問題を小さくするより、自分を大きく育てる

みなさん、こんにちは。白猫です。
毎日暑いですね。
みなさんはお元気でお過ごしですか?
 
今日は先日受講したカウンセラーの研修で
なるほど、と思う視点をもらったのでお伝えさせてくださいね。 
 
 
例えば、体そのものに病理が出来た場合、
その部分を治すことが医療であれば優先順位ですよね。
 
 
それでは心が病気になったらどうでしょうか。
 
心は形があるようでないもの。
 
心のどの部分にどんな病理がある、というのが視覚では見えません。
ですので、様々な療法や投薬などで治療していきます。 
 
これは治療モデルで大切なことですので、治療をしない方がいいということではありません。
 
それとはまた別の視点での発想です。
   
  
例えば、根本的な悩みがあり、それが解決すれば心配事が消失するなら簡単ですが、
現実にはそう簡単に解決はしません。
 
 
問題がなくなっても、次の問題が起こったり、
そもそも問題と言える問題がなくても、喪失感だったり、寂しさだったり。
 
 
人に説得できるだけの材料がなくても、
人は心に問題を抱えたり、満たされない思いを持っているものだと思うのです。 
 
 
その場合、問題に目を向けていても、なかなか解決していきません。
 
 
講師の先生がおっしゃった言葉。 
 
 
「問題を小さくするのではなく、自分を大きくすればいい」 
 
 
その言葉を聞いて、ああ、そうだな、と瞬間に感じたのです。
 
 
自分を大きくするというのは、成長すること、成熟すること、
感受性を豊かにし、問題に対応する柔軟性を持つことなどを意味します。 
 
つまり、自分の器が大きくなれば、問題そのものがなくならなくても
自分に対しての問題の比率が小さくなれば、コントロールできるようになりますよね。 
問題に目を向けるのではなく、自分の良いところや自分の成長に目を向けることで、
問題そのものがなくならなくても、自分にとっての重要度が下がれば、問題ではなくなる、という考え方です。
 
   
 
自分を大きくするのには具体的にどうすればいいのか、私なりに考えてみました。 
 
1、経験を積む
 
すべてのことについて、小さなことでも経験して成功体験を重ねることで、
自信につながります。
 
経験値こそ財産だと私自身が痛感しています。 
 
 
2、視野を広くする
 
私が思う視野というのは、やはり色々な体験をしてみることにつきます。
そして、色々なパターンでの思考を経験してみることだと思うのです。
 
例えばリンゴについて何色?と質問された場合、
ある人は赤と言い、ある人は白というでしょう。
種の部分を観たら黒かもしれません。
 
つまり、リンゴは赤、という発想だけでなく、
視点を変えれば色々な側面が見えてきますよね。 
 
 
私もできている訳ではないのですが、
なるべく、多くの経験をすることで、
色々な立場の人の気持ちを理解できるようになります。
 
人の気持ちも理解できると楽になることがあります。
 
 
例えば私の例でいうと、20代前半のころ、職場に嫌いな上司がいました。
嫌い、と簡単に口にし、態度にも出すという恥ずかしい行動をとっていました。
 
その後年を重ね、私自身が上のポジションについた時、
上司、経営者など、それぞれの立場での考え方があり、
それはすべて、善悪ではなく、当然のことだと体感しました。 
その立場にはその立場でやらなければならないことがある。
そう考えると、善悪ではとらえられない視点を得ることが出来ました。
 
あらゆる立場を経験してみると、自分が成長できるように思います。 
  
 
3、どの人も自分の大切な人と重ねて見る
 
これは私がよくとる方法です。 
 
 
苦手だな、あまり好きではないな、と思う人について、
無理に親しくする必要はありません。
 
ただ、どうしても関わらなければならない時は、
その人の家族について想像してみるのです。
 
 
ある人にとって子どもであり、きょうだいであり、親である。
 
そのことを思うと、簡単に嫌うことが難しくなります。
 
無理に好きになることもありませんが、嫌いだと思うと先に進まないので、
この人のことを大切に思う家族がいる、という視点で見ることで、
私の中に許容できるスペースが生まれる感覚があるのです。 
  
   
パッと思いついたのは3つです。
まとめると、自分を大きくすることについて、
 
 私自身は 行動→経験→成功
 
のループが一番大きいと感じています。
 
 
行動すれば、失敗もあり、挫折体験もあります。
 
それも含めて、経験値を積むことで、自分のキャパが大きくなってきたと実感しています。
失敗も挫折も、自分に向かないことがわかる成功体験なのですから。
 
 ・ 問題を小さくすることに注力するより、問題を気にしなくなる自分を育てる。 
 
 ・ 人の欠点を観るより、良いところを探す。
 
 
治療モデルも活用しながら、発達成長モデルの視点で自分や他者を観ることが、心の安定につながると思いました。 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
みなさんにたくさんの幸せが訪れますように☆
また近々更新させてくださいね。
暑いですので、みなさん体調にお気をつけてお過ごしくださいね。
 
