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直観と頭で考えることの差について

皆さん、こんにちは。
白猫です。 
 
 
今日は過去の記事と重複するかもしれませんが、
直観と頭で考えることの差について書かせてくださいね。 
 
 
最近、学生時代の親友から、
仕事を継続するかどうかの局面で
上の方から引き留められ、
葛藤を感じているという、素直な心情をつづった手紙が届きました。
 
 
友人の結論は出ていることだったのですが、
客観的に読んで、なるほどなあと腑に落ちたことがあるのです。
 
 
それは、人は誰もが本能的な最初の気持ち
「直観」で答えは出ているんですよね。 
 
 
ただ、迷ってしまったり、行動に移せないのは、頭で考えてしまうから。
(みなさんもご存じだと思いますが)
 
 
 これを実行したら、○○さんに迷惑がかかるのでは
 
 こちらをとったら、あちらの顔が立たないのでは
 
 この選択肢を採用すると、あとで損しちゃうのでは
 
 手放したら、もったいないかも。 
 
 
などなど。
 
相手への配慮や、おもいやり。
勇気のなさからくる優柔不断や
損得勘定、利害関係の計算などなど。 
 
直観のあとに浮かんでくるのは、頭で考えるあれこれ。 
 
考えれば考えるほど、
モヤモヤして、結論は遠くなるばかり。
 
頭で考えることが、直観の行動を妨げてしまうんですよね。
 
 
直観のままに行動したら、
確かに、がっかりする人もいるでしょうし、
傷つく人がいるかもしれません。
(行動する際の配慮は必要ですが、結果は変えられないので)
 
 
一時的に損することもあるし、
しばらくの間は、選択しなかった道を考えて、
後悔するかもしれません。 
 
 
直観に従って得られるものは莫大です。
 
 
まず、自分の気持ちに素直になれたことで、
心が清々しくなります。 
 
魂が喜ぶのを感じます。
 
 
一時的に手放すものがあれば、損をするかもしれませんが、
大切なものとの出会いを得ることができます。
 
手放さないことで、大切な出会いが白紙になることもあるからです。
 
例えば、ある話を持ち掛けられて、
今後のプラスになるような話なのに
直観で、やめておいた方がいいというお知らせがあったり、
頭で考えると得なのに、
本心では気乗りしない場合。
 
 
手放すことで、一時的に損した気持ちになっても、
後で、やっぱりこの選択で良かったと
分かる日がくると思うのです。
 
 
何より、決断した後は、魂が解き放たれ
清々しい風が心に吹くような感じになるでしょう。
 
 
軽く行動に移せるようなこともあれば、
重大でなかなか行動に移せないこともあると思います。 
 
 
自分の最初に浮かんだ直観を尊重することは、
自分自身を大切にするということ。 
 
 
大きな決断をするときこそ、直観(一番最初に浮かんだこと)が、
自分にとって正解なのだと思います。  
 
 
直観を選択して、しばらくはこれで良かったのかな、と思うことはあっても、
将来的に後悔することはほとんどないと私は感じています。
 
 
それは、直観こそ、魂や守護霊様が教えてくれる
その人が一番必要としている答えだから。
 
 
皆さんもご自身の直観を大切にしてくださいますように。
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。 
 
 
また近々更新させてくださいね。
 
 
白猫

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自分の中の幸せに気づくこと

皆さん、こんにちは。白猫です。
 
東京はずいぶん涼しくなり、紅葉も綺麗で秋の気候になってきました。
皆さんはお元気でお過ごしですか?
 
 
最近の気づきを聞いてくださいね。
 

人は本能として、
幸せを外に探すイメージがあります。
 
 
皆さんも、
今、不幸な訳でもなく、
たくさんのものを持っているはずなのに、
気持が外に向いてしまうことはありますか?
 
 
私は自分でそのような傾向があることを自覚しています。
 
単純なことから言えば、
たくさん服を持っているのに、新しい服に目が行きます。 
 
 
今の仕事に満足しているのに、
他にもやってみたいことがあります。
 
 
新しい勉強をすることが好きだし、
同じ位置で立ち止まっていることが得意ではありません。 
 
 
外にある幸せだけを求めて、
そうなっている訳ではないと思うのですが、
 
満ち足りていないのでは?と聞かれると
そうなのかも…と思いあたることもあるのです。 
 
 
そこで、ふと想像しました。
 
私は子供が小さい時に、離婚し、
シングルマザー&ワーキングマザーとして、
一人の女性として今に至ります。
(このブログはまさに、私と共に生きてきたブログです)
 
 
そこまで社交的でもない私が(社交的に見えても本当はそうでない私が)
多くの親切な人に助けられ、
かなり幸せな子育てをしてきたので、感謝しかありません。
 
 
そこで、仮に私が良い夫に恵まれ、幸せな結婚生活をしていたとして、
最初からそれに感謝できていたかというと、
そうでもないのでは、と自覚しているのです。 
 
 
まず、私はこのようなブログを書かせていただいていますが、
精神的にかなり幼いところもあり、
特に、10代、20代の頃は、
「感謝」の意味すら分かっていませんでした。 
 
 
だとすると、世間一般で言う、いい結婚生活を送っていたとしても
過去の私にとっては、自覚できず、
無意味な問題を自分から湧き起こしている可能性もあると思うのです。
 
何しろ、私が20代の頃、
私の兄(実の兄ですが一緒に暮らしたことはありません)
が法事の席で食事をする時に、
御膳の前で手を合わせたのを見て、ぽかんと眺めていたら(恥ずかしい!)
私の母が「この子は、何に手を合わせているのか分かっていないから」
と親せきの前で言ったのを記憶しているくらいです。 
 
 
恥ずかしながら、食事を食べることに感謝する意味すら
分かっていない傲慢な人間でした。 
 
 
今は自然と手が合わさることがあります。
普通に美味しい食事が食べられることって、
当たり前のことではないのですよね!
 
 
私もまだまだ今現在も未熟ですが、
過去の私は、今よりはるかに我儘で、自分勝手で、気位が高かったので、
私を甘やかす旦那さんだったら、
私はどんどん増長して、嫌な人間になり、
いずれ愛想をつかされる側になっていたかもしれません。
 
 
ですので、ここまでのたどる道のりに起こったことが、
私を成長させるために必要な困難だったのだなと思うのです。 
 
 
人生で特に困難がない人は、今世では必要ないのだと思います。
 
無理に困難を探す必要は全くないですし、
魂が既に経験して乗り越えていることは、
何度も苦しむ必要はないと、言ってくれているのだと思うのです。
 
 
人は元々備わった向上心や好奇心があるため、
今あるものに満足せず、自然と外に気持ちが向くのは本能です。
 
 
ただ、時々転んだり、辛い思いをした時に、
今ある幸せに目が向くのですよね。
 
 
自分の持っている幸せに気づくために、
時々、転ぶことも必要なのかもしれません。
 
 
日ごろから、何もない時でも、
自分の中にある幸せを確認できていれば、
転ぶことも少なくなっていくのかもしれません。
  
 
普段、自覚しないだけで、
たくさんの幸せを、自分の中に持っているものですから。 
 
 
話しは変わりますが、最近も嬉しい出来事がありました。
 
 
週末、サークルの仲間たちと旅行に行ってきました。
 
行きの電車で乗り換える時、のんびりしていたら、周囲に走る人が。
 
慌てて私たちも走ったところ、
前に走っていた人たちが鞄をドアに出してくれて、
無事に私たちも乗ることが出来ました。  
後で知ったのですが、単線なので、1時間に1本しか
走っていない電車だったのです。
時間を無駄にせずにすみました。
 
  
人の親切ってありがたいですね。
 
 
そして、帰りの朝のこと。
 
ホテルの送迎バスをお願いしていたのに、一向にバスが来る気配がなく。
フロントの方に確認したところ、ミスがあったとのこと。 
 
少し遅れて、送迎バスが迎えに来てくれたのですが、
本来なら駅までの送迎だったところ、
私たちが行く目的地まで送っていただけることになりました。
 
 
なんて運がいいのでしょう!
 
すべてうまくいくようにできているのですね。 
そのことをしみじみ、実感しました。
 
 
そして、旅行をするっていいですね。
 
長い時間一緒にいることで、
さらに仲間への愛情が深まりました。
 
 
また話題は変わりますが、
その旅先に嬉しい知らせもありました。
 
 
私がある友人から、とても良いという映画を教えてもらったのですが、
私はスケジュールの関係で観に行くことが出来ませんでした。
  
 
今後の予定はどうかなと、
ホームページを見ていたところ、遠方に住む友人の地域で
次の週に上映されることを知りました。 
 
 
直観のお知らせで、友人に早速メール。
 
彼女が私のお知らせを受けて、いそがしい中、わざわざ映画館まで行って
観てくださったのです。 
 
 
そして、魂に響く映画だったと、
旅先の私に、嬉しい感想メールをくれました。 
 
人から人に、大切なものを繋げたことに
とても嬉しく、感動した私です。 
ちなみに、その映画は、地球交響曲(ガイアシンフォニー)です。
次の機会に必ず観たいと思っています。
 
 
 
私は人が喜ぶ顔を見ることが好きなんですよね。
 
周囲の人が幸せであることが、私の幸せにも繋がるのです。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。
  
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
また近々更新させてくださいね。
 
白猫

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お金で買えない宝物

皆さん、こんにちは。
白猫です。 

今日もふと思った気づきがあるので聞いてくださいね。
 
「幸せはお金で買える?」
 
よくそんな質問が飛び交いますよね。
 
 
私が思うのは、確かに、この世の中は、
お金で解決できることも
多いと思うのです。 
 
 
欲しいと思うものも買えるし、
行きたいところにも行けるし、
住む家も購入できます。
お金があれば、ステイタスさえ買えるかもしれません。
 
 
教育もお金があれば、かなり選択肢は広くなります。
 
美味しいものもたくさん食べられるでしょうし、
旅行も行きたいところを選択できます。
 
事件が起こった時に、解決金を払う余力があるというのも
安心です。 
 
 
ここまで色々と書きましたが、
私はお金では絶対に買えないというものについて
最近、改めて実感したことがあり、
長い前置きを書かせていただきました。
 
 
私には親友と心に思っている友人が数名ですがいます。
 
 
友情を育ててくれたのは時間です。
 
長い時間の間に起こった出来事を通じて
信頼関係を築いたということが一番の要因ですが、
半月、1年ではここまでの信頼関係は築けなかったと思うのです。 
 
 
最近復活したピアノについても、
以前の時のようには全く弾けませんし
元に戻るのかさえ分かりませんが、
 
ピアノを弾く力というのもお金では買えません。
 
これも時間だと思うのです。 
 
長い時間かけて、毎日少しずつ積み上げてきたものが
自分の実や力となるのですよね。 
 
 
他のスポーツや勉強も同じくです。
 
 
先ほど、教育もお金があれば、選択肢が広がると書かせていただきましたが、
例えお金を出してもらって、よい学校に入れたとしても
その学校の中で学ぶものに興味がなければ、
本人の力にもならないし、自信にも結びつきません。
 
 
でも、本人がやりたいと思ったことであれば
どんな場にいても、成長できると思うのです。 
 
 
大人になってから自分のお金で勉強した方が
身に着くというのは、やはり成長には意識が必要なのだなと
自分で実感しています。
 
 
また、お金があって、美味しいものを食べることが出来たとしても、
一緒に美味しいね、と共有してくれる人がいなければ
やはり淋しいと思うのです。 
 
 
お金で人はついてくるかもしれませんが、
気を使うだけで、私にとってそのような関係は無意味です。
(それがいいという価値観の方もいらっしゃるかもしれませんが)
 
 
お互いに関心があり、好意をお互いに持っている人同士や
心を許している家族と、
美味しいものを食べられることが、幸せだと私は思うのです。
 
 
そう考えると、お金はないよりあった方が絶対にいいけれど、
お金では買えないもの
 
 
友情、信頼、愛情、技術、知識、夢など。
 
 
お金では簡単に手に入らないもの、
時間をかけて築きあげたものほど
人生を豊かにしてくれるのだな、としみじみ実感し、
感謝したのです。 
 
 
このような連想をしたのは、先日の日記に書いた
友人の葉書をしみじみ手に取って読んだ時です。
 
この葉書はお金では買えないな、とふと頭をよぎったのです。
 
 
心をこめて葉書を書いてくれたり、
私のことを思い出して、メールをくれる友人の思いは
お金では買えません。
 
 
いつもは忘れていて、感謝すらどこかに行ってしまうけれど
(ごめんなさい!)
育ててくれた親の愛情も、お金では買えません。
 
 
人の思いこそ、何にも代えがたい
宝物なのだと実感し、感謝したのです。
 
 
皆さんも良かったら、
ご自身が持っている宝物について、思い出してみてくださいね。
 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように。 
 
白猫

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嬉しいシンクロと気づいたこと

皆さん、こんにちは。
白猫です。 

まるで梅雨のような9月も終わり、
もう10月ですね。
 
10月は夏日和で、私はまだ半袖で過ごしています。 
 
皆さんもお元気ですか?
 
 
最近、とてもビックリするような嬉しいシンクロがありました。
 
それは、学生時代からの親友の顔がふと頭をよぎり
職場からメールをしたところ、
変わりなく、元気でした。
 
 
ところがなんと、
帰宅したら、ポストにその親友からの葉書が届いていました。
 
 
思いがけないシンクロにびっくりすると共に
とても嬉しく、心が躍るような気持ちになりました。
 
彼女にあとからビックリしてメールしたら、
彼女も今日葉書きが届くなあ、と思っていたらメールがきたので
(私はまだ職場なので読んでないことは気づいてくれて)
普通に返事したものの、驚いたそうです。
 
 
私の好きなピンクの花に囲まれて
大好きな彼女の文字に綴られていたことは、
 
10代の私を知っているからこそ、書いてもらえたメッセージでした。
 
 
それはいまの私に必要なメッセージだったのです。
   
 
直観で行動した時、自分もピンとくることもあるけれど、
その相手も、何かの理由があって、
行動してくれたのかもしれません。
 
 
今回葉書をくれた彼女だけでなく、
私のことを思ってくれる友人が何人もいます。 
 
 
私のことを願ってくれるという気持ちだけで
本当に幸せだなと思います。 
 
また、今日の午後、以前活動していた
児童文学のサークルの先輩と、
約10年ぶりにお会いすることができました。
 
 
60代ですが、本当にきれいで生き生きしていて
素敵でした。
児童文学のサークルも復活しそうな気配です。
 
私の体がいくつあっても足りない状況に。(笑)
 
 
でも、仲間って素敵ですね。
 
同じ夢を共有しあったり、
同じ目標を共有したり。
 
もしくは、ある時期を共に過ごした絆など。
 
 
人生で大切な出会いを辿りながら、
今の私が出来上がってきています。
 
まだ未完成の私ですが!
 
 
 
少し話は変わりますが、
今、カウンセリングの逐語記録を作成するために
時間を作って、
同じ試験を受ける方とペアになってカウンセリングをしあっています。
 
 
その最中に、
ふと気づいたことがあるので
聞いてくださいね。
 
 
よく、身体のどこかが痛みや違和感を覚えると、
はじめて、その部分の存在を思い出したりしますよね。
 
 
元気な時は、全く気にも留めない体のこと。
 
 
存在を主張しない時は、
忘れてしまっているけれど、
いない訳じゃなくて、黙って支えてくれているのですよね。
 
元気な時は自己主張しないだけ。 
 
 
私は、現在、仕事外の時間に
仕事のことを思い出すことがほとんどないのです。 
 
 
まして今は、仕事中でも、ふとした時に、
心理学のレポートについて考えてしまったり。(ごめんなさい!)
 
 
気にならないというのは健康だということ。
 
私にとって今の職場が、とても健全で、
ありがたい存在だということを実感しました。
 
時々、ストレスを感じることもゼロではないけれど、
それは本当にささいなこと。
 
私が今勤めている職場が、
居心地の良い場であることに、
改めて感謝しました。 
 
 
皆さんにも普段は忘れているけれど、
そばにいてくれている、大切な存在はありますか?
 
 
それでは、今週末も心理学のレポートを仕上げて提出予定です。
 
それが終わったら、ブログを書かせてくださいね! 
    
  
皆さんにぜひ聞いてほしいことは、
レポートとは別に書き溜めています。 
   
  
整理したことを早くアップしたいです!
実行できますように!
 
自分自身に祈りつつ…☆ 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように☆
白猫

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