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幸福を感じる力の育て方

みなさん、こんにちは。 白猫です。 
 
急に寒くなってきましたね!
暖かくしてお過ごしくださいね。 
 
今日は、おすすめの幸福学の本を紹介させてください。
 
幸せっていうと、なんとなく漠然としたものを想像しますよね。
 
もちろん、幸せって漠然としていていいのですが、
もし今、あまり幸せじゃないかも、と思う方がいらっしゃったら、
ぜひ、 ソニア・リュボミアスキー博士の本を読んでいただきたいのです。
 
 
まず、最初におすすめなのは、
 
「幸せがずっと続く12の行動習慣」 ソニア・リュボミアスキー博士著
 
 
 
幸福学の研究家である、ソニア博士が調査した結果、
 
幸せとは「事象」ではなく「心の持ちよう」
とのこと。 
 
幸せだと感じている人がしている12の行動について、
詳しく書いてくださっている本です。 
これを読めば、幸せって絵にかいてある風景ではなく、
心の問題なんだな、と実感できる内容です。
 
そして、同じソニア博士の近著です。
 
 
リュボミアスキー教授の 人生を「幸せ」に変える10の科学的な方法
 ソニア・リュボミアスキー博士著
 
 
この本では、いわゆる、「これがないと幸福ではない」「これがあると幸福になれない」という思いこみについて、科学的に根拠がないことを証明してくれています。 
 
 
読んで、そうなんだ、なるほど、と目から鱗。  
 
 
特に目を引いたのは
 
「大きなトラウマよりも、日常の厄介ごとの方が悩み深い」
 
という言葉でした。 
 
 
いわゆる大きな事件が起きた時、(大きな事故や病気、大きなトラブルなど)
人は不幸になるようなイメージがありますよね。
 
 
実は、大きな時間が起こると、人は防衛本能で何とかしようと行動したり、
頑張れるそうなのです。
 
不幸だと思っている余裕もないのかもしれません。 
 
 
ところが、日常に起こる些細な出来事、
思い通りにならない出来事に
人はいつまでも心をとらわれて、
くよくよと考えたり、思い出して腹が立ったり、
なかなかそのマイナスから解き放たれないようなのです。 
 
 
著者は飛行機の席が思った通りに予約できなかったことに
いつまでも心がとらわれていた体験談を話されていました。
 
 
確かに私も思い当たることがあります。 
 
自分の人生に全く関係ない、小さな出来事なのに、なぜか心に引っかかったり
ずっと頭から離れなかったり。 
人の心理って不思議です。
 
 
他にびっくりしたのは、人が「幸福だ」と感じる年齢についてです。 
イメージでは、若いほど、幸福のような気がしませんか?
 
元気で健康で、若さと未来への夢がある。
 
 
反対に年を取ると、未来も短くなり、健康も心配なり、不幸になるのでは
と若いころはイメージされるそうなのですが、実はびっくり。
 
 
研究の結果、人が一番幸福だと自覚する年齢のピークは
「64歳と65歳」次に「79歳」
だそうなのです。
 
これには私も驚きました。 
 
 
実は年配の人たちは、若い人たちが思うより、
ずっと幸福度が高いそうなのです。 
 
 
逆に若くて大人になりかけの時期が、一番ネガティブな時期だそうなのです。
 
思い出せば私も思春期の頃、すごく苦しかった思い出があります。
 
将来のことなんて考えられなくて
目先のことに悩む毎日。 
 
 
母との関係に苦しんだり、
友達関係に気を使ったり。 
 
 
でも、今はそういう悩みはありません。 
 
本を読むと、年齢を重ねた人は、
日々のネガティブなことや、ストレスの浮き沈みに左右されなくなると
書いてありました。 
 
確かに今の私は、以前よりずいぶん心が落ち着いて過ごせています。
 
もちろん、まだまだ至らないのですが、
自分の心を安定させるコツみたいなものを、
少しつかめたのかな、という感じです。 
 
 
年齢を重ねるのって、不幸な訳ではないのですよね。 
 
 
この前記事に書かせていただいたように、
人は寿命があるから、幸せだと思うことができるように、
年齢を重ねたからこそ、得られる幸せってあるのですね。  
 
 
ソニア博士の本を読んで実感するのは、
 
人はあるものには感謝できず、ないものがほしくなる
 
性質があるんだなあということです。 
 
今あるものに感謝して、ないものに目を向けず、
 
自分が一番大切にしているものに、時間をかけたり、力を注いだりできれば、
 
きっと幸せだと感じるパワーを増やしていけるのでは、と思いました。 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
また近々更新させてくださいね!
 
