと自分に合うダンスの先生と巡り会うかもしれませんし、
ダンスではなく、他のことがやりたいという道に繋がるかもしれません。 
  
 
1つの扉を開けてみないと、次の扉に出会わないのです。
    
 
ダンスを習った方がいいという直観さえ、
ある目標が叶うための、第一歩なのかもしれません。 
 
その目標が何なのか、現時点では自分さえ気づいていないこともあります。
 
未来が分からないからこそ、面白いですし、楽しみですよね。
 
 
直観は、扉を開ける鍵のようなものかもしれません。
 
 
人生には秘密の扉がたくさんあって、
その先に何があるのか、分からないのが人生です。 
 
鍵を発見したら、その鍵を使って、
人生の扉を開けてみる。
 
 
ドアを開けていくごとに
人生のドラマは、開けていくものなのかもしれません。
 
 
人とのご縁も似ていて
 
「あ、この人素敵だな」と直観を感じたら、
メッセージを送ってみる、連絡をしてみるなど、
行動しないと先に繋がりませんよね。 
  
  
何の直観もなければ、何もする必要はないのですが、
   
  
「この人と繋がりたい」という直観が訪れたなら、
次の一歩を踏み出さないと、そのご縁もそれっきりです。
(必ずそれっきりとは言えませんが、次に出会うご縁は先になってしまいます)
 
 
何もしなければ何も起こらないので、
マイナスを感じないかもしれませんが、
直観の通りに行動していたら、
生まれたであろう大きなプラスを損失しているのですから、
実は大きなマイナスなのです。 
   
  
仮に直観の通りに行動して、
そんなに大きな進展がなかったとしても
決してマイナスではなく、
目に見えないプラスが増えていて、次に繋がっていくと思うのです。 
  
 
直観 → 行動しない
 
 この結果は目に見えない大きな損失 
  
 
直観 → 行動する
 
 いいことがあってもなくても、次に繋がる連鎖の入り口になる 
 
  
と私は思っています。
  
 
それを私自身の体験でもしみじみ実感しているこの頃です。 
 
 
直観がどんなものか分からない、という方も、
たくさんの直観を日々受け取っているはずです。
 
何故か分からないけれど、これをやってみたくなった。 
 
これを選びたくなった。
 
という小さなものも直観です。
 
 
サインに気付いたら行動する習慣をつけるほど、
直観に気付きやすくなっていくのを、私自身が実感しています。
 
 
直観は本当にささやかなことでも感じるものなので、
小さなことも大切にできたらいいですよね。
 
 
皆さんも直観を感じたら、即実行をセットで試してみてくださいね。 
 
 直観 → 行動
 
の公式です。
  
  
皆さんに良い変化が訪れることを願っています☆
 
 
次回は、直観と似て非なるものについて、書かせてくださいね。
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。
 
白猫
 

| | コメント (0)

とらわれない心 かたよらない心 こだわらない心

皆さん、こんにちは。
白猫です。 
 
今日は、私の好きな言葉(詩)を
ご紹介させてくださいね。
 
ーーーーーーーーーーーーーー
 とらわれない こころ 
 
 かたよらない こころ
 
 こだわらない こころ
 
 ひろく  
 ひろく  
 もっとひろく
 
 これが般若心経
 空(くう)のこころなり
ーーーーーーーーーーーーーー
 
修学旅行で学生さんが講和を聴くために訪れることの多い、
奈良の薬師寺の故・高田好胤(たかだこういん)さんの言葉です。
 
昨年あるきっかけで知ったこの言葉。
1年半ほど私の心の中で熟成し、
最近、ふとしたことで、頭の中に浮かぶようになりました。
 
 
私は特に仏教の勉強をしている訳でも
般若心境の勉強をしている訳でもないので、
きちんとした正当な解釈は伝えられないのですが、
 
この言葉が私に教えてくれたのは、
 
「自由な心で生きなさい」
 
ということでした。(あくまで私の解釈ですので、ご了承ください)
 
 
自由な心というと、またこれも漠然としていますよね。
 
もう少し細かく私の考えを解釈すると、
 
 「自分の中の価値観に縛られすぎないで」
 
 「人の行動に一喜一憂しないで」
 
 「人に支配されないで」
 
 「自分の夢や希望に制限をつけないで」
 
 「人に配慮や遠慮しすぎないで」
 
などなど。 
 
 心を柔軟に。
 
 人の発言や考え方も受け入れ
 でも、左右されず
 
 
 人に何かを求めすぎず
 
 人から押し付けられず、押し付けず。
 いつも自由な心で生きたい
 
 
それが最近の私の思う自由な心です。
 
心に引っかかることがあった時、
なんだかモヤモヤするなと思った時
 
思い出すのが「とらわれない心 かたよらない心 こだわらない心」
 
の言葉です。
 
心の中心に置いておきたい指針のような存在です。 
   
   
今、私はとらわれていないかな。
かたよっていないだろうか。
こだわりすぎていないだろうか。
  
  
と振り返ってみます。 
 
 
こちらも期待することもあるし、他者が私に期待することもある。
 
私がこうしてほしいと思うこともあるし、
他者が私にこうしてほしいと思うこともある。 
 
でも、やはり私は自由に生きたい。 
 
自分が自由に生きたいのだから
人の自由も尊重したい。
 
そう思うと、モヤモヤした思いは解消し、
過ぎ去っていくようになりました。
 
 
もちろん、現在、あまりこだわるような出来事が
私に降りかかっていないからだと思いますが。
 
 
私のいう自由というのは行動も含みますが、
何より、心が自由でありたいのです。 
 
 
自由な心で伸び伸びと生きている時、
私の顔にも輝きとして出ているようです。  
 
 
そして、小さなことにこだわると、
大きな世界が見えなくなります。
 
こだわりから解放されると、
世界が広く見えるようになります。 
 
皆さんにもそんな体験があるのではないでしょうか。
 
 
何かの問題や、他者のことが引っかかっている時、
心の世界は狭くなりますが、
 
そこから自由になった時、
心の世界は無限大に広く感じます。 
 
広い心なら、どんな問題で解決していけます。(そう信じます)
 
 
皆さんも、自由な心のままに、生きてくださいますように。 
  
  
今日も読んでくださってありがとうございます。 
 
 
また近々更新させてくださいね。
白猫

| | コメント (0)

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »