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母への葛藤と感謝の気持ち

皆さん、こんにちは。白猫です。
 
みなさんは素敵なクリスマスを過ごされたでしょうか。
 
私は一人、ジャズを聴きにいってきました。
ジャズソングを聴いて幸せな気持ちになれました。
 
それにしても、一人でジャズを聴きにいけるなんて、
私も大人になったなあと思いました。(笑)
 
 
今年も残りあと数日です。 
 
今日は私と母のことを聞いてくださいね。 
 
母が数日滞在していたので、祝日の23日に母とランチをしました。
 
地元では、綺麗で居心地の良いお店で美味しい懐石ランチを食べました。
美味しくて幸せな時間でした。
 
 
以前なら私が母と2人で楽しくランチをするなんて、
想像も出来ませんでした。 
 
 
母へのクリスマスプレゼントは、温かい靴下や、寝るときにつける寝具用マフラーです。
 
グンゼさんが出している、超分厚い温かい靴下は、
家用のものですが、履いてみてとっても温かいと喜んでくれました。
 
母が喜んでくれる姿を見て、本当にびっくりしている私がいます。
 
 
母を決して悪く言うつもりはないのですが、
事実として聞いてくださいね。
 
 
私が10代、20代の頃、母の日などにプレゼントを買っていたのですが、
いらないと突き返されたことが何度かありました。
 
当時はすごく傷ついて一晩泣いたこともありました。
 
 
普通はもらったものは気に入らなくても受け取るものですが、
今思うと、母は受け取り下手だったのです。 
 
人の好意や思い、プレゼントを素直にありがとうと言えない人が
この世の中に何割か、存在するのです。
 
 
母が育った家庭や、成育歴にも関係してくるので、
今思うと、しょうがないことだったのかなと思うのです。
 
 
とはいえ、当時、まだ若い私にとっては深く傷つく出来事でした。
もう母には何も買わないと心から思ったことを思い出します。
 
 
そんな母と私、生まれつき気の合うタイプではないにしても、
今は本当に良い関係が築けています。 
 
 
大きな転機は、私の離婚です。
 
離婚を決意した私のことを、両親は見守って、助けてくれました。
 
そして、私も変わりました。
 
 
母が変わったのは、私が先に変わったからです。 
 
 
思春期の頃は、厳しい母に(期待されていたので)すごく反発しました。
母は子育てが上手ではなかったのです。
 
 
私がたくさん傷ついたのは事実ですが、
母がわざとしていたのではなく、出来なかったということも事実です。
 
 
つまり、先日のブログに書かせていただいたように
しょうがなかった」ということだと思うのです。
 
 
私がここ数年で気づいたのは、当たり前のことはないということです。
気づきというより、身に染みたということでしょうか。
 
 
親だったら、もっと優しくしてほしい。
親だったら、もっと私が欲しいものを与えてほしい。
親だったら、人と比べないでほしい。
親だったら、長所を認めてほしい。
 
 
そんな風に思う私の気持ちも、仕方ないと思っているのですが、
気づいたことは、言い方は極端ですが、
他人だったらここまでしてくれる人はいない、という事実です。
 
 
親だから育てるのは当然なのかもしれませんが、本当にそうかなと最近は思うのです。 
 
 
親だからしてくれて当然ということには、たぶん、個人差があります。
 
 
どの親も、いいところと、そうでないところがあり、
考え方や価値観も違い、その親が育った環境が違うので、
子供に何を与えるか、何をするか、しないかも、かなり個人差があると思うのです。 
 
つまり、親の価値観や、子育ての指針は、
家庭差があるので、万人に通じる「親だから当たり前」はないと実感しています。
 
私は母の子育ての価値観の中で、私にとって足りないことが、
一番ほしいことだったように思います。  
 
私は親が厳しいよりも、優しく甘えさせてくれる親がよかったのです。
だから、苦しかったのでしょう。
 
母は教育熱心でした。
「まだまだ」というのが口癖で
「だれだれちゃんはもっとすごい」と比較されるのがものすごく嫌でした。
 
比較されるのは、今でもされたら嫌ですが、
教育に力を入れてくれたことには、すごく感謝しているのです。
 
 
こうして、秘書の仕事をして、今、息子と一緒に生活ができているのは、親が教育費を惜しまず、本をたくさん読む環境を作ってくれたおかげです。
 
 
社会人になって、本をたくさん読んでいたことと、
音楽を学べたことは、大きな力になって、私の身を助けてくれました。
 
 
もし他人なら、私の学費を出してくれただけですごいことです。
 
もし他人なら、私のためのごはんを作ってくれたり、
洗濯をしてくれたり、自室を与えてくれたり、ピアノを買ってくれたり、習わせてくれたり。 
 
 
そんな他人はいないでしょう。
 
 
小学生くらいまで、母は私の洋服を作ってくれました。
フリルがたくさんついた可愛いワンピースや、
皮のミニスカートなど、今でも思い出せる服がたくさんあります。 
 
 
他人なら、そんな可愛い服を作ってくれるなんて、すごいことです。 
 
親だからしてくれるけれど、他人なら、ありえない待遇です。 
 
 
なのに、子供である私は、親だからしてくれて当然なので、
感謝もしないし、お礼もそこまで口にしていないで受け取るばかり。 
 
逆に足りないことに不満を抱き、こんな家に生まれて不幸だと心底思っていたのです。
 
そう思うと、何とも残念な私です。 
 
 
大人になってから、そんなことに気づき、本当に腑に落ちたのはここ数年。
恥ずかしいばかりです。 
 
 
すべてのことに当たり前と思わなければ、感謝できる。
そうすれば、不満や苦しみもずいぶん減ります。
 
それは誰のためでもなく、自分自身のためにプラスでした。 
 
 
私の中の事実として、確かにつらかった出来事や、苦しかった出来事も存在します。 
 
でも、今は、それも私を成長させるために、必要だったことなんだな、と思えます。 
 
 
何もなければもっと幸せだったかもしれないけれど、
さらにあたりまえだと思い、傲慢になっている私も想像できます。 
 
 
親に愛されて育ったのに傲慢にもならず、あたりまえにも思わない、
親孝行な私の親友がいます。 
 
本当に心から頭が下がります。 
 
私はきっと、今の親に育てられたことで、幸せになれる性格だったのだと思うのです。
 
 
何より社会にでて、人間関係の問題に遭遇したときに、
立ち向かえる強さがあったのも、親のおかげです。
 
 
当たり前なんて、本当にないんですよね。 
 
そんなことをクリスマスの夜に思った私です。
 
みなさんに私のストーリーを聞いてもらえて感謝しています。
 
長い文章を読んでくださってありがとうございます。
 
みなさんにもたくさんの喜びが訪れますように☆
 
感謝を込めて。
 
白猫

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