寒いのでみなさんお風邪などひかれませんように。
 
いつもありがとうございます。白猫

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階段を登るとき

みなさん、こんにちは。
白猫です。 
 
今日、駅の階段を登った時、ふと思ったことを聞いてくださいね。 
 
 
駅の階段はかなり長くて、40段くらいあったように見えました。 
 
 
上の方を見た時、「うわ、高い」と思って、
エスカレーターにしようと思ったのですが、
 
エスカレーターはすごく並んでいて、その後ろに並ぶのも時間がもったいなくて、
階段を登ることにしたのです。 
 
 
みなさんも同じかもしれませんが、
目の前の階段だけ見れば、
つらさが減るかも、と思いました。
 
上を見ないで、目の前の階段だけ一歩一歩登ることで、
想像していた通り、大変さはなくなりました。
 
 
途中でふと、「あとどのくらいだろう」
という気持ちが持ち上げてきて、
上を見ると、
階段の終わりが見えました。 
 
 
それで、勢いを増して登ることができたのです。 
 
人生にとっての、課題や大変なことも同じなのかもしれない、と連想しました。
 
 
一度終着点を見て、確認しておく。
 
あとは目の前のことを一生懸命やる。
 
そして、時々、終着点を確認しながら、そこに向かって進んでいく。 
ああ、きっとこんな感覚だ、と思ったのです。
今日は忘れる前に書かせていただきました。 
今日も読んでくださってありがとうございます。 
 
