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お試しこそチャンス☆「福に憑かれた男」喜多川泰さん

皆さん、こんにちは。

白猫です。 

今日も素敵な本をご紹介させてくださいね!

「福に憑かれた男」喜多川泰さん

お父さんの古本屋さんを引き継いだ主人公には

実は福の神が憑いていました。

ところが、悪い展開しか起こらない日々。

 

あまりに悪いことばかり起こるので、すっかり落ち込みうなだれている主人公の元に

一人のお客さんが訪れるのです。  

 

そして訪れる奇跡や試練。

 

主人公は、さまざまな出来事から、本当の幸福について学んでいくのです。

 

とても読みやすい小説なので、ぜひ、みなさんご自身で読んでいただきたいです。

私があれこれネタバレしてしまうと、

ワクワクする読書の喜びを奪ってしまうので、詳細かけずにもどかしいです!! 

本文には触れないように、少しだけ気付きを書かせてくださいね。 

「人間は驚くほど急激に成長する。

それこそたった一日で、一つの出会いで、

まったく別人に変わることができるんだ」 

福の神のセリフです。 

人は驚くほどに成長する。

人を見くびってはいけないのだと思います。 

その人が変わるには、ある出会い、ある瞬間、

その人が気づけることが起これば、それで変わることが出来る。

人間にはそんな可能性がある、と人を信頼する意味を教えてくれました。 

なので、あえて誰かを変えようとして、説得する必要はないのです。

 

人生において、ステージが上がる前に、試練が訪れるそうです。

その試練は、次のステージでもやっていけるかどうかのお試しの試験。 

辛いけれど、それを乗り越えれば、新しいステージに移れます。

 

試練はつらいことのように感じるけれど、実は「お試し」なのだと思えば、

頑張れるかもしれませんよね。 

 

ただし、試練といっても、無理に直球で立ち向かう必要はなく、

その試練の意味を読み取って、自分の中で生きやすくなるように、

人のためになるように行動すればいいのだと私は思っています。

それでは、最後に福の神が憑く人はどんな人なのでしょう。

それは、その人がいるだけで周囲の人が幸せになるひと。

つまり、人のことを考え、人のことも喜び、人のために行動できる人。

 

 

そんな人に福の神は憑くそうです。

私も含め、このブログの読者さん、全員に福の神が憑いてくださいますように!

お試しがあっても、くじけず、前向きに頑張りましょうね☆

 

いつも読んでくださってありがとうございます。

感謝をこめて。白猫

 

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何になるのかではなく、どんな人間になるのか 「賢者の書」喜多川泰さん著

皆さん、こんにちは。
白猫です。
 
今日も素敵な本を紹介させてくださいね!
 
 
とにかく、一気に引き込まれる、すごく面白い本でした!
 
文章と物語性が突出しています。 
 
喜多川泰さんのデビュー作ですが、この作品だけでも才能がわかります。
 
 
自己啓発の内容を、ここまで小説として面白く書けるなんて
本当に素晴らしいです。
「賢者の書」喜多川泰さん著
 
 
 
簡単にあらすじです。
 
 
生活に疲れたアレックスは、辛い仕事から逃げ出し、
単身旅行に出ます。
 
その旅先で知り合った、サイードという少年。
 
少年は、9人の賢者と出会い、
学びを得て一冊の本を完成させる旅をしているとのことでした。
 
 
今日この公園で9人目の賢者と会うことになっているというサイード。
サイードが寝ている間に、読んで構わないと言ってもらった賢者の書を
読み解くアレックス。 
 
その中にはサイードが旅をしながら得た、
貴重な気づきが散りばめられているのでした。
 
 
9人の賢者から得たことが、1つ1つ章ごとにまとめられていて、
どの章からも学びがあります。
 
その学びをいくつか紹介させてくださいね。
 
 
 
「自分を他人よりも価値のないものとして卑下してはいけない
自分を他人より優れているものとして傲慢になってもいけない。
 
自尊心と他尊心は常に同じ高さでなければいけない。
 
自尊心を高めるということは、
同じ高さまで自分以外のすべての人間に対する
他尊心を高めるということになるのだ」
 
「人は何になるのかを考えるが、どんな人間になるのかを考えなければいけない。
 
子どもの頃から何になるのかばかり目標にして、
役人、医者、学者など、何になれば幸せになれるかばかり追い求める。
つまり何になるかを目標設定している。
 
例えば、人の話を聞くのが好きな若者が、人の話を聞いているうちに、
その人たちが元気になっていく様子を見て、医者になった。
その医院では、先生が話を聞いてくれるだけで治るという評判がたち大繁盛した。
ところが医者にさえなれば同じように幸せになれると思った人たちが、
子供を医者にしたけれど、「どのような人間になるか」がなく、
「何になるか」だけで医者になったものは成功しなかった。」
 
など示唆にあふれています。
 
 
何になるのかではなく、どのような人間になりたいのか。 
これはものすごく重要なキーワードだと感じました。
 
 
「人生は一冊の伝記を書いているようなものである。
誰かがあなたの伝記を読んだときに、
この人なら成功する、この人は失敗するだろうと、読み取っているでしょう。
もしあなたの人生を本にしたと想像して、
人が読んだときに、この人は成功すると思われる生き方をしなければならない」
 
 
なるほどと思います。
 
 
「生きていくための仕事は当然した方がいい。
ただし、その仕事以外に1日2時間、お金以外のために働いてみる。
 
人生の最期に、今があるのは、あの時の無償の時間のお蔭だった、
ということが最後にわかる」 
 
 
生きるための仕事(お金のための仕事)以外に、自分自身のため、
人の役にたつための時間を作る
 
 
 
これもすごく素晴らしい示唆だと感じました。
 
 
そして、最後に、この言葉がすべてを言い表しています。
 
「真に学ぶ姿勢がある人にとっては、すべての人が師になる

 

教える側が賢者ではない。学ぶ側が賢者なのだ」

 

 
 
あっという間に読めて、年齢も中学生以上なら読める内容ですが、
奥深く、何歳の方が読んでも、気づきがあると確信しています。 
是非、読んでみてくださいね!
 
 
今日も長い文章を読んでくださってありがとうございます。 
 
皆さんにたくさんの良い気付きが訪れますように。
ありがとうございます。
 
白猫
 

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感謝の気持ち どのくらいが正当?

皆さん、こんにちは。
白猫です。
 
人間って面白いなと感じることがありましたので、
シェアさせてくださいね!
 
 
人は、自分が人にしたことは、「すごくしてあげた」と多く見積もるのですが、
してもらったことは「大したことはしてもらっていない」
軽く見積もる生き物だそうです。
 
 
 
例えばこんなことはないでしょうか。
 
 
これだけしてあげたつもりなのに、
そこまで喜んでもらえなかった。感謝してもらえなかった。 
  ]
 
そう思って、がっかりすることは誰でも一度や二度はありますよね。
 
実は、これって心理学的にも当然のことだそうです。
 
 
それは先ほども書きましたが、
自分がしたことは相手はそこまでと思っていないのに比べ、
自分がしてもらったことは、相手が期待するほど感謝していないのが一般的だからです。
 
 
 
もし、仮に、してあげたことが正当に、きちんと感謝されたとしたら、
どのくらいの感謝が正当な量なのでしょうか。
 
 
 
 
 
心理学の本に書いてあったのですが、自分がしたと思う量の6割の感謝が返ってきたと感じたら、
それは正当に感謝をされたということだそうです。
 
 
つまり、ほとんどが、してあげたことの3割程度しか、相手は「してもらった」と思っていないのかもしれませんね。
 
もしかしたら、もっと少ないかもしれません。
 
 
してもらったことすら、気づいていないか、
してくれていることは、当たり前だと思われていることも多いにありますよね。
 
 
 
 
私も母に家事をしてもらっていたころは、
ご飯を作ってもらっても、掃除してもらっても、
洗濯してたたんでもらっても、全部当たり前でした。 
 
 
正直、恥ずかしながら、当時の私は母への感謝はゼロです。
6割返っても正当なのに、0ですから、母と折り合いが悪くても当然です。
 
 
当時の私は、学生だったり働いていたりと所属している場は違うものの、
自由に時間を使って遊んでいるのですから、母が面白く思わず、
やきもちを焼くのも当然だったと今では思うのです。
 
 
 
 
なので、皆が、「なんだか感謝されていない」「してあげて損した」と思うのは、
してもらった人が自覚していないのですから普通なのかもしれません。
 
 
 
 
さて、この事実を知っていれば生かすことができますよね。
 
 
 
 
人に何かしてもらった、ありがたいな、と感じた時は、
自分が感謝している気持ちの倍の感覚で、
お礼を伝えたらちょうどいいのかなと思うのです。
 
 
 
普通にお礼を伝えると相手にとっては6割なのですから、
その倍の量の気持ちを伝えるつもりで、
きちんと言葉と態度で表せたらいいなと思うのです。
 
 
 
 
そして、自分が何かしてあげた、と思った時は、
自分がしたくてしたのだから、あげた、ではなく、させてもらったのだ
と思い、自分で自分をほめて忘れるのが、
自分のためにも一番健康的だと感じます。
 
 
 
相手の反応はなるべく気にしないようにするのも秘訣かもしれません。 
 
 
逆にいえば、「してあげた」と思うくらいなら、
最初からしない方がいいのかなと思うのです。
 
 
「させてもらった」「してあげたかったからしたのだ」という
自分主体の行動であれば、不満もあまり湧きませんよね。
 
 
 
でも、やっぱり不満が出るようなら…。
 
それは自分の器を越えた行動をしているのだと私自身が感じるのです。 
 
 
人が何と言おうと、自分の器に収まるだけの行動にとどめておくのも、
お互いのためかもしれません。
 
 
相手からお礼が欲しいかどうか、という部分が、
自分の中での目安というか、測りみたいなものかもしれません
 
 
 
自分の世界だけで納得できない時点で、自分のキャパを超えているのだと思います。
 
それは人から見て多くても少なくても、その人自身のキャパでいいと思うのです。
無理をすれば、人間関係も破たんします。
 
 
自分がしている行動が明らかにキャパオーバーであり、負担なのに、
それが当たり前になっている関係性であれば(家族間や職場、サークルなど)、
 
 
アイメッセージで、
「私はこのことについて、一人では抱えきれないと感じています。どうしたらいいか一緒に考えてもらえないでしょうか」と伝えるのも一つです。
(くれぐれも、感情的になって相手を責めたりするのはご法度です)
 
 
私が所属している勉強会で、率先して幹事をしてくれる人がいます。
自分の時間を割いて、皆のために手配したり、お金を立て替えたり、
意見をまとめたり、連絡のメールを流したり。 
 
 
プライベートな時間をたくさん使ってくださって、本当に頭が下がります。 
 
私ができることは、なるべく早く返事のメールを返すことと、
心から感謝することだけです。 
 
 
 
きっと幹事をしてくださっている方は、
皆にたくさんお礼を言ってもらいたいとか、
何かの見返りを期待しているとかではないと思うのです。 
 
 
 
でも、もし、「こんなにしてあげているのに」というものを醸し出したとしたら、
メンバーも居心地悪くなるかもしれません。
この方からはそんなことは一切感じませんので補足しておきますね) 
 
 
 
やはり使命を持ち、自分のキャパでしてくださるからこそ、
お互いに負担にならないんだと思います。 
 
 
 
 
そして、やっぱり何かしてくれたことは当然と思わず、
できる範囲で協力する(返事を早目にするとか、何か手伝えることがないか聞く → 自分ができる範囲での手伝い) 
のがいいのかなと私は感じています。
 
 
今日も長い文章を読んでくださってありがとうございます。
 
皆さんにたくさんの良いことが訪れますように。
いつもありがとうございます☆ 
 
白猫

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「君と会えたから…」喜多川泰さん著

「君と会えたから…」
喜多川泰さん著 
 
 
 
大好きな兄からプレゼントされた本の中の一冊です。 
 
喜多川泰さんの本を次々と読破中の私です。
この本も、珠玉の一冊でした。
 
 
この本は、読む時期がピッタリの人にとっては
「バイブル」になる可能性を秘めた本です。 
 
 
主人公は高校生の少年。 
 
 
将来について悩んでいた夏休み。
 
初恋の女の子から、そのお父さんから教わったという成功法則について
毎日講義を受けるのです。
 
 
その成功法則が愛に満ち、また、真実をついた法則ばかり。
 
 
まさに読みながら、気づきと発見の連続でした。
 
 
人って何歳であっても、すべて行動を起こせている訳ではないんですよね。
その意味で、何歳でもチャレンジはできる、ということを思い越させてくれました。
 
 
私の中で一番すごい!!
これはすごい発見だ、と感じた法則を一つだけ紹介させてくださいね。
 
 
ただし、これは読みながら明かされる発見なので、
ネタバレになるのが嫌な方は、10行くらい飛ばしてください! 
 
 
それは、夢(こうなったらいいなという願望)を紙に書くと叶う、
と言われていますが、実はそれだけでは足りないとのこと。
 
実は、2つの夢リストが必要なのだというのです。
 
 
◆ TAKEのリストとGIVEのリスト
 
2種類が必要なのです。
この2つのリストは表裏一体。
 
 
TAKEのリストには、こうなったらいいな、という願望のリスト
 
GIVEのリストには、人を喜ばせるために、今日からできる行動を書いたリスト。
 
 
 
 
 
 
このGIVEのリストの行動を重ねることで、自然とTAKEのリストも叶っていくのだそうです。
 
また、リストは自分の成長と共に、変化したり真実が見えてきたりするので、内容はその都度、書き換えていけばいいのだとのこと。 
 
 
 
 
他にも、すごく心が楽になったことがあります。
 
 
それは、目標と思われるものや、目的と思われる手段を変えるのは
自然なことだとわかったこと。
 
 
目標を変えるのは、挫折を繰り返しているのではなく、
その人が真に持っている夢のための
交通手段を変えているだけとのこと。
 
 
 
つまり、ある人が子どもの頃に、野球選手になりたいと思っていたとします。
その後、中学でサッカー部に転向したり、大人になって別の仕事についたとしても、
それは挫折しているからではないとのこと。  
 
 
 
 
 
ある場所に行きたいと思った時に、
飛行機に乗るか、電車で行くか、の差であって、
目的は一つだけ。
 
 
 
 
その人が叶えようとしている真の夢のために、
手段を変えているだけとのことでした。
 
 
 
この真実を読んで、目からうろこ。心から感動した私です。
 
 
どの年齢の方にもおすすめです。
 
是非読んでみてくださいね。
 
素晴らしい本を、プレゼントしてくださったお兄ちゃんにも、心からありがとう。
 
 
皆さんにたくさんの素敵なことが訪れますように☆
 
いつも読んでくださってありがとうございます。白猫

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自分の領域と相手の領域

皆さん、こんにちは。
白猫です。
 
 
だいぶ寒くなってきましたね!
皆さんはお元気でお過ごしでしょうか。
 
 
今日は最近、少しだけハードルを越えた感のある、
「自分の中の抵抗感」について聞いてくださいね。
以前の私は、「こういうことをしたら誰かが喜ぶだろうな」と思うことがあっても、
簡単に行動に移すことが出来ませんでした。
 
それは、「抵抗感」があったからです。 
 
抵抗感とは、
 
恥ずかしいという気持ち。
 
この行動したら相手がどう思うだろうか、
それを受け止められるだろうか、という恐れ。
 
 
 
行動の結果、別の人が淋しくなったりガッカリしたりしないだろうか。という心配。
 
 
例えばAさんに何かをするとして、Bさんはそれを知って淋しく思わないだろうか。
 
など。
 
 
このように、自分自身への抵抗と、他者への遠慮が私の行動を阻んでいました。
 
最近、完全ではありませんが、少し吹っ切れた部分があります。
 
 
 
 
まず、恥ずかしいというのは自分自身の問題なので、解決するのは割と容易でした。
 
次に、相手の反応で自分が傷つかないだろうか、という恐れです。
 
 
 
この気持ちも、自分の問題なので自分のキャパシティの中での行動であれば
受け止めることはできそうです。
 
 
 