白猫

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別れの儀式に思うこと

みなさん、こんにちは。白猫です。
 
東京は連日の猛暑です。
みなさんも体調管理にお気を付けくださいね。 
 
 
今日は「別れの儀式」の大切さについて思うことがありました。
そのことを書かせてくださいね。
 
 
私はこの春に、数年継続して所属していた勉強会のサークルを
一度卒業することにしました。
 
 
その修了日。
この日の参加をとても楽しみにしていたのですが、
両親のことでその日しかできないことがあり、
やむなく欠席することになりました。
 
 
この日欠席したことで、「卒業した」という実感があまりわかず、
思い残したことがあるような感覚が、今もずっと続いています。 
 
 
「卒業式」はあえて別れを意識することで、
いつまでも今日と同じ日は続かないことを自覚し、
気持ちを新たに、明日からの新たな道を歩いていく。
 
それを自覚するためにあるのだなあと思いました。
 
 
関連して、ふと思ったことがあります。
  
 
私の大切な友人が話してくれたことなのですが、
友人にとっての大事なご友人がお亡くなりになりました。
 
ご家族の事情で、亡くなったことを知らされず、
時間が経ってから突然知らせを受け取った友人。
 
亡くなったことを受け入れるのに、とても苦しい思いをしたそうです。
 
「お葬式に参列して、きちんとお別れをしたかった」
そのように友人が話してくれました。
 
 
大切な人であればあるほど、
お葬式に参列するのはとても淋しく、寂しいことと思います。
喪の儀式に参列したからといって、割り切れるものではありません。 
    
 
だからこそ、あえてそのつらさを引き受けて、悲しみと向かいあうことで、
いつの日か心に折り合いがつき、
昇華していくのが心の修復の過程なのかもしれない、
と想像しました。
 
 
また別の例ですが、よく恋人との別れにおいて、
自然消滅が一番辛いと聞きます。 
  
 
別れの場面では、トラブルがあったり、苦しみや悲しみもあり、
ても辛いと思うのですが、
いつか連絡がくるかもと思いながら待ち続けると、
諦めるのに時間もかかり、心の整理に何倍もの時間がかかります。 
 
 
何が悪かったのかもわからず、聞きたいことも聞けず、
関係がいつまでもエンドレスで続いているように思い、
なかなか抜け出せないものだと思うのです。
   
   
人間はつらいことがあってもそれを引き受け、
前を向いて歩いていくしかないからこそ、
けじめをつけるというのが重要なのだなと思いました。
 
 
今回、私はサークルの修了日に参加できず、
なんとなく宙ぶらりんな感覚が残っていて、
そのことがきっかえで、
別れについてあれこれ考えを巡らせました。 
 
 
別れを伴う淋しさに向き合うのはつらいですが、
人生で起こる節目節目で、きちんと向かいあうことの大切さを感じた私です。 
  
   
今日も長い文章を読んでくださってありがとうございます。 
  
  
また近々更新させてくださいね。
 
 
みなさんにたくさんの幸せが訪れますように☆
 
白猫

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他人事と思わず即対応すること

みなさん、こんにちは。白猫です。
じめじめした毎日ですね。
みなさんはお元気ですか?
 
今日は実際に私が遭遇した話を聴いてくださいね。 
 
 
つい先日のこと。
 
仕事から駅への帰り道、道路の真ん中に缶コーヒーの空き缶がおいてありました。
 
道路の真ん中に置くなんて非常識だな、と思い、頭の片隅で、
「拾ってゴミ箱に入れた方がいい」という考えがよぎりました。
 
運貯金をするのが好きな私は、通常なら拾って処理するはずでした。
 
ところがその日は「面倒くさいし、まあ、いいか」と思ってそのまま通り過ぎたのです。 
 
 
その数秒後!!
 
突然足に何か水がかかったような感触があり、
私の横を、先ほどの缶が飛んで通り過ぎていきました。
 
びっくりして後ろを振り返ると、
「ごめんなさい、間違って蹴ってしまいました」と男性がいい、
あたふたと逃げていきました。 
  
つまり、私が横目で見て通り過ぎた缶を、
後ろを歩いていた人が誤って蹴ってしまったということでした。
 
中にまだコーヒーが残っていて、
コーヒーは見事に私のスカートと足にかかったのです。
 
私はその日、薄い色のスカートをはいていました。
慌てて、持っていたウェットティッシュでスカートのシミを拭き、応急処置をしました。
 
不思議と怒る気持ちは起きませんでした。
 
それよりも、「やっぱりあの時の直感に従っておけばよかった」
という反省の気持ちが湧いてきたのです。
 
 
まず浮かんだのは、空き缶が道路の真ん中にあったら邪魔だなあ、という気持ち。
それを放置したのは、自分が通り過ぎれば関係ないから、という考えでした。
それは一瞬で起きて過ぎた感覚です。
   
 
自分さえ良ければいい、というほどのエゴもなかったのですが、
皆も自分でよけるだろう、という認識はありました。
 
そのように思った瞬間、まさに数秒後に災難が自分に降りかかるという
スピードの速さにびっくりしました。
 
 
今回の出来事は偶然と片付けてもいいのですが、
あえて私は、「自分ではない誰かが被るはずの被害を、自分が被ることもあるのだから、自分がされていやなことは、率先して対応しよう」という学びを得ました。 
 