みなさんにとって、素敵なことがたくさん訪れますように☆
 
白猫

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お茶会を開いて。感謝と感激と、振り返った10数年。

みなさん、こんにちは。白猫です。


今日は冷え込む一日でしたね。 




急に寒くなってきましたので、みなさん、風邪をひかないようにお気をつけくださいね。 






さて、昨日はお茶会でした。




前回お茶会を初開催したのが約5年前。 




前回のお茶会後に仕事で大変なことに巻き込まれ、


私も相当落ち込んだり苦しかったり。 






いろいろなことを経て、今、元の私に戻ってお茶会を開くことができました。


本当に幸せな半日をいただきました。






参加してくださった方も、このブログを読んでくださっている方も、


みなさん、本当にありがとうございました。 






昨日お会いしたみなさんは、


長年私のブログを読んでくださっていたので、


私のことをよく知っていらっしゃって、以前からのお友達と久しぶりに会うような感覚で、


和気あいあいと盛り上がりました。 






私がつらかった時や大変だったとき。




当時のブログを読んで、とても心配してくださっていたとお聞きして、ああ、そうだったんだ、とハッとなりました。






直接触れることはなくても、


この世のどこかに私のことを心配したり、応援してくださっている方がいらしたこと。






だから、私はこうして、今、幸せに穏やかに暮らせているんだなと


目に見えないみなさんの思いやりを感じて、ものすごく感謝したのです。 






お茶会の瞬間は流れてしまいましたが、


あとで、そのことをしみじみと思い出し、




私は一人で生きていないんだな、と改めて感謝したのです。






私は性格的に一瞬の思い付きのパワーはあるのですが、


それが持続しないことも多く、移り気なところも多いのです。 






ホームページを立ち上げた時は、


ちょうど離婚後で頑張ろうと思っていたときに、浅見帆帆子さんの本を読んで、


すごくパワーをいただいて、ホームページを1日で作ってしまったのです。  






最初はよかったのですが、だんだんと記事を更新する頻度も落ち、


ブログに移行してからも、更新が遅くなったり、ときには半年とまってしまったり。 






その間も、ずっと私を忘れず、応援してくださった方がいたのだと感じ、


このささやかな個人ブログを続けていてよかったな、と


誰のためでもなく、私自身のために、思い、感謝しました。






昨日の夜、ホームページを立ち上げた後の自分の人生を振り返っていました。






このホームページ(ブログ)の歴史が


わたしの離婚後の人生の歴史なのです。






離婚後に秘書として派遣社員で復帰し、ご縁をいただいた職場で正社員になり


生活が安定したものの、上司や同僚の方たち、仕事の内容などで、


試練や、つらい時期がありました。






そして、息子が中2のときに私立中学になじめず、不登校を経験しました。 


未来が見えず、苦しい1年間でした。




そのときにブログを書いたり、話を聞いてくれた友人がいてくれて


何とかトンネルを抜けることができたのです。






その後、息子は中3になる前に私立中学を辞めて区立中学に戻り、


元気を取り戻し、都立高校に進学しました。


高校では、明るく元気に過ごす息子を見て一安心。






私もつらかった仕事を卒業して、フリーになって伸び伸びしたのもつかの間、


私自身の油断や傲慢さなどの隙があり、


今までの私なら遭遇しないような試練に出合いました。




初めて、心の病かも…と思うような感覚も経験しました。






でも、その苦しみや試練も、そのときに助けてくださった人たちのおかげで、


無事に抜けることができて、


今は幸せに穏やかに生活しています。






あの時、助けてくれた人がいなかったら、私はどうなっていたのか


想像もできません。 






親身になってくれた友人や、


ブログを通じて、心配してくださっていた人たちがいらしたので、


私はみんなの目に見えないパワーをいただいて


健康を取り戻すことができたのです。 






本当にありがとうございました。






わたしにとっては、一生封印したいと思うほどのトラブルの連続でしたが、


すべて自分が招いたこと。


それは事実です。 




でも、その出来事のおかげで、よいご縁をいただいたり、


人に感謝する気持ちができました。




回復に1年くらいかかりましたが、


得たことは、ものすごく大きかったです。






一番は、心底、自分自身の傲慢さや油断を知ったことです。




感謝の気持ちも、それ以前と、その後では、全く変化しました。




一度死にかけて、命をもらったような感覚(本当にそうじゃないので、そのような体験をされた方は申し訳ありません。お許しくださいね) です。




何をしてもらっても、何を見ても、ありがたいなあと感謝できるようになりました。




そのくらい、人として浅かったなあと反省もしているのです。




わたしを育ててくれた母とも、


思春期の頃のわだかまりもなくなり、とても仲良くなりました。






そして今、新しくご縁をいただいた職場も4年間が過ぎ


もうすぐ5年目を迎えます。 






本当に良い職場で仕事をさせていただき、毎日穏やかで、仕事もとても面白く、


今、人生で一番、穏やかで幸せです。






不登校だった息子も、自分の人生に夢を見つけてくれました。




今年の春に、一番行きたい学部にご縁をいただき、楽しく大学生活を送っています。 






息子とも時々話すのですが、あの時、不登校になったから、自分の夢が見つかったという話題になるのです。 






不登校だったときに、今の姿が見えていたら、なんの心配もせずにいられたけれど、


当時は未来なんて見えないので、苦しいばかり。




一生家に引きこもっているのかもしれない、と思ったり、そんなことはある訳ないと思ったり。




その繰り返しでした。






不登校からの乗り越え方は、千差万別で


どれが一番いい道かはわからないのですが、


いつか機会があれば、私の経験も一例として、