一番高いハードルは、周囲の人への遠慮や、相手がどう感じるか、という心配です。
 
 
 
最近の私は、ようやく、
「人がどう思うかを考えても、それは相手の領域のことなので、私にはどうすることもできない」
 
ということが腑に落ちてきました。
 
 
もちろん、相手がどう思うかは相手の問題だから、私は何をしても何を言っても構わない、という訳ではないのです。
 
ただ、私がこうしたいと思うことで、
それが自分の気持ちに正直に行動することであれば、
相手がそれを受け取った時、
もしくは、周囲の人がそれをみて何かを感じたとしても、
それはその人の領域であって、私にはどうすることもできないんだ。
 
それならば、自分の本心に素直に行動しよう。
 
 
そして、その後のことは、できるだけ誠意をもって対応しよう。
 
ただし、相手の領域(相手の気持ち)については、
誠意を持って対応した後のことは、相手に任せよう。
 
 
と思えるようになったのです。 
 
 
例えば、最近のブログに書かせていただいたように、実母に葉書を送ることについて、
育ててくれた母が耳にしたら、どう思うだろうか
 
と最初は気になり、行動するのをためらいました。 
 
 
 
 
以前は実母のことを口にするだけで、育ての母が嫌な顔をするのを感じて、
遠慮して、口にしないようにしていた時期もありました。(かなり前のことです) 
 
でも、今回葉書を書くことを行動に起せたのは、
育ててくれた母には、別の形で恩返しをすればいい、と思えたからです。 
 
 
一緒に温泉に行ったり、お菓子を送ったり。
私ができることをすることで、私の中で許可することが出来ました。 
 
 
実母については、何かを贈ることよりも、
自分で読める葉書を送ることが、一番喜んでもらえるのではないか
と私が思ったので、送ることにしたのです。
(実際に本当に何が欲しいかは確認はしていませんが
遠方のため、それが一番のように、現時点では感じています)
 
 
何かの行動をとるのは、誰かに影響が及びます。
それが悪意からでないのなら、
その後のことは相手の領域として、任せるほかありません。 
そう許可できて、心が軽くなったのです。
 
 
 
以前の私は、自分に関わる人たちの気持ちや思いまで、すべて自分が引き受けてしまうような部分がありました。
 
 
人に影響を与えたらフォローしなくてはいけないと思い込み過ぎて、苦しいことも多かった私です。 
 
 
 
 
 
 
そこまでのキャパがある訳ではないのに、自分のキャパ以上に、色々と心配したり、気遣ったりして、その未来を先取りすることで、行動できないことも多かった私です。
 
 
またNOということについても、すごく抵抗感があり、断ることが苦手でした。
 
今も正直なところを言えば、苦手です。
 
 
 
 
NOと言ったら相手がどう感じるか。
 
相手がガッカリしたり困るのではないか。
 
 
 
私が我慢すれば丸く収まるのではないか。
 
 
 
 
など、気を使ったり、自分のことを後回しにしてしまうこともありました。
 
 
 
 
でも、最近、ようやく、自分と相手の境界線について、きちんと線引きできるかもしれない、という手応えを感じています
 
 
勇気はいりますが、自分の領域と相手の領域を分けることは、
決して悪ではなく、むしろお互いのためだと思えるようになったのです。
 
 
逆に言えば、周囲の人が行動したり言動したことについて、
私がどう感じるか、どう行動するかも、私の領域のこと。
 
 
 
私の問題なのです。
 
 
 
 
誰が左右することもできないし、また誰の責任でもないのです。
 
 
私がする行動も私の責任であり、私がどう感じるかも私の責任。
 
 
 
そんなことが腑に落ちてきて、これをしよう、こうしたい、
という自分の思いに素直に行動できるようになりました。 
 
 
 
また一つ自由になった感じです!
 
 
 
 
今日も読んでくださってありがとう。
 
 
 
皆さんにたくさんの素敵なことが訪れますように☆
 
 
 
感謝をこめて。
 
 
白猫

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行動が自信につながる 「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」喜多川泰さん著

みなさん、こんにちは。白猫です。

今日もお勧め本を紹介させてくださいね!