 
もちろん、急いでいる時やできないこともありますが、
できる時はしていきたいと思います。 
 
 
私がそのことを身をもって学ぶように、教えてくれたのだと感謝しています。
 
 
コーヒーがかかるくらいなら大したことではありません。
事故に遭って気づくことに比べたら、本当に些細なことです。 
 
 
この程度の事象で学ぶことが出来て私はラッキーだな、と思いました。 
 
 
そう、加えて思ったのは、
嫌なことがあっても、そこに学びを得ることが出来れば、
怒ることもなく済むので、精神的にいいということです。
いつもそのように思えるかどうかはわかりませんが!(笑) 
 
 
それではまた更新させてくださいね。 
みなさんに素敵なことがたくさん訪れますように☆
 
白猫

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初めての介護サービス(父のこと)

みなさん、こんにちは。白猫です。 
 
昨日に続いて、連日で投稿です。
昨日書ききれなかったことで、残しておきたいことがあるので、
書かせてくださいね。 
 
 
私は父のことで、生まれて初めて介護サービスについて調べました。
 
このことを通じて、
介護の世界はとても親切で温かな方がたくさんいることなどを知り、
本当にありがたく、助けていただけて感謝している私がいます。
 
 
4月のこと。
まだ入院中の父の認知症が、どのくらい生活に影響するのかはっきり把握できず
入院先の病院のソーシャルワーカーさんのアドバイスもあり、
デイサービスをまず利用しながら、やっていけたらと思いました。
 
デイサービスの存在は、前から知っていたのですが、
実際にどんなものなのか、はっきりわかっていた訳ではありません。 
 
そこで、ホームページで私の居住する地域のデイサービスを調べたところ、
とても綺麗で立派な施設がありました。
大きな病院の併設施設で、ここなら安心だし、綺麗だし、ここがいい、と直感で思い
見学を申し込みました。
 
 
それと同時に、ケアマネージャーさんの担当をつける必要性があることも
ホームページを通じて知りました。
 
そこで、やはり同じ施設内にある、介護事業所のケアマネージャーさんと
会いする約束をしました。
 
 
5月になり、初めてデイサービスの見学。
とても綺麗で立派な施設。スタッフの人も申し分なく親切でした。
  
 
ここにしようと思い、そのままケアマネージャーさんとお会いしました。
 
そこで色々とお話をして、わかったことは、
大きで立派な施設が、父のためになる訳ではないこと。 
  
 
もちろん、立派な施設もいいところはあるのですが、
父が楽しく過ごせるのは、施設そのものではなく中身だということでした。
 
 
ちなみに見学した施設はとても良い施設でした。
ただ、現在の父の状況には合わないということを知ったのです。
いずれその施設にお世話になることがあるかもしれません。
 
いい悪いではなく、現状に合う、合わないが重要でした。 
 
 
ケアマネージャーさんもご自身のご両親の時に
立派な施設を選んだけれど、親御さんが喜んだのは、
立派な施設ではなく、親御さんに合ったこじんまりした施設だったそうです。
 
 
ケアマネージャーさんは、私の状況を聞いた上で、
候補の施設を一緒に見学に連れて行ってくれました。
 
私がフルタイムで仕事をしていて忙しいことを踏まえた上で
教えてくださった施設は2か所です。
 
 
1か所にしなかったのは、理由があります。
 
介護マネージャーさんの言葉。
「1か所はお父さんの楽しみのため。
もう1か所は、
介護を続けていく家族のために選んでください」
 
 
その言葉に心がホッと緩んだのは事実です。
家族が少し助けてもらうことを、悪く思うことはないんだ。
家族が健全であることが、しいては父のためでもある。
 
そう思えて、ホッとしたのです。
また、そう思う私のことを責められなかったことも嬉しかったのです。
 
 
1か所は刺激があり、色々なイベントや運動の時間、頭の体操の時間などがあります。
もう1か所は家庭的な少人数の施設です。
こちらは、希望すれば夕食も出してくれて、かつ、宿泊のオプションもあります。
  
 
私も平日の夜に予定が入ることもあり、
週に2回、夕食をつけてもらうことにしました。
  
 
おかげで、夜にカウンセラーの講習にも出られます。
少し寄り道して帰ることもできます。
 
週に2日、その日が確保されて、どれだけ助かったことか。
 
父は現時点では、一人で家に在宅し、
自分で食事を温めて食べることはできるのですが、
段々と父も年を取っていきます。 
  
 
今のことではなく、未来のことを考えて選択しました。 
 
2つの施設はとても温かいスタッフの方が、
親身になって、介護、援助してくださる施設で、両方とも一目で気に入りました。
 
実際に通いはじめた父からも、
働く人たちが一生懸命で、その姿を観て尊敬する、と話してくれました。
 
みなさん、骨身を削って援助してくださっているのです。
私にはできないことをしてくださって、本当に感謝しています。
  
 
さらに、私がかかりつけ医をこれから見つけるにあたり、困っていることを伝えると、
介護マネージャーさんの目線から、
おすすめのクリニックを紹介してくれたのです。 
お会いして本当に親切で優しく、素敵な先生でした。
 