参考になるかわかりませんが、何かでお伝えできたらと思ったりしています。






息子にはものすごく、心の底から感謝しています。 




息子が元気になってくれたことが、


親として、至らないことばかりだった私、


自責で苦しむ私から、解放してくれたのですから。






昨日のお茶会でも聞かれたのですが、


いまだに息子とは仲良しで、週に1回は、一緒に洋服(古着屋さん)に買い物に行ったりしています。 




息子の趣味の一つが洋服で、私と同じなのです。






家では夜にDTVの動画サービスで、一緒にドラマを見て、


ああだこうだと好きなことを話したり。 






2人でやってきたので、結束が固いのでしょうね。






そして、息子は親子でもあるけれど、きょうだいのようでもあり、親友のような感じもするのです。 






そして、昨日しみじみと感じたのは、


一人の日記ではなく、ブログを書いているのは、


読んでくださっている方がいるという喜びです。 






何者でもない、一庶民の私のブログを読んでくださるだけでも嬉しいのに、


それに共感してくださる方がいる。 






そして、私が好きに書いていることが、誰かの心に響いてくださることがあるなんて、


それは誰のためでもなく、私の喜びになっているとのだと痛感したのです。 






誰かの役にたてる、って本当は自分の喜びなんですよね。 






なので、1人でも読んでくださる方がいる限り、




私自身のためにも、ブログは書き続けたいと改めて思った私です。 






昨日お会いした方たちは、みんな、本当に素敵な方ばかり。




お世辞でもなく、私の自己満足でもなく、本当に事実そうなのです。 






いろいろなご苦労や体験を乗り越えて、


ご自身の地や肉にされて、ご自身の足で幸せを切り開いている自立した女性の方たちに


お会いしたことで、


私自身が、すごく刺激を受けました。






もっともっといろいろとお聞きしたいという名残惜しい気持ちの中で


解散となりました。




その名残惜しさが、きっとエネルギーに代わるのでしょうね。 






今までも気分で更新していたブログですが、


これからも無理しても楽しくないので、気分であることは変わらないのですが、(ごめんなさい!)




書きたいことを思いついたら、その場で書いていこう、


と思ったのです。 






その瞬間のひらめきは、すぐに通り過ぎていってしまいます。




明日書こうと思うと、感動が薄れてしまって、たいしたことないから書かなくてもいいや、と思ってしまう私でした。






ひらめきや直観、その時々の出会い、人とのお付き合いを


大切に、丁寧に生きていこう。






と改めて感じさせてくれた昨日のお茶会でした。






お茶会に参加してくださった皆さんだけでなく、


このブログを読んでくださっているみなさんすべてに、




心からありがとうございます。 






何者でもないわたしの言葉を読んでくださるだけで、




わたしが生きているという実感を与えてくださっているのです。 






そのことに心から感謝している私です。




私が今、とても幸せでいられるように、みなさんも、心穏やかで幸せに暮らしてくださいますように。

記事を書きながら、願っています。


いつもにもまして、超長文になりました。(笑)




最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。






みなさんに素敵なことがたくさん訪れますように☆




風邪などひかれませんように。




ありがとうございます。




白猫


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東急東横線の旅。中目黒、都立大学、自由が丘

みなさん、こんにちは。白猫です。
アイフォンからの投稿です。

ついこの前と思ったら春のことだった、
東急東横線の散策記を書かせてくださいね!

トライアングルチケットを買うと、トライアングルエリアが400円で乗り放題。
オススメチケットです。
 
トライアングルチケット詳細 (クリックするとサイトに飛びます)
 



まず、中目黒で下車。

駅から徒歩10分。
わらび餅で有名な雅庵。

とろけるようなわらび餅、はまります。
おいしいきな粉に埋もれた、柔らかいわらび餅は
テレビでも紹介されていて、人気です。
とってもおいしい!




 
次に都立大学の有名な和菓子屋さん。ちもとの、八雲餅。
 
胡桃、黒蜜、お餅のコラボ。
手土産に有名な品のいいお菓子です。
 
柔らかーい。




最後は大好きな自由が丘。

駅前の、自由が丘デパートの麹料理の定食のお店。
カウンターしかないので、すぐ満席です。

和食って、落ち着きます。
心が深呼吸できるような味でした。




 
自由が丘は雑貨の街。
見ているだけでワクワク。

散策の最後は、有名なケーキ屋さん。モンブラン。

モンブラン発祥のお店だそうです。

しかも、すごく美味しい!




お店は広くて落ち着きます。
お茶するなら、ここでぜひ。

 
こうして書いていると、雑貨巡りではなく、食べ歩き。恥ずかしい。(笑)

雑貨も見ながらの、食べ歩きでした。

ワクワクする東急東横線。

また来年の春、桜のシーズンに行かなくちゃ。
都立大学駅から少し歩くと、
すごく綺麗な桜並木の通りに出合います。
 
目黒川添いは桜でおおわれて、
歩くだけで、さくら見散策ができるので、
少し暖かい日におすすめです。
 
春は花冷えの日もありますので、お気をつけて。
東急東横線沿線の旅は、私にとって毎年春でした。
今日の投稿でそのことを思い出し、
一年って、本当に早いなあ、と実感したのです。
  
見てくださってありがとうございます。
 
白猫

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寿命について思うこと

皆さん、こんにちは。白猫です。

 

今日はふと思ったことがあるので、書かせてくださいね。 

 

先日、テレビで今でしょの林先生が寿命について話していました。

人間は寿命があるから、充実して生きられる。

永遠に死なないとわかっていたら、逆に生きているのが苦痛になると。 

 

確かにそうだなと思いました。 

 

