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問いの中を生きる

皆さん、こんにちは。
白猫です。
 
ようやく都内も春らしく暖かくなってきました。 
 
 
最近私は「問い」について考えています。 
  
 
問いというのは、いわゆる質問です。 
 
 
「どのような質問をするかで、生き方が変わる」
 
 
良く聞く言葉かもしれませんが、
 
 
何となく生きるのも人生。
何かの問いかけをもって生きるのも同じ人生。 
 
時間は同じように流れ、いつか人生も終わりの日がくるけれど、
問いを持って生きるのと、そうでないのとでは、
充実度が違うように思いました。
 
 
問いって不思議です。 
 
「こんな風に生きよう」と確固たる信念があれば別ですが、
人間って柳みたいに、ゆらゆらと揺れてしまう生き物。
 
私もあれこれ迷ったり、考えたり。 
 
 
まっすぐな道を歩くことなく、遠回りしている感じがします。
 
毎日のいそがしさに追われ、
 
気づいたらひと月が過ぎ、あっという間に1年が終わり、何年も経過していて、自分自身がビックリしているという状況です。
 
 
そんな最近、「問い」ってすごい!と思うことがありました。
 
「こうやって生きよう」と強い信念を持つのも一つだけど、
 
「問い」をもって生きるのもありかなって。
 
問いとは、なんでもいいのです。 
 
 ・ 自分らしくいるために何をしたらいいだろう
 
 ・ 自分のために時間を使うとしたら、最初に何をするだろう
  
 ・ 自分は本当は何をしたいのだろう
  
 ・ 大切にしたいことは何だろう
 
 ・ 3年後の自分のために、今何をすればいいだろう
 
 ・ 誰のために力になりたいのだろう
 ・ 今の毎日が来年も再来年も続くと想像して、どこか変えたいと思うことはある?
 
などなど。
これはあくまで一例で、「問い」はみなさん自身の中に眠っていると思います。
 
 
リルケもこんな詩を残しています。(訳を私なりに短くまとめています)
 
「若き詩人への手紙」より
 
 
「今すぐ答えを探さないでください。
 
今は、問いを生きる必要があります。         
 
そうすれば遠いいつの日か、答えを生きているでしょう」
 
 
答えを生きるのではなく、問いを生きる。
そうすれば、いつしか、答えの人生を歩くことができる。
 
 
なんで、深い話なのでしょう!
 
私が生きている間に答えを歩ける日が来るのかな?(笑)
 
 
いつも長い文章を読んでくださってありがとう。
 
 
皆さんにも素敵な問いが訪れますように。 
 
 
また近々更新させてくださいね。
 
 
ありがとうございます。白猫   

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感謝で心を耕すこと

みなさん、こんにちは。白猫です。

まだ寒い毎日ですが、少しだけ春を感じるようになってきました。

みなさん、お元気ですか? 

 

私はずっと感謝、ありがとう、という気持ちを大切にしたいと思っていました。

  

でも、思っているけれど、だいぶ腑に落ちてきたのは、恥ずかしながら、ここ数年かもしれません。

  

このブログをはじめたころ、さかのぼればホームページを始めたころは、

ありがとう、感謝の気持ちは大切にしよう、と言葉にしていても、もちろん、本心ではありましたが、

心のどこかで、当たり前、もっと良いことがあればいいな、という結果を期待するような部分もありました。

  

最近、ああ、ありがたいな、と心底思えるようになった、腑に落ちてきたように感じるには理由があります。

 

それは、数年前に仕事でものすごく苦しい思いをしたからです。 

 

その辛かった仕事の前に、長く勤めていた職場でも、筆舌しがたい、大変な思いをしました。(あくまで私自身の話です。誰と比べてというという意味ではありませんのでお許しくださいね) 

 

その大変だった前々職を退職する時に、これからは、私自身を大切にできるし、家族のことも大切にできる、と思っていたのです。

  