白紙の状態からスタートした、介護サービスの利用ですが、
このような経緯で、順調にはじまりました。
 
 
現時点で私がしみじみ感じたことは、
専門家の意見を聞くことの大切さと、
人の親切のありがたみでした。
    
 
私の父の担当になってくださった介護マネージャーさんのおかげで
私は無知の状態でも、安心して介護サービスを開始することが出来ました。 
 
 
すでに介護サービスを利用されている方にとっては
目新しい情報はないと思いますが、
もし仮にこれから、という方は頭の片隅に、とどめておいてもらえたらと思うこと。
 
 
1、困った時はすぐに行政サービスを利用すること。
  相談すること
 
2、介護はご本人のため、そして家族のため、両方の視点で選んでいい
 
 
3、家族が楽をすることは、しいては介護される人の幸せにつながる。
 
 
現在、父について介護している訳ではなく、
純粋に一緒に暮らしているというレベルでしかないのですが、
この先のことは未知数です。
 
そして、今回のことで実感したことはまだあり、
人は事前に知識を得ることはできても、実際に起こらないことには真剣にならない。ということです。
 
 
私もなんとなく介護について耳にはしていましたが、
実際に自分に降りかからないと真剣に調べようとは思いませんでした。
 
子どもを育てた時も、事前に情報を耳にしたとしても
真剣になるのは、その瞬間、その瞬間です。
 
ですので、何も起こらないうちから調べても真剣になれないと思うのです。
 
実際に起こってから行動すると大変ではありますが、
人間の底力は意外とすごいかもしれません。(笑)
 
その都度、その都度学んでいくしかないと思う私です。
また新たな展開があったら、記事にさせてくださいね。
 
 
今日も長い文章を読んでくださってありがとうございます。
 
書きたいことはたくさんたまっています。
また近々更新させてくださいね。
みなさんにとって素敵なことがたくさん訪れますように☆
白猫

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お久しぶりです 近況報告~父のこと母のこと

みなさん、こんにちは。
白猫です。
  
本当にお久しぶりです!
 
大変長い間更新もせず、ご無沙汰していてごめんなさい。
みなさんはお元気ですか?
 
 
ずいぶん長い間更新していないので、ご心配してくださっている方も
いらっしゃると思います。
申し訳ありませんでした。
 
 
今、ようやく落ち着いたので、こうして記事を書くことが出来て、
とても嬉しいです。
 
 
実はこんなに長く更新しない予定ではなかったのですが、
私の人生で未知のジャンルのことが、色々と立て続けに起こり、
心にも時間にも余裕がないまま、あっという間に6月になりました。
 
 
未知のジャンルとは、両親のこと。
ちなみに今は落ち着いていますので、ご安心くださいね!
 
このブログで簡単にご報告させてください。
 
 
両親とも80代なのですが、今まで元気で病気知らず。
別に暮らしていても何の心配もなく、
私も自由に飛び回っていました。 
 
 
変化があったのが1月末のこと。
急きょ、2月に母が腰の外科的手術を受けることになり、
ひと月の入院となりました。
 
 
外科的なことなので、命に別状はないものの、
私の住んでいる場所から遠い病院に入院することになったため、
毎日仕事の後で、病院通いが続きました。
 
 
加えて半年も前に申し込んでいた、大切なカウンセラー関連の講座が
2月~3月の週末に土日連続で隔週入っていて、
それは絶対に欠席できない(というかしたくない)講座だったので、
母の入院と同時並行でこなしました。
 
この講座に関しては、正直命がけ。(笑)
 
1分でも遅刻したら単位を認められず、課題も大量。
 
受講生仲間の方には、親族の法事も、家族の入院も
すべて他の家族に任せて来たという方もいて、
そのくらいの意気込みなのは、私も同じでした。
 
 
私、もう倒れるかも…と思うところまで
体力の限界を自覚したものの、
ひと月とわかっている期限のあることだったので、
なんとか乗り切れました。
 
ところが、ここからが本番でした。
 
母が元気に退院して、父の待つ家に戻った直後の3月後半ごろ、
父が倒れたとの連絡が入りました。
 
具合が悪いというのに父が頑固で病院への受診を希望せず、
そこから2週間もの間、体調が悪いまま、家にいたのです。
 
私は遠方だったこともあり、
かつ、私が主催者のワークショップの開催日も近く
準備もあり、日程的にもどうにもならない状況でした。
 
とにかく受診さえしてくれれば安心なのに、
電話越しで父を説得しても絶対に受診しないと言うのです。
父の頑固さにもあきれるばかり。
 
ようやく役所の方の勧めで受診することになり、その後入院。 
 
 
母は元々キャパシティが狭いため(率直でごめんなさい)
父のことは何もできないし、わからないとパニック状態に。 
 
私以外に頼れる人はいないため(一人っ子のため)、やるしかないと腹をくくりました。
 
片道4時間半かけて、週1に1回、父の病院通い。
大好きな父に何かあったら…とそれが一番の不安要因でしたが、
予想外に病気は軽く、すぐに快癒。
 
母の入院時に一人暮らしをひと月したことで、
過労だったようでした。
 
とはいえ、その病気ではないことで、大きな問題が発覚したのです。
 
 
このブログでは、なんでも正直に書きたいと思っているので、
そのまま本当のことを書かせてもらえたらと思うのですが、
念のため検査してもらった脳の検査の結果、
アルツハイマー型認知症が進んでいることがわかりました。 
  
 
母は足腰が悪くその他の事情もあり、父を引き受ける自信がないとのこと。
 
私が父を引き取り暮らすことにしました。
父のことが大好きなので、どうなったとしても、私が面倒みたいという気持ちでした。
 
父があと何年生きられるかは未知数ですが、
人生の最後を私が一緒に暮らしたいというのが素直な気持ちでした。 
あとは、私の向こう見ずな性格もあり、
何とかなるだろう、と見切り発車です。
 