もし、後2000年も生きられると言われたら、さすがに、この毎日を2000年も続けるのか…とちょっとげんなり。(笑) 

 

死ぬことそのものは体験したことがないので怖い気持ちもありますが、

多分、命の終わりが決まっているからこそ、今を楽しんだり、周囲の人たちとの交流を大切にしたりできるのだろうな、と再確認したのです。 

 

なので、寿命があって、かえって人生を大切にできるのかも、

と思ったのです。

思い返すと、10代、20代のころの自分の行動について、

今なら時間がもったいなくてしないな、と思うことがたくさんありました。

 

後悔している訳ではなくて、20代だからできたことなので、

それはそれでよかったのです。 

 

ただ、年齢を重ねることによって、時間の使い方、大切さについても変化してきました。

 

話しは変わりますが、

先月末に「岸辺の旅」という映画を観てきました。

深津絵里さんと浅野忠信さん主演の映画です。

行方不明だった旦那さんが、死んだと枕元に現れて、

一緒に行方不明中にお世話になった人のところを訪ねる旅をするのです。

 

亡くなったといえども、体はあって、触ることも出来る。

 

不思議な映画でした。 

 

この映画からはっきりと言語化できる何かを得られた訳ではないのですが、

漠然と、「生」と「死」は繋がっているのかもしれないという感覚を覚えました。 

 

感覚のお話しになるのですが、

魂があって、生まれ変わりがあり、

死が訪れたら今回の人生は卒業するけれど、

生きる、死ぬというのはあくまで一時的な現象で、

ずっと続いている「魂」の一回の旅行に過ぎないのかなという感覚です。 

 

身近な人が亡くなったりしたら、残された人はとても淋しいですよね。

ただ、人には寿命があるからこそ、その人との今を大切にしたいと

思えるのかもしれません。 

永遠じゃないからこそ、大切なのですね!

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

 

皆さんに良い出会いが訪れますように☆

また近々更新しますね。ありがとうございます。

白猫

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鏡の前の主役は「自分」

みなさん、こんにちは。白猫です。
だいぶ秋も深まってきましたね。
 
今日は、私の気づきを聞いてくださいね。 
 
 
良く、人間関係は鏡だといいますよね。 
 
 
最近、再認識したのは、鏡に映るのが相手なのか、自分なのか、という意識の持ち方についてです。
 
 
以前、私は、機嫌が悪かったり、感情的な人に出会うと、いやだなと思ったり、その態度に振り回されたりしたことがありました。
 
 
つまり、相手の感情に合わせて、私も気分に変化が生まれたのです。 
 
 
今ももちろん、ゼロではないのですが、
人に振り回されなくなったのは、
 
「鏡に映るのは自分じゃなくて相手の方だ」と気づいたからです。 
 
 
例えば、相手が機嫌が悪いとき。感じ悪い態度をとるとき。
 
相手が主役なら、私はそれに影響を受けて、感情を乱されるし、場合によっては私の気持ちも落ち込みます。
 
それは相手が主役で、自分はその人の写し鏡だから、変化してしまうのです。
 
 
でも、私が主役だと意識すれば、鏡の中の人がどんな態度を取ろうとも、
私はいつも同じ温度でいればいいのだと、
腹をくくることができたのです。 
 
 
私が笑顔でいたら、相手も自然に笑顔になる。
 
私がいつも同じ温度で人に接していれば、人もそのように対応してくれるようになる。
 
私が誰に対しても、尊敬の気持ちをもって接すれば、相手も私を大切にしてくれる。 
 
 
それは、自分が主役だから、信じられるのです。 
 
発信は自分から。
 
 
私が発信することで、相手が変化するのだと、確信できたのです。 
 
もちろん、人はそれぞれの状況があり、気分が悪いときもあると思うのです。 
 
 
そのときは、その鏡を見なければいいのです。 
 
常時そのような態度の人なら、鏡を使わなければいいのです。
 
 
簡単に言えば、その相手とその時期接しないようにする、関係を持たないようにする、距離を置く、ということでしょうか。 
 
 
私が心に決めていること。
 
 
私にできる最善を尽くすけれど、それでだめなら仕方ない。
ということでしょうか。
頑張っても相手を変えることはできないので、自分がまず発信者になってみる。 
 
 
それでも、マイナスの感情がわいてしまう相手なら、
 
その鏡(人間関係)を手放してもいいのかな、と思うのです。 
 
 
とはいえ、私が鏡の主役になる、と決めてからは
人間関係で悩むことはなくなりました。
 
 
苦手な人とも、自分の意志で距離を置くというより
自然に距離が開いてしまうような感じがします。 
 
 
何より相手の機嫌に合わせて、自分が振り回されるなんて、
もったいないではありませんか。 
 
なので、鏡に映るのは、相手だ。
 
(相手から見たら私だけど)
 