でも、自分の心が本当に何を必要としているのかも見失い、現実の社会を見る目もなく、さらに厳しい厳しい仕事に就くことになりました。

すべて自己責任です。

その時期は、私自身の人生の中でも、特に深く刻まれた辛い経験であり、自分への後悔であり、反省でした。

  

そんなどん底から救ってくれたのは、やはり友達、家族、助言してくださった方たちのおかげでした。

このブログがあることも、私を支えてくれました。 

 

今、色々なことを経て、落ち着いて仕事をしていられるのも、良い人たちに囲まれていられるのも、本当にご縁と運しか考えられません。 

 

今は心から、すべてのことに当たり前だと思うことはほとんどなくなりました。

心からありがとうと思えるのです。 

 

ありがとうという気持ちの時に、私自身がどんな風な深層心理なのだろう、と考えてみました。

 

それは、「これがなくなったら私は平気?」という問いかけです。

  

例えば、友人の○○ちゃんがいなくなっても平気? 平気ではありません!

だとしたら、本当に友としていてくれるだけで、感謝なのです。

何をしてくれるから、ではなく、その存在自体に感謝するしかないのです。 

 

家族も同じ。

もちろん、家族は一番小さな社会であるので、葛藤も多いですが、自分が成長してくると、以前より問題がほとんど起こらないか、感じることがなくなってきています。

 

私が成長することで、家族も変化してくるのを感じます。 

 

そして、仕事、職場、自分自身が今もっている能力(生きる力のようなもの)、環境、住むところがあることなど、すべてなくなっても平気? ということを考えたら、なくなっては困るものばかりです。

 

そうすると、感謝しかありません。 

なぜなら、今あるものは、この先もずっとあるという保証なんて何一つないと思うのです。

今ある環境や仕事、当たり前のように思っている家族や住んでいるところでさえ、本当にいつまでもあるのか、といえば、確約はできない世の中です。

 

私は仕事上で、当たり前だったものを、明日はすべて失うことになった、という人たちをたくさん見ています。

 

むやみに恐れる必要はありませんが、実際に今日と同じ日がずっと続き、今持っているものを持ち続けられる保証なんて何ひとつないのです。

 

もちろん、恐れる必要はありませんし、実際はほとんどそのまま続いていけると思うのです。

ただ、逆にいえば、いくら感謝していても、準備していても、失うことはあると思うのです。

 

感謝していてもそうなのだから、感謝出来る時にしておいた方がいいとあえて思うのです。

存在がなくなった時に感謝しても遅いのです。

ある時に感謝しておかないと、感謝しないまま、失ってしまったら、きっとずっと後悔してしまいます。

 

私の知人は、親しい友達のことを悪口を言う癖がありました。

嫌いな人のことではなく親友だと呼ぶ人のことを悪く言うのです。

もし、その親友がいなくなっても平気な存在ならまだいいのですが、なくなっては困る人のことを悪く言うことが疑問でした。

例え口でありがとうと言っていたとしても、本当にありがとうとは思っていないんだな、と感じたのです。 

それって淋しいですよね。

 

最近、あまり感謝することに出会わないなあ、と思われたなら、

良かったら、 

「これがなくなっても平気?」と自分に問いかけてみてくださいね。

  

もし、それがなくなっても平気なら、物であれば処分した方がいいですし、職場なら去った方がいいですし、友達なら距離を置いた方がいいと思います。

  

でも、もし、いなくなっては困る、と思われたなら、自然とありがとう、って思えるかもしれません。

 

感謝で心を耕すって、そういうことなのかな、と思うこのごろです。 

感謝で心を耕して、どうなるのか、と言われると、心が幸せな気持ちになる、とお伝えしたいです。

何かすごいことが起こるとは約束できませんが、少なくとも後悔することは減っていくと約束できます。

  

私のブログを読んでくださっているみなさんにも、心からありがとう。

 

読んでくださるみなさん1人1人の顔は見えませんが、私にとっていなくなっては困る、大切な存在です。 

本当にありがとうございます。

 

みなさんにたくさんの幸せが訪れますように☆

白猫 

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