 
父の入院中に、
郵送や電話を通じて、行政の手続きや、介護保険の申請、
住民票を移動したあとは、
私の住んでいる地域での介護マネージャーさんとの面談や、
父に良いと思うデイサービスの施設を紹介してもらうことが出来ました。 
(デイサービスとは、日中の短時間、他の人とコミュニケーションをとったり、手作業などの遊びを通じて脳を活性化したり。昼食も出してもらえるなどのサービスです)
 
 
それに加えて、私自身が勉強していることは中断したくないため
両立していたこともあり、休みなしでここまで走り続けた約四か月間でした。
その間にも、嬉しい出来事もありました。
GWに生まれて初めて、実母と実兄と旅行に行くことが出来ました。
(私は養女です)
 
実母も数年前に右半身不随となり、ご苦労をされています。
実母にとっても、病の後初めての旅行。兄の親孝行ぶりには頭が下がるばかりです。
実母については、介護など私は全く何もしていないのですが、
一緒に旅行に行けて、とても良い思い出が出来ました。
 
生んでくれた母も、育ててくれた両親にも、両方に私が出来る限りのことが出来たら、
と思った数か月でした。
 
私も人生で色々と経験してきたつもりでしたが、
両親のことは初めての経験ばかり。 
  
 
とてもたくさんのことを知り、カルチャーショックを受けたり、
みなさんの親切に感激したり。 
またこのことは別途記事にさせてくださいね。
 
 
父が同居して、約2週間。
デイサービスも先週から通い始めました。
 
良い意味での予想外に、
父はとても落ち着いていて、元気です。
 
認知症といっても、物忘れがあるのですが、
自立生活を送れていて、
家のこと(ゴミ出しやら猫の世話やら)をしてもらえるため、
私の方が助けてもらうことが多い現状です。
 
母も一人暮らしになり、家事が少なくなったこともあり、
足腰が不自由なので、ゆっくり過ごしているようです。
 
 
なので、一時はどうなるかと思っていた現状が、今はすべてが良い方向に進んで、
ホッと一息ついたところです。
 
 
長々と、私のプライベートなことを読んでくださってありがとうございます。 
  
  
両親が若くなることはないので、これからいろいろな問題が起こるかもしれませんが、
その都度、人に助けてもらいながら、新たなことを勉強して、
対応していくしかないと思っています。
 
 
結果的に、母も元気で一人暮らしとなり、
父も一時は命の終わりさえ予感したものの、元気に私の元で暮らしてくれることになり、ようやく穏やかな日常が戻りました。 
 
 
カウンセラーの上級資格の勉強はさらにハードになるので、
両親がどんどん年を取っていくことも考えて、
無理をしても、ここ数年は邁進しようと覚悟を決めました。 
 
  
長い時間をかけてとればいい、と思うと、おそらくとれないと予感できるのです。
 
 
志半ばで終わるのは本望ではないので、両親も元気になってくれたので、
ここ数年が頑張り時だと思っています。
 (とあえて文字にすることで、自分自身に約束させてもらいました)
 
これからはまたブログも再開し、
思ったことを都度更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。
 
 
介護のことなども、私の知識が増えたら、記事にしてシェアさせてくださいね。
 
 
介護の経験をせずに済めばいいのですが、
もしかしたら、どなたかにご参考になることもあるかもしれませんので。 
(私もまだはじまったばかりで、しかもまだ両親は自立しているため、介護というにはおこがましい現状ではあるのですが。笑)
 
   
それでは長い文章を読んでくださってありがとうございます。
みなさんにたくさんの幸せが訪れますように☆
 
またすぐに更新させてくださいね。
書きたいことが山のようにたまっています♪
白猫

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ひと手間を惜しまない

みなさん、こんにちは。白猫です。
 
あっという間に2月も半ばですね。
寒い毎日ですが、みなさんお元気でお過ごしですか?
 
この一か月、受講している講座の単位取得のため、
山のようなレポート類に追われ、
合間をぬってレポートを作成し続けました。 
 
ここまで中学時代に勉強好きだったら、今とは違う人生だったかもしれません(笑)
 
 
さて、ようやくレポート作成もしばらくは脱出できたので、
久しぶりに記事を更新させてください!
 
社会人歴もずいぶんと長い私ですが、
基礎的なことで気づきがあったので、シェアさせてくださいね。 
 
 
実はきっかけはお料理の時です。 
 
豚肉とジャガイモのみそ炒め、というレシピを見て作ったところ、
ジャガイモに少しパンチが足りなかったのです。 
 
 
茹でたジャガイモを一度塩コショウで炒めてから
味付けをしたらよかったなあとあとから思いました。 
 
ふいにそのとき、
 
「ひと手間を惜しまない」
 
 
という言葉が頭に浮かびました。 
実jは、ジャガイモだけ一度フライパンで水分を飛ばして
塩コショウしようかな、と頭をよぎったものの、
まあ、いいか、と思って、そのままお肉と一緒に味付けしてしまったのです。 
まさに、ひと手間惜しんだ結果です。
 
その翌日、人がしている仕事のミスを見て、同じことを思いました。 
  
最後にもう一度見直していたら、気づいていたのでは?
 