と思うだけで、自分の意識が違ってきて、人に振り回されることがなくなって、
すごく心地よく生きられるようになったのです。  
人間関係って、やむをえず人の影響を受けることもありますが、
できれば、自分のペース、リズム、温度を一定にして、
あまり影響されたり、振り回されたりせずに、生きていけたら少しは気持ちも楽ですよね。
 
なので、できる限り、いつも一定の温度の私でいたいな、
そのように発信したいな、と思っているのです。(いつもできるわけではないのですが!)
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
みなさんの人間関係が、スムーズでありますように。
願っていますね。
 
それではまた記事を書かせていただきます。感謝を込めて
白猫
 

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相手が失敗した時にかける言葉

皆さん、こんにちは。白猫です。

もう11月。今年も残り2か月ですね。

年末まで予定がギュウギュウなのですが、少しでも実りある時間にできたらと思っています。

あまりに日々過ぎるのが早すぎて、人生もこんな風にあっという間かもしれない…と感じたりしています。 

 

今日はコミュニケーションの上で、ちょっとした心配りの秘訣をお伝えさせてくださいね。 

 

相手が失敗した時。

自分が期待するような結果が得られなかった時。

 

「私もこうすればよかったね」

という言葉を添えるだけで、関係性がすごく良くなるのです。 

 

例) 会社で後輩が失敗した時

「うっかりしていて、期限までに計算書の作成が間に合いませんでした」

「私が手伝えることがあるか、事前に声をかければよかったね」

 

例) 家庭で子供が必要なものを言わなかった時

「明日までに○○が必要なんだけど」

「今から明日に間に合わせるのは無理なので、先生にそう伝えてね。

 明日急いで準備するから。私も渡すものを忘れていないか、時々確認すればよかったね」

 

ポイントは、相手が失敗したり、うまくいかなかった時に、自分は関係ないとか、被害者だという態度をとらずに、何かしてあげられたことはないかを考えて、言葉に出してみるということだけです。

 

実は、私自身、そそっかしくてミスが多いのです。

上司がそれを責めずに「的確な指示をしていれば良かったね。悪かったよ」

などと声をかけてもらえると、すごくホッとして、

次からはもっと気を付けよう、と思えたのです。 

 

そんなプラスの経験から、相手が失敗した時にかける言葉について、

気づくことができました。

 

これをするメリットは、

1、相手との関係が出来事によって悪くならないこと。

2、自分が失敗した時に、許してもらいやすくなること。 

3、自責にもっていくことで、相手を責める気持ちが浄化されて、心が穏やかになること。

などでしょうか。

 

何より、失敗した時に「だから言ったじゃない」「また?」みたいに言われたら、傷ついたり、ムッとしたりしてしまいますよね。

 

相手に「ごめんね。私も早目に気づいて声をかければよかったね」と言われたら、ホッとするかもしれません。

 

もう一つのメリットは、そのような思考の癖をつけると、何かあった時に、いつも早めに対応しやすくなるのです。 

 

私自身、こうすればよかったね、というのを繰り返していくうちに、

実際に早めに行動にうつすことできることが増えていきました。(もちろん、完璧じゃありません! 日々、こうすればよかったの繰り返しです)

 

ただ、思考の力は大きくて、自然と自分自身のミスが減ったりする相乗効果があります。

 

私もいつもいつも出来る訳ではないのですが、

私も一方的に責められると、結構傷ついたりするので、
 
自分自身もなるべくそうしないように、さらに、相手の負担を減らせたらと思って行動しています。
繰り返しますが、いつも出来る訳ではなく、意識しているというレベルですので、お許しくださいね。

 

人間関係は鏡なので、自分がしてほしいことを先にしてみて、もちろん、そうしてもらえなくても、それはそれでしょうがないと思うようにしています。

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

 

皆さんにとって素敵なことがたくさん訪れますように☆

また近々更新させてくださいね。

白猫

 

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