 

最近、再読をはじめたのが、作家の喜多川泰さんの本です。

少し前のブログでお話しましたが、私は養女として育ったので、表向きは一人っ子なのですが、私には血のつながった兄が2人います。 

 

遠くに離れて住んでいるので、しょっちゅうは会えませんが、下の兄とは特に親しくしてもらっていて、たくさんの愛情をいただいています。

私は本当に恵まれていると、心から感謝の気持ちでいっぱいです。 

私には育ててくれた両親以外に、生みの母と兄までいて、なんて幸せなんだろうと思わずにはいられないのです。 

子どもの頃、「誰も私を愛してくれない」とすねていた私に、今の私が、その真実を教えてあげたいくらいです。

でも、自分で気付かないと、いくら人から教えてもらっても納得しない。

ということも自分で良く分かっています。(笑)

 

さて、その兄が数年前にプレゼントしてくれたのが、喜多川泰さんの本でした。

その時より、最近の私の方が心にいいものがたくさん入ってきて、まさに心のエステのような感じです。 

 

どの本も素晴らしいのですが、今日はその中の1冊をご紹介させてくださいね。

 

「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」喜多川泰さん著

 

1人の少年が自分のついた嘘を正当化するべく、熊本から東京に一人で旅をするのですが、帰りにトラブルがあり、羽田から熊本に帰る飛行機に乗りそびれてしまうのです。

空港で、途方にくれた少年は、親切な中年の女性と知り合い、そこから奇跡が始まります。 

  

小説なので、ネタばれになってしまうので、あまり詳しくは書けないのが残念ですが、1つだけネタばれさせてくださいね。

(どうしても…という方は、10行くらい飛ばしてください。(笑))

 

一晩泊めてもらった女性の家で、当たり前のように座っている少年に、「家に泊めてもらったら働かないといけない」 と教えてもらうのです。

 

お風呂やトイレを掃除したり、食器を洗ったり。

人の役に立つことで、正々堂々と居候になれるんだから、と教えてもらい、少年は人生で初めて、人の親切に感謝し、人の役に立つ喜びを知るのです。

   

まだ未熟な少年が、意識を変えることで、驚くほど成長していく姿をみて、読みながら心をわしづかみにされました。 

  

人は変わろうと思った時に、急激に変われるものなんだ!

 

ずっとずっと同じラインにいた人が、ある日突然、別人になることってあるのかもしれない。

 

と感じたのです。

  

少年が変わることで、出会う人が皆、その少年に力を貸していくのも、自然で、嬉しい喜びをもらいまいsた。

人の真剣さ、熱意、思いは、人に伝染していくものなのですね。 

 

私も本書を読んで、ささやかですが、人知れずささやかな善行を気付いた時だけですが、やってみています。

  

本当に本当にささやかなことばかりです。

 

例えば、使った外のトイレにペットボトルが置いてあったら、それをゴミ箱に捨てるとか、道路の中央に置いてある自転車を端に寄せるとか。(軽い自転車だったので)

 

そんなたわいないことですが。

 

して気がついたのは、いいことをすると、自分の自己満足だけど、自分で自分を喜ばせているんだ! という気付きでした。

 

つまり、誰も見ていなくても、自分がいいことをした、と思えることが、「自分てすごく好き!」という気持ちに繋がって、かなりプラスのエネルギーになります。

逆にこんなたわいないこと、人に見られない方が居心地いいです。

 

この本の主人公も、自分が行動することが出来るのだ、人の役に立てるのだ、という行動からくる自信が、どんどん本人を変えていったのだと思います。 

人は何かした時に、ご褒美がほしい訳じゃなくて、自分に自信がもてることが最大のご褒美なのだ、と改めて実感した私です。

本当は息子に読んでもらいたい本ですが、今は、無理しないでおこうと思います。時期がくれば、きっと息子も自分から読みたいと思ってくれる日がくるといいなと願いつつ。

 

今日も私のブログを読んでくださってありがとう。

 

みなさんに素敵なことがたくさん訪れますように☆

ありがとうございます。白猫

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