これもやっぱり「ひと手間を惜しまない」ことがポイントだったのかな、
 
と浮かんだのです。 
 
 
それで、早速私自身の仕事にもその視点を入れてみました。 
   
 
それなりに仕事歴が長いので、緊張感も緩みがち。
適当にやっても何とかなる。
そして時々ミスがある…。(お恥ずかしいです)
 
 
そんな私でしたが、一度完成したと思った時点で、
もうひと手間かけられないかな、と見直したり、
振り返るようになりました。
 
 
そうすると、気づかなかった小さいミスを発見したり、
より満足度の高い成果を出せるようになりました。
 
 
これでもいいか、というところで、
「もうひと手間かけられるかも」と思い浮かんだら、
それを実行してみると、私にとっては、プラスが多かったのです。 
 
 
そんな当たり前のこと、と思われた方も多いと思います。 
本当に、初歩的なお話しで、ごめんなさい!
    
 
私は本当におおざっぱなので、「あとひと手間」の言葉を
何かするときに、自分自身への合言葉みたいにしています。 
  
  
今日も読んでくださってありがとうございます。 
 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように☆
 
また近々、更新させてくださいね!
 
白猫

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幸せを感じるとき

みなさん、あけましておめでとうございます。
白猫です。 

本年もよろしくお願いします。 
 
 
今年がみなさんにとって、穏やかでキラキラした1年となりますように☆
 
早速ですが、最近、勉強会の仲間たちと
語り合う機会がありました。
 
その時に話したのは、お互いの人生に起こった出来事のうち
自分を変えた出来事についてです。 
  
  
「このことがあったから、今の私がある」
 
「あの出来事はとても辛かったけれど、必要な経験だった」などなど。
 
皆さんにも、ひとつかふたつ、
そのような記憶に残る出来事はあるのではないでしょうか。 
 
 
私が自分の人生についてシェアした後で、
こんな質問をいただきました。
 
 
「白猫ちゃんは、幸せを感じるのは辛いことから解放されたときの印象が
一番大きいと話してくれたけれど、幸せだと思った出来事そのものは何があるの?」 
  
  
その瞬間、頭を思いめぐらせてみたのですが、あまり思いつかなかったのです。 
  
 
嬉しいことはもちろんたくさん体験しています。 
 
でも、パッと思いつかなかったのは、
平穏な日常こそ一番幸せだという思いが、今の私にとって大きいからなのです。 
 
 
例えば、私自身が希望校に合格したり、就職が決まったり、
子供が生まれたり、子供が希望校に合格したり。
 
私をおもってプレゼントをいただいたり。
 
旅行に行ったり、そのほかにも、たくさんたくさん幸せなイベントはあります。 
 
 
でも、私にとって、毎日に何事もなく、笑顔で家族仲良く、穏やかに暮らせること。
 
 
やりたいことがあって、夢があること。 
  
 
大好きな友達や家族がいてくれること。
その好きな人たちと短い時間でも、時を共有できること。
 
 
贅沢は出来ないけれど、楽しく暮らせるお給料をいただいていること、
 
私を必要としてくれる職場があることなど。 
 
 
本当にありがたいな、と感謝することばかりです。
 
 
日常に感謝できる今の方が、
幸せ度が高い上に、幸せな気持ちが長期間続いていくのです。
 
 
それがいいとか悪いとかではないのです。 
 
 
私の人生で、私なりに辛いこと、我慢した経験がたくさんあったのも
要因かもしれませんが、
その体験があったからこそ、当たり前の日常奇跡だということに、
ようやく気付けたのです。
 
 
20代、30代前半までは、
あきらかに「幸せな出来事」を待っていたような記憶があります。 
 
また、○○がないと幸せになれない。○○があれば幸せになれる。 
 
というような、対象的な幸せを幸せだと思っていたように記憶しています。
 
 
色々な経験を経て、幸せって、感謝できることなんだな、とようやく腑に落ちた私。  
辛い体験の中でも、ここ10年間で、2回、仕事でとてもつらい経験をしてきました。 
そのお陰で、その職を離れた時の喜びは大きく、
また、平和な日常に感謝できるようになったのです。 
 
 
なぜ、つらい仕事を体験する必要があったのか。
私にとって、親との関係性も含めて必要な課題だったと思っています。
 
そしてようやく、その課題は卒業できたと実感しています。
 
 
つらい経験からの脱出が一番、「幸せを感じる瞬間」のレベルは高いのですが、
幸せ度が高いのは、今のような日常の毎日です。 
 
そこに時々、ちょっと嬉しいことがあると、またそれが嬉しくって、
日常に花を添えてくれる感じです。 
 
 
人が何かを与えてくれるのを待つより、自分で自分を幸せにできるのは何かなあ、
とワクワクしながら考える私です。 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
今年もどうぞよろしくお願いします。 
 
皆さんにとって、今年がますます幸せ度の高い一年となりますように☆ 
 
 
また近々、更新させてくださいね!
 
相変わらず課題に追われる毎日ですが、ブログに記事を書いている時、
私は幸せな気持ちでいっぱいです。 
 
みなさんありがとう☆
 
白猫

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2016年ありがとうございました

いよいよ2016年も終わりです。

みなさん、今年もありがとうございました🌸

2016年はみなさんにとって、どんな一年でしたか?

記憶に残る出会いや、出来事はあったでしょうか。

みなさんにとって、2017年が素晴らしい一年となりますように。

マイペースですが、更新していきますので、
来年もよろしくお願いします🌟

読んでくださるみなさんに感謝をこめて。

良いお年をお迎えくださいね。

ありがとうございます。

白猫

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ご縁をつなぐ不思議について

みなさん、こんにちは。
白猫です。 

暮れも押し迫ってきましたね。
 
しばらく更新できなくてごめんなさい。
 
今月は少しエネルギーが切れたようで、
やらなければならないことも遅々として進まず。
   
 
本当なら今月中に終わらせるべき課題が終わっていなくて、
年末ギリギリですが、
なんとか底力を出して終わらせよう、と決意したところです。 
   
 
ところで、みなさんもご存じだと思いますが、
東洋の暦で言うと、
一年の始まりは、2月の節分の日からです。
 
ですので、本当の「今年」の終わりには
まだ1か月くらい余裕があります。(笑)
   
 
さて、今日はご縁の不思議について聞いてくださいね。
  
 
私は以前から、人と人とのご縁を繋ぐ経験を
何度かさせていただいたことがあります。
 
 
深い意図はなく、何気にとった行動が、
後で思い返すと重要な出会いのきっかけを作らせていただいていた
というような体験です。
 
  
重要な出会いの媒介については、
直感で紹介したり、直感で一緒に食事をしたりというレベルです。 
  
  
そこからの繋がりで、ある人にとって、人生の通過点で必ず出会うべき人
(人生を思い返したとき、記すべき人)
に出会っていくのを、何度も見させてもらいました。
 
 
今年もそのような媒介の経験をしたように思います。
今年つないだご縁が、今後どのようになるかは未知数ですが、
将来に影響するご縁をつなげたのではないかな、と想像しています
 
 
人と人とのご縁は、本当に不思議です。
 
意図して何かできるようなことではなく、
決まっていたことの筋書きに、私が動かされたような体感なのです。 
 
 
ある人がこのようになりたいという希望があり、未来がある。
 
現時点では、そのために必要な人が誰かも、自覚されていません。
 
 
詳しいことは少しぼかしますが、
本当にあった話です。
 
Aさんという方が起業されました。
 
3年前のAさんは、起業など露ほども考えていらっしゃいませんでした。
 
起業する3年ほど前、
偶然、私がBさんを紹介することになりました。
 
AさんがBさんから聞いた話がきっかけで
人生の目標が絞られました。
 
その後、Aさんが努力され、
直観を大切にして行動したことで
ご縁やチャンスが整い、
Aさんは起業されることになったのです。
今も順調に進んでいらっしゃいます。
 
 
その道のりは、Aさんが意図してそうしたというより、
そのようになっていった、というような
川の流れを見ているようでした。
 
 
Aさんが起業するのはAさんの人生にとって
必要な出来事というか、決まっていたことではないかな
と私は後になって腑に落ちたのです。
 
Aさんにとって起業することが必要だったということは、
宇宙レベルで、社会としても、
起業してもらうことが必要だったのだろうと思うのです。
 
なぜなら、エゴ(自分の欲)だけでは、
良い展開は起こらないからです。
 
 
もし、私がAさんにBさんを紹介しなかったらどうなったでしょう
きっと、他の人からBさんを紹介されただろうと私は想像しています。 
 
ですので、私が重要だったと言いたい訳ではないのです。
 
一つ言えるのは、Bさんを紹介するのは私が最短のルートだったのかな
と思うのです。
 
 
その時はわからなくても、
後で思うと、自分にとって重要な出会いや、
このご縁がなかったら、今の自分はない。 
 
というようなことは
どなたでも必ず何回か経験されていると思います。  
 
 
良かったら、振り返って考えてみてくださいね!
 
不思議な偶然が重なって出会った方こそ、
人生にとって重要な人だった、ということがあると思うのです。
 
 
例えば計画的に、何かを達成したいから、
そのためにこの人に会うことが必要だと考えて、
積極的に行動する方法もあります。 
 
これは自分でターゲットを決めて、ご縁を作っていく方法です。
 
この方法は、自分の頭で考えた計画であり、
頭で考えている以上、自分の能力を超えたことは起こりません。
    
  
それよりも面白いのは、
自分で計画していないけれど、
漠然と心の中に希望や、信念、思いなどがあり、
それを心に持っていることで、引き寄せる運命やご縁です。
 
 
その出会いは、自分では想定していない、
ものすごい出会いだったりするかもしれません。
 
想像もしていなかった人生が開けるかもしれません。
 
 
縁には良い縁、悪い縁があります。  
 
  
このご縁がなければ、詐欺にあわなかった。
こんなひどい目にあわなかった。
 
 
などの悪縁もあるかもしれません。
 
 
良い縁を引き寄せるには、
やはり自分自身が良いご縁にふさわしくなるための、
最低限の努力は必要だと思います。
 
 
他にも、直感を大切にする。
直観を感じたら行動する。
 
心の中にかなえたいものがある。
熱意がある。
 
なども、
引き寄せる力を強くする一因かもしれません。
 
 
必要なご縁は必ず訪れるんだな、
と人とのご縁を媒介させてもらったことで、
しみじみ実感した、2016年の私です。
     
みなさんにとって、良いご縁が訪れますように☆
いつも読んでくださってありがとうございます。 
年内にまた更新させてくださいね!
 
白猫

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嫉妬しない秘訣 

皆さん、こんにちは。

白猫です。 

 

ふと思ったことがあるので、聞いてくださいね。

 

最近、私の周りに
 
明らかに「良いこと」が訪れている人、

「よい出会い」が訪れた人からの報告が増えてきました。

 

私は周囲の人が幸せであることで、
私の心も安定するタイプなので、
嬉しいニュースをお聞きすると、とても嬉しく、温かな気持ちになります。

 

私が人の幸せを喜べるようになったのは、
(事柄によっては、喜ぶところまでいけなくても、
過度に妬まなくいられるのは)

 
色々な体験を経ているからだと思います。  

 

プライベートな体験も書かせていただきますので、
あくまで客観的なお話しとして聞いてくださいね。

 

まず、私の成育歴が影響しています。 

私の母は感情のままに生きるタイプ。
さらに、マイナス気質でした。
  

そんな母の、
ものすごい感情の波に振り回されて育った私は、
母が穏やかで幸せなら、私も幸せになれるのに、 

と、ずっとそう思い続けて暮らしてきました。

 
何しろ、当時はこのような母ですから、
友人もいず、専業主婦だったので、
ストレスのはけ口もなく。
 
家族にぶつけるしかなかったのかもしれません。

更に母は嫉妬深かったため、
母の嫉妬に毎日のように揉まれているうちに、
嫉妬は愛情じゃない。
エゴを押し付けているだけ
、と感じました。

 

まず、自分の負担を減らしたい。

 

私の欲求の一番上の方に、
身軽でいたい、自由でいたい
という欲求があるのは、
以上のような成育歴からくるものだと私は思っています。

 
ちなみに母は60代半ばくらいから
私に対してはかなり穏やかに接してくれるようになりました。

それにも理由があるのですが、また別の機会に聞いてくださいね。
 

次に、10代後半ごろに、人は人、自分は自分、という価値観になりました。

隣の人に幸せなことが訪れて、それをうらやましいと思って妬んでも
自分にその幸せが訪れる訳ではないこと。
 

つまり、明らかなよい出来事は、個人的なものであって
人に嫉妬してもしょうがない、と線引きが出来るようになったのです。 
 

これはどうしてそうなったのかな、と思うと、
私がピアノを勉強していたからではないかな、と思っています。

 

人がどんなに上手に弾けたとしても、

それをうらやましく思っても、自分自身の腕が上がる訳ではない。

 

だとしたら、練習するしかない。

そもそも才能の差についても、感じるものがありました。

  
最初から嫉妬の感情がない訳ではなく、

たくさん持っていた私だから、
外に向けるより、自分の行動に結び付けた方が健全でいられる

という割り切りが出来たのかもしれません。

 

自然と、人は人、自分は自分と思えるようになっていきました。

 

もちろん、私も人間です。

人をうらやましいと思う気持ちもあれば、
嫉妬する気持ちも持っています。

 

ただ、そのネガティブな思いにいつまでも囚われていると、
「私が好きな私」ではいられない、と思うのです。

自分を好きでいたい、と思う気持ちの方が、
いつでも、嫉妬の感情より上回るのです。

 

そして、最近、また新たな気づきがありました。

 

身近に良いニュースが訪れるということは
私にもそのようなニュースが訪れる前触れ。
 
もしくは訪れているという証だと気づいたのです。 
 
 
なぜなら、類は人を呼ぶ、というように
幸せな人の周りには幸せな人が集まるから。
 
 
周囲にうらやましい、と思うくらい素敵な人が増えたなら
それは間違いなく、自分も同じように素敵な人になっているということ。
(抵抗があっても、そう思いましょう!)
 
 
願いがかなった、という嬉しいニュースが
たくさん届きはじめたということは、
私も、願いがかなったよ、というニュースを
人に伝える日も近いということ。
 
 
なんだか、そんな空想をしていたら、
ワクワク、嬉しくなったので、記事にさせていただきました☆
 
 
皆さんの周囲にも幸せな人が増えてきたり、

 

幸せなニュースが増えてきたら、

 

 

 

「次は私」って楽しみにしてくださいね。
 
 
そして、周囲に「私は不幸だ、あの人のせいだ」
と、人の悪口や妬みばかり言っている人たちに
もみくちゃになって囲まれているより、
 
 
少しうらやましいな、と思うくらいの
素敵な人、幸せな人、穏やかに暮らしている人たちに
囲まれている方が、
ずっと負担がなく、自分自身も幸せになれるんだ、って
想像して、実感してみてくださいね。
 
 
周囲の人10人くらいが、みんな人の妬みばかり言う人たちだったら
(実はそういう職場にいたことがあります)
本当に心が折れそうになります。 
 
 
キラキラしている人たち
キラキラしたいと思っている人たちが
周囲にたくさんいる方が、
相乗効果でキラキラ輝けることは間違いありません☆
 

 

 
皆さんにたくさんの幸せが訪れますように☆ 
 
 
今日も読んでくださってありがとうございます。
 
また近々更新させてくださいね。
白猫

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«我慢しているんじゃない? 「今日もていねいに。」松浦弥太郎さん